時空超常奇譚7其ノ四. 敷衍泡話/人は何の為に生きるのか

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚7其ノ四. 敷衍泡話/人は何の為に生きるのか

敷衍泡話ふえんほうわ/人は何の為に生きるのか


 2015年頃、TVの向こうで「♪何の為に生きるのか。何度問い掛けてはみても空のはてまで暗闇が黙り込む♪」と乃木坂46が歌っていた。

 センターで歌う西野七瀬ではないが、果たして「人は何の為に生きるのだろうか」と考えてみても中々答えは出て来ない。きっと、そこには大いなる意味があるに違いないと思いつつ、やはり何も出て来ない。


 簡単なようで深く重いその命題は昔からあったらしく、解き明かすべく古今東西数多あまたの賢人達が考察を重ね、結論付けている。


 理論物理学者のアインシュタインは「誰かの為に生きてこそ人生には価値がある」と宣い、の芸術家ピカソは「生きる意味とは、自分に与えられた才能を見つける事、そして他人ひとに与える事」と言った。どこかの画家が「人生はアートである」とも言っている。

 心理学者フロイトによれば「人の存在目的は性的快楽の追求」であり、アドラーの主張によれば「人の根源的な目的は権力の追求」なのだそうだ。 

 オーストリアの心理学者V・Eフランクルは「生きるという事は、生きる事に正しく答える義務、生きる事の課題を果たす義務、要請を充たす義務、それ等全てを引き受ける事だ」と言っている。何を言っているのかわからないので、簡単に言うならば「人生とは生きるという疑問に答える事」であるらしい。

 宗教家は大概「全ての人はこの世で成すべき天命を持って生きている」と法談を説きつつ、「人は神仏の有難い智慧を得る為に生まれ、生きている」と薫陶くんとうする。

 哲学者は総じて「人は生きる為に生まれ、死ぬ為に生きている」と意味不明な解釈をのたまい、生物学者は利己的遺伝子で有名なドーキンスの言うように「人を含む生物はすべからく遺伝子の乗り物である」「遺伝子の目的はその自己複製子を増殖させる事である」と主張する。つまりは子孫を残す事だ。

 一方、思想家であり数学者としても有名なパスカルは「人生は死ぬまでの暇潰し」と著者パンセの中で述べている。それはそれで随分と極端だ、パンセに何があったのだろう。


 名立たる賢人の言葉を並べてみても、残念な事に人が生きる為の万人に共通する「絶対的な目的」としてはどれ一つとして腹落ちするものはない。

 その理由は簡単で、それ等は全て恣意的なそれぞれの発言者の立場を投影した唯の「手段」に過ぎないからだ。


 そもそも、人が生きる為の「絶対的な理由」などこの世に存在しない。人の本能的三大欲求やマズローの5段階欲求などは全て「手段」に過ぎず、美味い料理を食べたい、金持ちになりたい、出世したい、地位や名誉が欲しい、その他何かを成し遂げたい、それに限らない諸々の「手段」は人と同じ数だけ存在するのだから、当然の如く「これこそが人の生きる為の唯一の理由だ」とはならない。

 敢えてその答えを言うならば、それは「幸福しあわせの追求が人生の目的」としたギリシャの哲学者エピクロスや、アリストテレスがニコマコス倫理学で言ったように「人が生きる究極の目的こそ幸福の追求だ」と表現するしかない。


 人は幸福を追及する為に生き、そしてその手段は数え切れない程存在する。ある人は美味い料理を食べる事、ある人は金持ちになる事や出世する事、地位や名誉を得る事、何かを成し遂げる事の可能性を欲し、そしてまたある人は暇潰しをする事でさえ「幸福」を得る事が出来るのだ。


 それならば「幸福とは何か」と言うと、これは至極難しい。幸福とは、広辞苑に「心が満ち足りている事」と定義されているように、人それぞれの心の感覚でしかない。

 幸福を感じる時の人の脳内では、幸せホルモンと呼ばれている脳内神経伝達物質のセロトニンが分泌されている。そして、それが妨げられると鬱などの精神疾患になる事が医学的にわかっている。 


 即ち、「人は何の為に生きるのだろうか」、その答えは脳内幸福物質セロトニンが見せる錯覚という事になるのだ。



 世間で大往生と言われる100歳を超える一人の男がこの世を去った。男の人生は特筆すべき事など何もない平々凡々で在り来たりなものだった。遺族達は、横たわる男のむくろに向かい「何て満足そうな善い顔をしているのだろう」とか「大往生で、きっと満足に違いない」などと、口々に心にもない社交辞令でその場の体裁を繕っている。


 そんな遺族達を見下ろす中空に、男の魂が浮いている。死んだ者は肉体であるむくろと精気である魂に分離する。躯は亡骸としてベッドに横たわり、魂は生前の形ではなく白い光の球体となって中空から見下ろしている。白い光の魂には顔が付いており、言葉を発する事はないが感情はあり、はっきりと表情を読み取る事が出来る。

 大往生し満足している筈の男の口端はものの見事にへの字に曲がり、満足とは程遠い凡庸という名の不幸せを嘆いているようにしか見えないが、だからと言って肉体を離れた魂が不平を言う事はない。


 遺族達が最後の別れを告げているその部屋で、中空の魂をじっと見据える二つの姿があった。一つは天界で最も偉い神の末席に座る大天使、もう一つは神と同等の力を持つ大公位階の悪魔。


 天使は男の魂と躯に慰めの言葉を投げ、葬送の儀式を始めた。

「人間よ、お前の人生は大したものではなかった。だが、そこそこに凡庸な人生だった事でそこそこの満足を得たに違いない。躯を捨て魂となる事で神の子の資格を得た今、神の名に於いてお前を召喚する。さて、天国へ行くとしよう」


 儀式を終え男の魂を天国へといざなう天使に向かって、中空で脚を組みいぶかる顔で頬杖をつく悪魔が透かさず反論した。

「おい、ちょっと待てよ。この世で人間くらい欲深い生き物はいないんだぜ。そんな人間がそこそこの人生なんかで満足するもんか。その顔を見ればわかるじゃねぇかよ?」

 天使は悪魔の言葉など歯牙にも掛けていない。

「何だお前は?」

「見りゃわかるだろ、悪魔だ。だが唯の悪魔じゃないぜ。オレは今年崇高なる悪魔学校を主席で卒業した、悪魔史上最高の俊傑と言われた天才だ」

 悪魔は伸びた鼻を誇示しながら言ったが、当然のように天使にひけらかしは伝わらない。  


「自身を俊傑だの天才だのと、言っていて恥ずかしくはないのか。まぁ良い、それで俊傑で天才の新卒悪魔がこんな所で何を企んでいる?」

「何も企んでねぇよ」

 天使は「悪魔の魂胆如きお見通しだ」と言わんばかりに片頬に笑みを浮かべて言った。悪魔が謀計はかりごとなしに人間に関心を寄せるなどという怪訝おかしな事がある筈はない。

「所詮悪魔は人間の恐怖やら絶望やら悲哀を喰らう程度の事しか考えてはいないのだろうがな」

「天使なんぞの知った事か」

 言われた天使は、居丈高な悪魔の言葉にちょっと腹を立てて忠告した。

「ここは神聖なる現世との別離の儀式場だ。悪魔の如き下賤な者の来る場所ではない、とっとと失せるが良い」

 即座に悪魔が反駁はんばくする。悪魔が天使の言葉に従うなどあろう筈もない。

「お前こそ何だよ。天使如きのくせに随分と偉そうじゃねぇかよ」

「煩い、崇高なる神事の邪魔だ。例え満足していなかろうが、歓喜の天国へ行けるのだからこれで良いのだ。悪魔の分際で口出しをするな」

 どんなに天使の大義をかざそうが、悪魔が引き下がる事などあり得ない。

「いやいや、待てって。これでこの男の人生が終わりだとしたら、そりゃあ余りにも可哀想じゃねぇか。オレがこいつにもう少しマシな人生を味合わせてやるよ」

「煩いと言っているだろう。余計な事をするな」

 天使の言葉に悪魔が承服するなど未来永劫ない。

「死んじまってんだから、それくらいの遊びがあってもいいじゃねぇかな」

「煩い、煩い、煩い、邪魔をするな」

 悪魔は、度重なる天使の見下した物言いに憤慨した。天使も当然ながら引き下がる事はない。

「さっきからムカつく奴だな」

「何だと、悪魔如きが神の力を有する天使の私に敵うとでも思っているのか。神力で、悪魔など立処に消してやるぞ」

「やれるものならやってみな。どっちが愚かなのか直ぐにわかるだろうよ」

「馬鹿な悪魔め」

 そう言って、天使はドヤ顔で呪文を唱え雷を悪魔に落とした。耳をつんざくく雷鳴が轟き渡り、天空を引き裂く鋭利な雷光が悪魔を撃った。

 天使は「どうだ」とばかりに得意げだが、悪魔はケロリとしたまま「何だ?」と首を傾げている。そして、それ以上何も起こらないと知ると、巨大恐竜の姿をした魔獣を出現させた。

 魔獣が叫喚する。天使はいきなりの魔獣に仰天して耳を塞いだが、魔獣は状況を確かめる事もなく一瞬の内に天使を頭から丸呑みにした。天使は悲鳴を上げる間もなく姿を消した。


「天使の学校で、悪魔の力=神の力>天使の力って事くらい習わなかったのか、愚かだな。ぜ。さてと、始めるか」

 悪魔は目的を達すべく時空間を超えて過去へ飛んだ。


                 

 男は35歳。社内のマドンナと言われる憧れの女性に意を決して告白した。

「麗華さん、僕と結婚してください」

 その言葉に女性は一瞬も迷う素振りもなく、静かな怒りさえ見せながら言った。

「鏡を見てから言いなさいよ。アナタみたいな何の取り柄もない35歳の不細工な男が、私のように若くて美しい20歳に良くそんな事が言えるわね。その図々しさが信じられないわ」

 鰾膠にべもないマドンナの迎撃に、男は成す術もなく撃沈した。


 その日の夕方、川に掛かる橋を歩く男は今日の悲惨な戦況を思い出し、心ともなく橋の上に身を乗り出した。

 考えてみれば、男には思い通りに事が進んだ経験が何一つとしてない。高校受験も大学受験も就職も第一志望ではなかったし、好きな女性と付き合った事など勿論ある筈もない。願いが叶った覚えなどまるでない。自分はきっとそういう星の下に生まれたに違いないとも思っている。


 中途半端に欄干に身体を乗せ、今にも川に飛び込もうとする若者に「おい」と誰かが声を掛けた。

「誰?」と振り向いた男の背後に、黒いスーツに身を固めステッキを突く紳士風の男が立っている。太っていれば喪黒福造にそっくりだ。

  

「誰って訊かれても、答えようがねぇな。一般的には悪魔って呼ばれてるぜ」

「その悪魔が何の用?」

「お前さ、悪魔だって言ってんだから「わぁ」とか「ぎゃぁ」とか少しは驚けよ」

 男は、いきなり「驚け」と指示する見知らぬ自称悪魔に苛ついた。

「煩いな、それどころじゃないんだよ。もう終わり、お終いなんだから、悪魔だろうが幽霊だろうがどうでもいい」

「こらこら、悪魔と幽霊を一緒にするんじゃない。それより、ちょっとばかりつら貸してくれよ」

 男は胡散臭い紳士の突然の問い掛けに驚き、我に返ってきっぱりと言った。

「止めないでくれ。僕は今から死ぬんだから」

「わかったって。止めねぇし、勝手にくたばりゃいいさ。けど、その前にちょこっとだけオレのストーリーで楽しい思いをさせてやるよ。冥土の土産にすりゃあいい」

「楽しい思い?」

 そう言えば、男は生まれてこの方35年間いい事なんかなかったような気がする。

「だから、お前に面白い夢を見せてやるのさ」

「そうか、悪魔なら魂と交換だな」

「いや、お前の魂なんか要らねぇし」

 悪魔と名乗る怪訝あやしい黒スーツ姿の紳士は、勝手に言いたい事だけ言うと姿を消した。それが誰なのか男にはわからない。

 飛び込むタイミングを失った男は、橋の袂で「あれは何だったのか、楽しい思いとは何か?」と呟いたが、その疑問に答える者はいない。


 多摩川のせせらぎの音が耳に優しく、夏の風が頬を撫でる。そんなどこかの歌のような意味のない言葉が浮かぶ。

 男が詩人になって気を取り直していると、再び誰かが話し掛けて来た。今度は見知らぬ白髪白髭の中年男だった。


「君、そこの君。僕はこういう者なんだけど、ちょっと話を聞いてくれないか?」

 差し出された名刺には、「株式会社新東京スタープロダクション代表取締役社長」の文字が踊っている。

「プロダクション……芸能人?」

「今度新作の映画を撮るんだけど、主演の俳優を探しているんだよ。君、幾つ?」

「35歳です」

「35歳か、結構イってるけど、まぁまぁだな」

「映画なんて、僕はイケメンじゃないですよ……」

 男の言葉を中年男が鼻で笑う。

「感覚が古いな。もうイケメンなんかの時代じゃないんだよ。これからはね、君みたいにイケメンではなくちょっと不細工で中途半端なのび太顔が流行るんだよ」

 男は中年男の言う事を理解出来ない。世の中には適性というものが確実にある。映画に出るという事は俳優なのだからイケメンか或いはそれなりに特徴のある顔でなければならない。男のような中途半端なのび太顔で良い訳がない。のび太でさえもドラえもんの相方だから成り立っているのだ。

 男は少しも同意したつもりはなかったが、それでも混乱する頭を抱えて言われる通りに指定された場所でオーディションを受けた。そして何故か合格し映画の主役となった。


 撮影が始まった後もその状況に理解が追いついていない男は、素人ながらに生来の真面目さで取り組み、映画は空前のヒットを記録した。男は相変わらず状況を完全には理解出来ないまま、気がつけば一躍時の人となっていた。


 悪魔が再び呟いた。

「さてと、ここからだぜ」

 悪魔の謀計シナリオがクライマックスへと進んでいく。

           

 時の人となった男が次に主演したのは高校の教師役。真面目で誠実な高校教師が大統領にまで上り詰めていくという、どこかで聞いた事のあるようなベタベタのサクセスストーリードラマ。正に男にぴったりの役だった。

 人気者の男が登場するそのドラマは当然のように視聴率20パーセントを超え高い人気を誇る大ヒットとなり、5年間もの長編となった。いつしか、ドラマにも拘らず視聴者の多くは主演する男を現実の大統領と思い込むようになり、某雑誌が行った一般アンケートでは全世代の約60パーセントが男をA国大統領と回答した程だった。


 そして、そこに目を付けた政権与党から政界への誘いが来ると、40歳になった男はすっぱりと俳優を辞めて政治家に転身した。男の政界への転身は大きな話題となった。更に、国政選挙資金をCFクラウドファンディングで確保するという新たな手法も相俟あいまって人気が人気を呼んだ。

 CFによる政治資金集めは不正な献金の温床になりかねない、政治資金には透明性が必要だ、そんな否定的な指摘もあった。だが、規制する法はなく、男は比例代表でトップ当選を果たした。


 その後もA国中から支援を名乗り出る富裕層が多出し、絶大なる人気と潤沢な資金をバックに政権与党の中で大派閥を形成するに至った男は、短期間に次期大統領の座を狙えるポジションへと駆け上った。

 国民の誰もがドラマの再現を期待したのは言うまでもない。


 そして数年後、ドラマが現実となるその日は訪れた。A国議会で、次期大統領に指名される為の憲法に基づく議決結果が告げられ、男は予定通り大統領に任命された。国中が歓喜の渦に包まれる中で組閣した内閣の支持率は、実に90パーセントに達した。

 男は首長として積極的な政治改革に乗り出し、A国は新しい時代の夜明けを迎えようとしていた。


 悪魔が薄笑いを浮かべて呟いた。

「ここまでは夢のようなストーリーだっただろうな。だが、ここからは夢は夢でも悪夢がスタートするぜ。果たして身も心も震える程の刺激的な夢に耐えられるかな」

 愈々いよいよ、悪魔の謀計シナリオのクライマックスがスタートした。

                                    

 男が大統領となった翌年、いきなりとんでもない事件が起きた。

 数年に渡って精力的に行われて来た海を隔てて隣接するB国との外交交渉が決裂したのだ。その途端、南方諸島、南西列島、南海群島を構成するA国南エリアへ、B国の侵略行為が現実のものとなった。

 近年、A国を取り巻く政治的な状況は決して平穏ではなく地政学的なリスクは相当にキナ臭いものとなってはいたが、B国の侵攻は予期せぬものだった。

 B国は、数百隻の戦艦からの砲撃により海軍護衛艦数十隻を撃沈させ、同時に夥しい数の戦闘機で制空権を支配した。余りにも突然の攻撃によりA国は為す術なく甚大な被害を被り、南方面の防衛を担うA国陸軍第15師団が壊滅した。

 A国大統領として緊急に対応すべき男はB国の侵略行為に激怒し、国連からの反撃留保の提言に耳を傾ける事もなく即刻B国への空爆とミサイル攻撃を開始したものの、反撃を予測していたB国によって爆撃機は撃墜され、ミサイルの殆どは迎撃された。


 時を待たずしてアメリカから停戦協議の提案があったが、男は納得せず断固として拒絶した。

 議会では当然の如く即時停戦を主張する野党からの激しい突き上げが起こった。

「停戦協議の提案を無視するつもりか」

「戦争が拡大してしまう事について、どう考えているのだ」

「国連を無視しアメリカの仲裁を断るのは、自殺行為ではないか」

 野党議員だけでない、与党内からも反論が噴出する収拾のつかない状況で、大統領たる男は断固たる決意を表明した。

「私は何があろうとも我がA国を侵略しようとする者を許さない。A国を何がなんでも守り抜く事が私の天命なのだ。私が意志を翻す事は決してない。悪逆非道なる侵略者たるB国との停戦協議など未来永劫ない」

 国の行方を決すべき国会は、大統領の独善的とも言える対応によって既に議論の場ではなくなっている。内閣支持率は一桁まで落ち込み、必然的に大統領退陣だけでなく解散総選挙、政権交代、政権与党の分裂までが囁かれている。


「停戦も内閣総辞職も議会解散もあり得ない、正義は我にあり」

 徹底抗戦に対する全ての否定的意見に同意する事のない大統領たる男は、国民に向かって只管「挙国一致、敵国打倒」と叫び続けた。


 そんな状況の中で、A国にとって最悪の事態が起こった。A国の南エリアを占拠したB国によるA国本土上陸が開始されたのだ。海から空から来襲したB国は一気にA国の南半分を制圧した。

 まさか上陸はないだろうと高を括っていた事もあり、B国の進軍スピードの速さに追いつけなかった事でA国は有効な反撃のチャンスを失した。既にA国南エリアでの敗戦が見えている。

           

 その後もアメリカから再三の停戦要請が来たが、やはり男が応じる事はなかった。顕かにA国にある正義が愚かな侵略者B国によって無残に踏み躙られている事を考えれば、停戦などあり得ない。

 ここで徹底抗戦に身を捧げる事にこそ、A国を守る為に悔恨の極みで死んでいった尊人達の意思を継ぎ崇高なる誇りを守る意味がある。例え同盟国アメリカの仲裁であろうと応じる訳にはいかない。自らの所懐にある絶対的な正義は必ず貫き通すのだと男は固く誓っている。


 アメリカの仲裁に抵抗を示す間にもA国中部エリアでの戦火は一段と激化していた。議会で議員達がうと議論をしている間にも、兵士達は戦線を押し返し南エリアを奪還すべく死線を為している。そんな現実に、男は嘆き身を切られる思いに苛まれる。

 だが、だからと言って都合良く救世主がやって来る事も神が救いの手を差し伸べてくれる事もない、何故ならそれが現実だからだ。


 男が悲憤慷慨ひふんこうがいしたその時、A国にとって更に最悪の事態が起こった。南エリア同様に、北方に海を隔てるC国が「元々A国北部は自国領土だ」と主張しA国北エリアへと侵攻したのだ。C国の侵攻もまた予期せぬものだった。

 C国は15万という全地上兵力を動員し、戦闘機1000機、戦闘艦200隻と潜水艦30隻を投入した戦力でA国北部エリアを一瞬で占領した。北と南からの挟撃を受けたA国の巻き返しの可能性は、恐らくもうないだろう。そしてそれはA国にとっての絶望を意味している。


 A国北・南エリアでの攻防戦が続いている戦況に、二つの絶望的事態を告げる声が響いた。

「大統領、北部エリアに向けてC国から核ミサイルが発射されました」

「大統領、中部エリアに向けてB国の核ミサイルが発射されました。着弾位置はこの総司令部と思われます。軌道予測不可、迎撃出来ません」

「駄目か……」                     

 正義が自らにある事は明白であっても、無念を晴らす反駁さえ出来ない惨苦と胸の張り裂ける哀しみは消える事もなく、正義の叫びが天に届く事はない。それでも男は声を震わせ、血の涙を流しながら高らかに叫ぶ。

「神の国たるA国の崇高なる誇りを護るべき指導者として、今日の今日までまで正義の意志を貫く事だけは出来た。A国、万歳、万歳……」

 男が叫んだその時、B国の核ミサイルがA国総司令部に着弾した。


 A国は敗戦し中枢部は叩き潰され、結果的に5000万人を超えるA国民が犠牲になった。そしてA国は二分され、南エリアをB国が併合し北エリアをC国が植民地化するに至った。世界地図からA国が消滅した。

 戦争とは不思議なもので、どちらに正義があるのかではなく、どちらが勝ったかで正悪が決まる。勝てば官軍、負ければ賊軍でしかない。



 部屋の中空に男の魂が浮いている。本来、身内に見送られて100歳で逝く予定だった男は、若干45歳で誰に看取られる事もなく死んだ。その躯は核爆弾で木っ端微塵に吹き飛び、天国に行く事になっていた魂は天国どころか地獄にも行けずに現世で消滅する事になる。

 男にとって本当にそれで良かったのか、或いは何事もなく天国へ行く方が幸せだったのか……。


 その部屋で、中空の魂をじっと見据える悪魔の姿があった。悪魔の謀計シナリオはクライマックスで終了し、当初の予定通りの成果を上げたようにも見える。にも拘らず、悪魔の表情は硬い。

 悪魔が使った手法は気をてらったものではなく古臭いオーソドックスなものだった。基本に忠実に、まずは地位や名誉を与え人生の勝利者としての成功を味合わせて高揚感を極限まで引き上げた後で、タイミングを見計らってクライマックスでジェットコースターのように一気に崖から転げ落とす、最もオーソドックスな手法だ。


 悪魔は単純に人に幸せを与えるなんて事はしない。意味もなく幸福感に満たされた夢を見せるなんて事もしない。もしも一時的、表面的にそう見えたとするなら、それは単なる仮の夢なのであって本当に見せたい夢はその後の地獄なのだ。そして、その時に人が絶望し発する悲痛な叫びや悲嘆や悲哀こそ、悪魔が涎を垂らして欲するスペシャルディナーの報酬だ。魂などは調理が面倒で、悪魔の口には合わない。

 しかも、戦争絡みであれば得られる報酬ディナーは極端に豪華になり、思う存分に味わう事が出来る。だから、今回も悪魔の目的は最初から魂ではなく戦争で絶望した人々の悲哀を喰らう事だったし、計画通り導かれた男は絶望の中で死んだ筈。手順に間違いはない。

 それなのに……男の死に顔は口角を上げて満足げに微笑んでいるようにしか見えない、その理由は悪魔には理解出来ない。

 悪魔が人に満足を与える事など絶対にあってはならない。与えるのは不幸、悪魔の仕事は人間を悲鳴と絶望に包んで地獄へと堕とす事であって、満足や歓喜の類を与えるのは悪魔失格だ。悪魔は人に悪夢を見せてこそ資格があり、失望と絶望、悲哀に貶めてこその悪魔なのに、幸福を与えるとは悪魔として何とも情けない。


 苦虫を噛み潰した顔で唸りを上げる悪魔に向かって、丸呑みにされた魔獣の口から這い出た天使の声がした。


「どうした悪魔よ、お前の浅薄な考えの通りになったではないか。満足だろう?」

「煩い、失敗だ」

「そうなのか。A国の国民の約半数が核爆弾で死滅してしまったのだぞ。とんでもない愚かしい結果だ。尤も、お前にとっては5000万人の絶望や悲哀を喰らう事が出来てさぞや満足だろうがな」

 悪魔が不満を顕にした。

「満足なもんか。オレの知らない間に悪魔法の改正があって、絶望や悲哀を喰らう事に条件が付いたんだよ」


 悪魔が謀計シナリオの完遂に夢中になっている間に、悪魔界の根本的な法律である悪魔法が改正され「特定報酬等取得条項」なのものが追加されていたのだ。

 追加された悪魔法「特定報酬等取得条項」とは、悪魔が戦争教唆きょうさ等の特定の手段で魂及び絶望、悲哀その他に類する報酬を得るには「扇動者自身の絶望」を絶対的必要条件とするものである。つまり、悪魔が目の前にある大量の好物に有り付く為には、男を絶望に貶める事が必要であり、男が絶望した事を悪魔裁判所が認めなければならない。

 それなのに、それなのに、あぁそれなのに、男の魂は悪魔に向かって満面の微笑みを浮かべているようにしか見えない。悪魔裁判所からの結果通知は未だ来ていないが、ほぼ100パーセント駄目に違いない。


「こいつの顔を見ろ、満足げな顔しやがって。こいつが絶望して沼田のた打ち回わらなけりゃオレの悪魔としての報酬はゼロなんだよ」

「そうなのか、それは残念だったな」

 天使が見下すように薄笑いを浮かべる横で、悪魔の舌打ちが聞こえ愚痴が止まらない。

「一体全体こいつは何に満足しているんだ、全くわからねぇ」


 悪魔は何度も謀計シナリオを振り返って検証したが、過誤は見当たらない。悪魔法の改正は運が悪かったとしか考えようがないとしても、何故男は満足げに笑っているのだろうか。

 A国民の半数が犠牲になったのだから、必然的にその戦争の指導者たる男は絶望する……筈なのだ。何も手抜かりなどない。手法も基本的なものだ。主役の男にしても、理由があって特定した訳ではなく偶々選んだに過ぎない。ストーリーも思惑通りに展開した。悪魔にミスは何もない。             


「悪魔よ、良い事を教えてやろう。神様がこの惨状をお嘆きになり、全てを夢として復元してくださる事になった。世界は元に戻るのだ、感謝するが良い。尤も、それはつまり悪魔裁判所がお前のやった事を全て否認したと言うことでもあるがな」

「余計な事をしやがって、誰が感謝なんかするかよ。今回は失敗だ、復元でも何でもするがいいさ」

 悪魔の不貞腐れた声がした。

「悪魔よ、そう言えばお前はその男に「いい夢見せてやる」とか言ったが、お前の愚かな謀計のせいでその男は天国には行けず、地獄へ行って転生する事も出来ずに、現世で消滅せざるを得なくなってしまったのだぞ。さぞやお前を恨んでいる事だろうな」

 天使のトンチンカンな言葉に違和感がある。悪魔としては、恨んでくれる程悲嘆したのならそれはそれで嬉しい事なのだ。悪魔は皮肉たっぷりの天使の言葉に悔しい思いをする事もない。何故なら悪魔だからだ。

「恨むだと、それならそれでいいさ。ちょっとした暇潰しにはなったからな。それより、こいつは一体何なんだ。普通これだけ理不尽な事をすれば絶望するだろ。それなのにこいつは笑ってやがる、どうかしてるぜ」

 悔し紛れにそう言った悪魔は何度も男の笑顔に腹を立てた。男は間違いなく絶望の中で死んだにも拘わらず、死に顔には間違いなく微笑が見える。あり得ない。


「悪魔よ、お前にはわからないだろうが、人には何物にも替え難い絶対的な思いがあるのだ」

「絶対的な思い、何だそりゃ?」

「それはな、「人としての矜恃プライド」だ」

「何だそりゃ、下らねぇ」


「悪魔よ、残念だがのはお前の方だ。悪魔の学校で習わなかったか、人とはそういう生き物なのだ。そんな事も知らないとは、何とも愚かだな」

 言い返す事も出来ず、悪魔は悔しそうに消え去った。

      

 人とはつくづく不思議で馬鹿げた、そして訳のわからない生き物だ。我が儘で碌でもなく極端にいい加減でボンクラな生き物のくせに、矜恃プライドの為なら命を懸ける事でさえ「幸福しあわせ」に変えてしまう。


 例え、それが脳内幸福物質セロトニンの創り出す錯覚だとしても。


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