悪意のない取り違えに関する注意喚起


 カクヨムをはじめ、小説投稿サイトのエッセイ・ノンフィクション作品には、一般人だからこそ書ける経験や、知識・知恵というものが多数ある。

 その中には思わず「自分も試してみよう」と行動に移してみたり、「この人の意見を参考にしよう」と感化されるものも含まれている。

 だが、どうだろうか……その内容は本当に正しいのか?



 一昔前に「発掘!あるある大事典」というテレビ番組があった。
 日曜日の夜、様々な分野の情報(といっても健康方面が主だったが)を教えてくれるもので、それなりに人気があった。
 特集された食材はスーパー各地で「あの【あるある大事典】で取り上げられた」とポップアップがつき、売り上げが著しく上がるくらい影響もあった。

 そんな番組だったが、結果データや教授らのコメントを偽っていたことが発覚し、打ち切りになった。


 なぜ多くの人がデマ情報にのったのか。
 リアル(現実・事実)とリアリティ(現実性・尤もらしさ)は正確には違う。リアリティには嘘や虚偽を混ぜられるからだ。
 違うが、人はそれを同じだと見なす。なぜなら、リアリティは「嘘を事実と認識する度合い」を示しているから。

「テレビの情報だから」「現役の教授がコメントしたから」「説明・原理も自然に見えるから」と安心して、スーパーに足を運んだのである。



 この作品は主に書き手(情報の発信側)に対して、投稿する情報の真偽の確認をするように願っている。

 無料で誰でも情報を載せられる場では、「ファクトチェックは読み手の仕事だ」「信頼のおける情報が欲しいなら余所をあたれ」という意見――自己責任論が強くなる。

 その意見は概ねは正しい。だが、それは「書き手が何を書こうが無罪である」ことを意味しない。
 単なる愚痴であろうが、個人の経験則であろうが、市場のデータであろうが、人気があろうがなかろうが、
 書き手の作品は、読み手の心理や行動に影響を与える可能性がある。
 それが「事実に基づくこと」が前提の作品であれば、尚のことなのだ。


 リアルとリアリティの取り違えは、前述の「あるある大事典」のような意図的なケースもあれば、
 騙す気はなかった、悪意はなかったというケースもある。
 前者はともかく、後者は悲しいすれ違いを生むことも多い。

 この作品の訴えは、充実したカクヨムライフを送る上での、大切な約束事だろうと思われた。