悪意のない取り違えに関する注意喚起
- ★★★ Excellent!!!
カクヨムをはじめ、小説投稿サイトのエッセイ・ノンフィクション作品には、一般人だからこそ書ける経験や、知識・知恵というものが多数ある。
その中には思わず「自分も試してみよう」と行動に移してみたり、「この人の意見を参考にしよう」と感化されるものも含まれている。
だが、どうだろうか……その内容は本当に正しいのか?
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一昔前に「発掘!あるある大事典」というテレビ番組があった。
日曜日の夜、様々な分野の情報(といっても健康方面が主だったが)を教えてくれるもので、それなりに人気があった。
特集された食材はスーパー各地で「あの【あるある大事典】で取り上げられた」とポップアップがつき、売り上げが著しく上がるくらい影響もあった。
そんな番組だったが、結果データや教授らのコメントを偽っていたことが発覚し、打ち切りになった。
なぜ多くの人がデマ情報にのったのか。
リアル(現実・事実)とリアリティ(現実性・尤もらしさ)は正確には違う。リアリティには嘘や虚偽を混ぜられるからだ。
違うが、人はそれを同じだと見なす。なぜなら、リアリティは「嘘を事実と認識する度合い」を示しているから。
「テレビの情報だから」「現役の教授がコメントしたから」「説明・原理も自然に見えるから」と安心して、スーパーに足を運んだのである。
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この作品は主に書き手(情報の発信側)に対して、投稿する情報の真偽の確認をするように願っている。
無料で誰でも情報を載せられる場では、「ファクトチェックは読み手の仕事だ」「信頼のおける情報が欲しいなら余所をあたれ」という意見――自己責任論が強くなる。
その意見は概ねは正しい。だが、それは「書き手が何を書こうが無罪である」ことを意味しない。
単なる愚痴であろうが、個人の経験則であろうが、市場のデータであろうが、人気があろうがなかろうが、
書き手の作品は、読み手の心理や行動に影響を与える可能性がある。
それが「事実に基づくこと」が前提の作品であれば、尚のことなのだ。
リアルとリアリティの取り違えは、前述の「あるある大事典」のような意図的なケースもあれば、
騙す気はなかった、悪意はなかったというケースもある。
前者はともかく、後者は悲しいすれ違いを生むことも多い。
この作品の訴えは、充実したカクヨムライフを送る上での、大切な約束事だろうと思われた。