yell for……

トム

yell for



 じゃり、じゃり……。


 ふと見上げた空は水色をして、薄っすらと雲が見える。冬の時期は過ぎ、日によっては暖かく感じられるようになった。遠くに子供たちの声が聞こえ、その笑い声はとても楽しそうだ。不意に首筋を撫でる風が冷たく感じ、首を縮めて周りを見渡すと、川の中に佇んでいた鷺が飛び立った。


 川沿いの土手を歩くこの瞬間が、心が落ち着く。足元は舗装されていない砂利道で、幅もそこまで広くない。夕方になる少し前のなんとも言えない気だるい時間。普段なら今はまだ仕事に追われ、景色を見るなんて事はとてもじゃないが……。


 ふと足を止め、河川敷を望む場所で腰を下ろす。そこでは少年たちが野球をしている。まだ小学生くらいだろうか、皆同じチームのユニフォームを着てはいるが、バッターボックスに入った彼のヘルメットは少し大きそうで、一振りする度、くるりとズレた。


 ……カウントがどうなっているのかは分からない。だが、同じユニフォームを着た部員たちは必死に声を出して応援している。得点表もここからは見えず、勝っているのかどうかも定かではない。ただそれでも互いに一生懸命で、ピッチャーはマウンドから、そしてバッターはボックスから。視線はただその白球に向けて送られている。



 ――頑張れ!



 それは言葉に出してはいない。ただ、思っただけ。心の中で呟いただけだ。


 ――カイン!


 快音とまでは行かない打撃音とともに、詰まった打球はピッチャーの横をバウンドしていく。ヘルメットを投げ捨て走り出す彼と、転がる球を追う守備人。果たして結果は……。


 PiPiPiPi……!


 スーツの胸ポケットに入れたスマホが鳴る。慌てて画面を確認し、スワイプする。


「はい、もしもし」

『……おとうさん?』


 電話口の向こうから聴こえたのは、若干大人びたのか、少し声音は変わっているが何年振りかになる、聞き覚えがある声。


「……優馬か?」

『……うん』


 相変わらず、口数の少ない奴だと思いながらも、考えてみればそうもなるかと思い直す。……あの頃の俺は酷かったから。


「どうだった? 今日、発表だったんだろう?」

『うん……受かった』


 その言葉が聴こえた瞬間、眼の前には小さかった頃の彼の姿が幾つも見え、一気に胸の詰まる思いがする。迫り上がってきた物を何とか抑え込み、声を震わさないよう気をつけて、小さく何とか絞り出す。


「……そうか、おめでとう。これからはお前も立派な社会人だな」

『……ありがとう。……母さんに代わる?』

「……あぁ」


 直後、代わった彼女の声はすべからく平坦で、あくまで事務的な話し方で用件のみを、一方的に告げて切られてしまう。彼や彼女と別に暮らすようになって、十年以上が過ぎてしまった。今思えば些細なことだったと思うが、掛け違えてしまったボタンはどんどんズレて行ってしまい、遂にはどうしようもない程に大きな溝が出来ていた。当時の俺はそれを戻す気も器も持てなかった結果、たった一人でここに座っている訳だ。


 ぼんやりと視線を向けた先、そこではさっきの少年が、トボトボベンチに向かって歩いていく。



 ――頑張れ! 



 そのエールは誰に宛てたものだろう。頬を伝う物を手で擦り立ち上がって埃を叩くと、いつの間にか赤く染まり始めた空に向かって、そう呟いて胸を張って歩き始める。


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yell for…… トム @tompsun50

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