第15話 阻む草原の騎兵
赤い影が夜空に微笑むミーナールの輝きの下を走り去っていきました。
その背には毛むくじゃらのドギンと大男のデーンが赤い馬の姿をしたアムファンの鬣にしがみついていました。
ドギンは後ろを振り返り、つい先ほど見た景色をあっという間に置いていく様子を見ながらデーンに言いました。
「どうやら、追手を撒けたようですね」
デーンは険しい表情のまま言いました。
「いいや、俺が追う者であれば峠に先回りすることを選ぶ。そうやって挟み撃ちにするさ」
ドギンはそれを聞いて疲れた様子でした。
そうなると眠るにしてもほんの僅かな時間しか取れないだろうと思われたからです。
「まるで犬に追いかけられる羊の気分です」
愚痴をこぼすドギンにデーンは笑いました。
「何、挟まれないうちに峠に入ればいい。そうすりゃ、正面の事なんざ気にせずに済むさ」
それを聞いてもまだ、ドギンは浮かない顔をしていました。
「アムル殿がご無事であればいいのですが」
それを聞いてもアムファンは正面を向いたままで、デーンも。
「俺は草原については知らないことだらけだがな、知ってる中でもあれは草原随一の勇者だ。そう簡単にやられはしないさ」
と言ったので、ドギンは向き直りました。
それからより夜空と暗闇が濃くなるまで走り、一度休むことになりました。
火種は付けず、空から降り注ぐ星の光を頼りに眠りについたのです。
それから目が覚めると先にアムファンが目を覚まして二人が目を覚ます前には既に身なりを整えて居ました。
つむじ野は草花の波間が風によってつむじのように渦巻いて靡くので、そう言われております。
そのため春風が何度も強く吹くので、少し肌寒く、顔に当たる風ですっかり冷えてしまうのです。
それから昼も夜も歩き続け、それを十二日も間繰り返して、峠の前までやってきました。
草原と山々の境目ははっきりと分かれて、明らかに木々が広がって、木の頭が段になって高くなっていました。
辺りを見渡すと人一人もの姿も見当たらず、どうやらオビゴド達は間に合わなかった様でした。
それを見て、ようやく三人は一息ついて、その場にへたりこんでしまいました。
疲れていてドギンの視界も少しぼやけていて、とにかく休まねば、体調を悪化させてしまうだろう、と思った矢先、デーンが木陰で休むことを提案したので、三人は峠の森に体を隠して休みました。
相変わらず火をつけたりはせず、乾燥させた食料を齧ったり、水の魔術で出した清潔な水を飲んで、体を大の字にして少しでも体力が戻るように徹していました。
「これから山を登って行くんですよね?私、山人に会ったことがないのですが、どのような方々なのですか?」
アムファンが寝そべりながらデーンに尋ねました。
汗を拭きながらデーンは言いました。
「お前さんも、おとぎ話とかで耳にした事があるだろうが、奴さんは文字通り山の中で暮らしている。頑固で偏屈な連中でな、あまり外と関わりたがらない。特に、森人とはな」
皆様には山人と森人の因縁について説明せねば、デーンの言いたい事も伝わらぬと思いますので、ここで語らさせていただきます。
それについてまずは、山人の起こりについて、ジャムカが軽く語っていましたが、丁度、その頃の話でございます。
大神様によって邪竜に襲われた七人の山人の祖先は森人に助けを求めたのです。
物語の初めにも語りましたが、森人というのは善なる者たちで、エルの窮地に立ち向かう者たちであります。
なので、山人達は真っ先に森人に助力を求めたわけでございます。
しかし、森人達はそれを拒んだのです。
当時の森人の上級王、星空の光を受けしガラルギレン様は、森人達が邪竜を恐れていた事、そして大神様が山人を滅ぼそうとしたという事はむしろ山人の方がエルにおける脅威である事、その二つを理由に、助力に応じなかったのです。
ガラルギレン様は勇敢で偉大な森人でございます。
詳しくは脇道に逸れてしまうのでここでは語りませんが、太古の時代において特筆すべき御方でございます。
しかし、ガラルギレン様でさえも、邪竜の持つ、恐怖を内から湧き上がらせるような醜悪な姿を見て、恐れ戦いたのでございます。
よって、七人の山人の祖は助けもなしに立ち向かわねばならず、結果として退治しましたが、この事で山人達は森人に対して強い不信感を抱かざるを得ませんでした。
山人とは、とても頑固で義理堅い人々なので、子々孫々までこの不信感や恨みは受け継がれ、特に、七人の祖の中で邪竜を討ち取った石の裂け目山に暮らすモバリ王国の山人の一族や民は、森人を激しく憎んでいました。
そして、一行の目指すくろがね山のナズロルンの主、赤猪のトーリンはモバリ王国から婿養子としてやってきた一族の末裔であり、山人の上級王と親類にあたる御方でした。
義理堅い山人にとって血の分けた者の恨みは自分の恨みとも言え、モバリの人々に比べれば遥かに"マシ"ですが、それでも他の山人の王たちと比べて森人への不信感は強く根付いておりました。
つまりは、石の裂け目山の人々に比べれば遥かにマシですが、森人の特使たるドギン達を快く受け入れてくれるか、微妙な因縁に会ったわけでございます。
「それと小鬼の事も嫌いですよ」
自嘲気味にドギンがそう言いました。
デーンはぼんやりと森の天井を見ながら言いました。
「アムストルムの禍、だな?」
ドギンは頷きます。
「はい。彼の穢れの王は七祖の内、ハラードの一族の住まう瑠璃山を攻め滅ぼした時の話です。下水溝を潰して洞穴の門から水を流し入れ、水責めにして滅ぼしたとされています。王子だったスロイン二世とそのお供は山を離れていて一族の血だけは絶えませんでした。しかし、それ以外の民や一族郎党は山の中で息絶えました」
アムファンは悲しげに眉をひそめてドギンに尋ねました。
「私はドギンくん以外の小鬼を知りません。小鬼というのはそういうものなのでしょうか?」
ドギンは言いました。
「小鬼は確かに生まれながらにして憎しみに支配されていますが、私からしてみればそれは子供と同じようなものなんだと思います。無邪気で残酷、善と悪の分別すらもつかない、そういう者たちである、と」
そう話した後、眉を吊り上がらせて、毛の間から目を覗かせてアムファンに言いました。
「しかし、禍だとか、穢れの王だとか、言われる事から分かる通り、彼の者には矮小な者には無い悪意と人の命を損なっても成す願望、つまりは野望というものが文献からして明らかに伝わってくるのです。アレは小鬼などではありません。
とても恨めしさの籠る言葉にどこか、ドギンの目にも爛々と燃える憎しみの炎が映っているようで、アムファンはその目を見て、ドギンと厩で初めて言葉を交わした時の事を思い出したのです。
「でも、私たちはドギンくんの事、分かっています。すぐ近くで見てきたから」
アムファンがそういうと、ドギンは我に返ったようにいつものぼんやりとした呑気な顔をしました。
デーンも言いました。
「そうだとも。何だかんだ半年以上はお前さんと一緒にいるが、お前をそんな奴らと一緒だとは一度たりとも思った事はねぇ」
二人の言葉にほっとした様子のドギンでしたが、そのとんがった耳が何かを報せたようでした。
「二人ともこの場を離れましょう、彼らは既にここに居たようです!」
そう話しているうちにデーンとアムファンの耳にも、大勢の馬が地を揺らす蹄鉄の音を響かせて、こちらに近づいてきているのが届きました。
デーンが呼びかける前にアムファンは草にかじりつき、直ぐに馬の姿に変わると、二人はその背に跨って峠の道に出て、山を登りました。
「見つけたぞ小鬼!」
禿げた頭と三股髭のオビゴド、髭飾りを騒々しく鳴らすセンウ族の長ヤムに、肥えた体のジャムカ、そして大勢の汗国の騎兵達が、草も、花も、木の枝も、何もかもを踏みつぶして迫りました。
「か、閣下、私にお任せ下さい。私の吹き矢であの馬を止めてみせましょう!」
オビゴドは被造物が喚く様を眺める創造主のような冷ややかで、その愚行を咎めるような鋭い目でヤムを睨みつけました。
「馬鹿者め、それではバランドゥイルが死ぬではないか。俺の計画を火に焚べて灰にしてしまうつもりか?」
睨みつけられたヤムは竦み上がり、それではどのようにするのか、恐る恐る尋ねるとジャムカが言いました。
「それではあの小鬼を狙ってみては如何ですかな?アムファン様はあの小鬼にご執心な様子、ミスリルの鎖帷子では守れない手や膝裏を狙えば宜しいかと」
それを聞いたヤムは狙いをすませ、その笛のような筒の口をドギンに向けました。
吹き矢は森において弓よりも正確に遠くに撃つことが出来ました。
ヤムが息を吹き込むだけで、その矢の切っ先は木々の腕と指先のほんの僅かな隙間を針の糸を通すかのように穿ち、ドギンに迫りました。
しかし、ドギンには精霊の領域、つまりは霊域をも見透すことの出来る優れた知覚がヤムの脅威を報せ、すぐさまに護符を切り、風人を呼びました。
砂埃が舞うつむじ風と共に風人が現れると、主人の危機を感じ取って、
しかし、ドギンとしては残りの護符が少なくなってきて、残すのもあと三枚程で、致命的な一撃を逃れたとはいえここで切らざるを得なかった事に苦虫を噛み潰したような気持ちでした。
「アムファン嬢なら、このまま距離を離して森をぬけた岩肌の道を進める。今のがなければそれすら危うかった」
デーンがそう言ってドギンの頭を撫でると一安心の様子を見せたドギンですが、追いし者達は草原きっての精鋭たち、矢の嵐を前に風人の魔術も虚しく打ち倒されてしまいました。
再びヤムの吹き矢が襲いかかりましたが、今度はドギンが予め、矢避けの呪いを唱えていたお陰で難を逃れました。
しかし、山道は水をたっぷりと含んだ柔らかな土が成す悪路が颯爽と走り去る事を許さず、アムファンの息遣いが荒くなって、背後の脅威を感じさせました。
鎧がぎらりと光る騎馬の軍勢は槍の切っ先を輝かせてあと少しまで迫ろうとしていました。
木々の隙間が広がるように岩肌ばかりの道が見えた時にデーンが言いました。
「ドギン、このままじゃ埒が明かない。別の精霊を呼べ!」
ドギンはなりふり構わず護符を切ると、柔らかな土から水が湧き出て、水の乙女が姿を現すと、その泥水が濁流となって迫る草原の騎兵達を遠くへと押し流していくのでした。
これを好機と見たドギン達は悪路を抜け、岩肌と山々に囲まれた峠道を駆けました。
土の上を蹄で蹴る度に乾いた砂が舞い上がり、柔らかな青空から燦燦と降り注ぐヘルロス様の御光が照らすだけでした。
水車のように回した脚も緩やかになったかと思えば、少しづつアムファンの体が人に戻っていくのを感じたドギンは飛び降りて、逃げる前に脱げ落ちたアムファンの服を掛けてやりました。
危うくその肉体を晒すところだったアムファンは息も切れ切れになりながらもドギンに礼を言うと、二人が
「お二人には助けられました」
ドギンがそう言うとアムファンは被りを振り、デーンはドギンをほめました。
「お前さんがいなかった撒くことは叶わんかったさ」
それからは少し休んでから歩を進めました。
追っ手も奇異の眼差しの気配もない旅路というのは大変、清々しいものでした。
誰に急かされるわけでもなく、それぞれの足並みに合わせて進む訳ですから、これほど気の休まるものはありません。
森人のすぐ来たる出来事は人にとっての四半世紀でございます。
我らがドギンくん達にとっては、最大限の猶予(銀の君はその点を加味して、ドギンに伝えたのかもしれませんが)でしたので、のんびりとした旅になったわけでございます。
緩やかな斜面が幾つも連なり、その頂きには綿のような柔らかな霧が立っていました。
斜面の下を見れば茨藻川が進むに従って湿度の高い煙を斜面にピッタリと張り付くように吹かせ、霧吹山脈と呼ばれる由縁を如実にしました。
湯気たつ泉の地下都市、くろがね山のナズロルンまで、ほんのわずかでした。
ドギンと光の宝玉(旧版) あましゅが @amasugar1234
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