第14話 茨藻川の合戦

 夜が更けて、叢雲が月を朧げにして、星の輝きも地上に届かない深い闇夜でした。

 松明がいくつも並び、ジョチフ族の長ロムスンは、これからセンウ族と戦うアムルと、森人の定めを変えるべく、そして、娘を守るために旅に出るドギン一行を集落の外まで見送りに来ました。

 ロムスンはドギンの手を握って言いました。

「今日まで娘の事を守ってくれて助かった。これからも頼んだぞ、ドギン殿」

 握る手は力強く、ゴツゴツとした手のひらの感触が伝わり、この大きな手に応えるようにドギンは言いました。

「こちらこそ、お世話になりました。アムファンさんの事は、私が守ります」

 そう言い終わらぬうちに、ロムスンはドギンを抱きしめました。

 突然の事に慌てるドギンでしたが、制止してロムスンは言いました。

「あの子が、声を荒らげている所なんて初めて見た。お主の事をよっぽど気に入っているようだ」

 これまでにないくらいに落ち着いた、優しい声で、禿鷹のような顔が愛する子供を慈しむような顔に見えて、ドギンは驚きましたが、しっかりと受け止めて言いました。

「僕は、あなたの事を父のように思ってます」

 それを聞いたロムスンも軽口を混じえて答えました。

「わしも、出来は悪いが、もう一人息子が出来たような気分だった」

 それから腕をほどいた時には、いつもの禿鷹のような顔に戻っていました。

 今度はデーンに向けて言いました。

「貴殿は、よく行商との交渉や巡回に協力してくれた。森人の国の一等航海士よ、どうか、娘とこの小鬼を導いてやってくれ」

 それを聞いたデーンも胸に手を当てて誇らしげに言いました。

「任せてください、旦那。俺はコイツの旅の道連れ、一緒に旅をしてきたんだから、アンタの娘さんのこともしっかり守りますよ」

 そんな調子の良い事を言うのでロムスンは笑い、そしてきらびやかな鎧に身を包むアムルを見て言いました。

「戦果は上げなくてもいい、皆と無事に帰還を果たせ」

 それを聞いたアムルは膝をつき、答えました。

「アウリの名に懸けて!」

 ロムスンはアムルを立たせて、アムファンも呼んで二人を抱きしめました。

「いいか、わしの大事な子らよ。お前たちが無事であれば、それでいい。お前たちが空の下を自由に生きていれば、それでいい。何も望むことは無いんだ」

 それを聞いたアムファンは瞳に涙を浮かべました。

 それからロムスンは誰にも聞かれないように馬語でアムファンに尋ねました。

「あの時、わしの前で申したことは今も変わらぬか?」

 アムファンは。

「はい、アウリ。今も、ドギンくんの事を」

 と言い終わらぬうちにロムスンは、分かったとも、言わなくても良い、と言葉を遮りました。

「でも、救われた事は事実です。だから、ドギンくんと旅をしたいのです」

 アムファンの言葉を聞いたロムスンはため息をついて言いました。

「なら、手綱を握られるなよ、お前が握るんだ。彼が道を誤らぬように、お前の蹄で導いてやるんだ」

 それを聞いたアムファンは笑みを零すように嘶き、答えました。

「勿論です!」

 こうしてロムスンが三人と一頭に話し終えると、騎兵たちに一人ずつ話しかけに周りました。

 怪我は大したことは無いか、身体の弱いそなたの祖母は元気か、恋人と上手くやれているか、それぞれに会話を交し、その暖かな心に騎兵たちも心を打たれました。

 そして、最後の一人と話し合えると、今度はアムルがその場に居たものたちに向けて叫びました。

「今宵は長い戦いになる!暗闇に包まれた草原を往かねばならないが、君たちの隣には仲間がいる!一つの松明も幾千も集まれば、闇は逃げ去り、地上に光る星となろう!愛する家族のため、友のため、恋人のため、いざ、前進!」

 その号令と共に、騎兵たちは雄叫びを上げ、旗を風に靡かせて、集落を後にしました。

「私達も行きましょう」

 ドギンがそう言うと、アムファンことバランドゥイルが駆け寄り、ドギンとデーンはその背中に跨って、瞬く間に、走り去りました。

 ドギンは振り返って、背中を見送るロムスンに向かって言いました。

「ありがとうございます!どうか、お体にお気をつけて!」

 私も振り返って、穏やかなアウリの顔を見ました。

 これが、わたしと、ドギンくんが最後に見たアウリ、ロムスンの顔だとは知らずに去ったのです。



 ドギン一行は北東を進み、なるべく戦場を避けて通ることにしました。

 二千にもなる松明の明かりが遠くに見え、静かな草原も、今は鉄がぶつかり合い、蹄鉄が大地を踏む音で騒がしく、悲鳴が響き渡っていました。

 我らがドギンくんの目や耳はそれを他のものよりもよく感じ取りました。

 鬣を掴む手は少し震えているようにも感じられ、それを察したデーンも叱咤しました。

「気を強く持て、ここからだぞ」

 それを聞いてドギンは頷きました。

「はい...!」

 ドギンは身体に走る痛みに耐えながら姿隠しの呪いを唱えて、自分もデーンもアムファンの姿も闇夜に透き通って溶けるように、隠しました。

 二千の騎兵が闇夜に松明を持って戦えば、明かりが照らし出さない闇がより一層濃くなり、そうなれば明るい方を頼りにしてしまいます。

 それを見越してデーンはそのようにアムルに伝え、その隙に動く作戦を立てたわけでございます。

 我らがドギンくんが姿隠しの呪いを唱えたのは、万が一、逃げ出した兵士と鉢合わせしないようにするためのもの、というわけです。

 この作戦は万事上手く行きました。

 何度か敗走するセンウ族の騎兵とすれ違いましたが、誰一人としてドギン一行の姿を目にしたものはおらず、センウ族としてもまさかこれが陽動だとは気づくものもいませんでした。

 圧倒的なまでに敵を薙ぎ倒すアムルを見て皆、口々に、ヴォロル・アムル!と呼び、恐れを生して、センウ族にとってそれどころではありませんでした。

 アムルが槍を突き出せば、敵は次々と地に伏し、敵が武器を振り下ろせば、防いで打ち込んだ敵の身体ごと持ち上げて投げ飛ばされ、敵は脳天から叩き落とされました。

 そんな壮絶なる戦いの最中、ドギン達はとにかく茨藻川を目指して、闇夜の草原を走りました。

 アムファンが走り去った後には風が吹き荒れ、草は波を立てて靡き、まさに馬の姿が見えなければ、風の精霊が通ったのだと思うほどでした。

 あっという間に川沿いの近くまで到着すると、一度、足を止めて様子を伺いました。

 川沿いを隙間なくサイファン族の騎兵が旗を靡かせて、並んで待っていました。

 辺りは恐ろしい程に静まり返り、一糸乱れぬ様子は不気味さを放っていました。

 声を潜めながらドギンは言いました。

「矢張り、彼らは動きませんね」

 それを聞いていたデーンもまた頷きました。

「あぁ、奴らからしたら他の部族なんて使い捨ての手駒なんだろうよ」

 嫌悪感をたっぷりと含ませた言い方をするデーンにドギンもまた汗国の威を借るサイファン族へ怒りを募らせました。

 一泡吹かせなければ気も済まないと思ったドギン達はもうひとつの作戦に移りました。

 暗闇の中を駆け抜け、デーンの手に握られた鉛玉の導火線に火をつけ、群がるサイファン族の騎兵たちに向けて投げつけました。

 鉛玉はふんわりと弧を描いて飛び、一人の騎兵の足元に転がると、暗闇を切り裂くように強い光を放った刹那、鉛の破片を飛び散らせながら爆ぜました。

 馬は吹っ飛び、それと共に兵士も吹っ飛び、破片が散らばって鎧を貫いて肌を傷つけ、多くの悲鳴が上がりました。

 暗闇の中に投じられた一つの火薬が混乱を呼び、それが波のように広がると、いくら歴戦の猛者たちとは言え、統率の取れない烏合の衆と化したのです。

 ドギン達にかけられた呪いも解けてしまったのですが、暗闇だったために見つけ出すことは出来ず、突如と爆発した事にサイファン族の騎兵達は恐怖を感じずには居られませんでした。

 なんとか松明をつけて、状況を把握しようとした冷静な兵士も居ましたが、探すのに一苦労している様子でした。

 その動揺を狙ってドギン達は騎兵たちの方へと飛び込んでいきました。

「風の精霊よ、我が呼び声に、応えよ!」

 ドギンが一枚の護符を宙に投げると、荒い風を纏った風人が姿を現して、その暴風を持って騎兵たちをなぎ払いました。

 もはや混乱は止まることすら出来ない状態で、ドギン達はその隙に騎兵たちと何度もすれ違いながら一気に川まで抜けました。

 川が目の前に見え、石が転がる河川敷まで来た時に、ドギンは優れた目に捉えた物を見て、慌ててアムファンに言いました。

「アムファンさん、川を飛び越えて!」

 すかさずアムファンは足場の悪い河川敷を蹴って、四間ほどの幅もある川を精悍たる健脚を伸ばして飛び越えました。

 勢い余って数歩進みましたが無事着地すると二人と一頭は振り返って川底を見ました。

 するとなんということでしょうか、川底の茨藻で隠された鉄鎖がピンッと張り巡らされているではありませんか。

 そして、向き直るとぞろぞろと騎兵たちを率いて、恐るべき鉄鎖使いオビゴドと、裏切り者のジャムカが先頭になって現れたのです。

 そして騎兵たちが槍を突き出しながらドギン達の周りを囲い込むと、暗闇すらも飲み込むような愉快な笑い声を上げてオビゴドは言いました。

「待っておったぞ、バランドゥイル!」

 背中の方は静まり返って明かりで照らされているのを感じ、ドギンは全てこの男たちの想定内であった事を悟りました。

 いやらしい視線をアムファンに向けるオビゴドにドギンは勇んで言いました。

「悪辣なる男め、誓って貴様らのような悪人にアムファンさんは渡さない!」

 それを聞いたオビゴドは冷めた目でドギンを見ました。

「あの時もそうだが、小鬼如きが善悪を語るなんぞ、笑止」

 そう言って首をこきりっと鳴らして、オビゴドは鉄鎖を握りました。

「どんなに綺麗事を語ろうが所詮、小鬼よ。死に絶えるがいい」

 しかし、ドギンはもう一枚、護符を使って風人を呼び寄せました。

 辺りに恐ろしく強い風が吹き荒れ、囲んでいた騎兵を払い除けると、目の前の人々を睨みつけて言いました。

「私は小鬼ですが、ただの小鬼ではない。ドギンです。森人を師事する者です。例えあなた達が否定しようとも、私は光を求めて藻掻くまで」

 一連の流れを見たジャムカはぽつりと言いました。

「精霊術、厄介な」

 陽動に回した風人も呼び戻し、ドギンはオビゴドに仕向けました。

 風人が吹かせた風は刃のように荒れ、草の葉の先が真っ二つに裂かれながらオビゴドに迫りました。

 オビゴドは見えない刃を見切って体を横に倒して避けましたが、頬に浅い切り傷を作り、後ろに居た騎兵の何人かは首を断たれて倒れました。

 刃を裂けても吹き荒れる風は止まず、草原を波立たせました。

 しかし、そんな強風が吹こうとも自在に鉄鎖を操り、錘を一人の風人に向けて投げ、眉間を砕きました。

 風人は眉間から何かを散らしながら風に吹かれた塵のように消え、唖然とするドギンにオビゴドは言いました。

「精霊とやらは初めて見るが、所詮は魔術の類なのだろう?俺がどれだけ楽と戦を交えたと思っている」

 歯軋りするドギンとは反対にアムファンはオビゴドが体勢を立て直す前に走りました。

 行き先にはジャムカが立ちはだかり、逃げ場を閉ざそうとしましたが、もう一人の風人の力でジャムカを川の方へ吹き飛ばし、何とか退路が絶たれるのを阻止しました。

 起き上がった勢いで鉄鎖を繰り出すオビゴドでしたが、風人が盾となり魔の手は届きませんでした。

 ドギン達はそのまま川沿いを走り抜け、その様子を見た騎兵達がオビゴドに指示を仰ぎました。

 オビゴドは伝令に本国へ向かって報告と追跡の正当性を伝えるように言い、オビゴド達は軍を率いて追いかけて、伝令とは峠の前で落ち合うことを指示して、軍勢を引き連れて向かおうとしました。

 しかし、オビゴドの思うようには行きませんでした。

 アムルと戦っていたセンウ族がオビゴドの方へとアムル率いるジョチフ族を引き連れて逃げてきたのです。

 ヤムは髭飾りを鳴らしながら額に汗を浮かべて、身体を震わせながらオビゴドの方へとやって来ました。

「申し訳ございません!閣下、アムルめがあまりにも恐ろしく、我々ではどうすることも出来ません!」

 それに怒りを顕にしながらも部下たちに命じて迎え撃つことにしました。

 アムルの軍勢は対岸までやってきており、そちらの警備にあたっていたサイファン族の騎兵たちもジョチフ族の猛攻に苦戦を強いられていました。

 川から身体を出したジャムカは戦いの様子を冷ややかな目で見ていました。

「なんと愚かな連中なんだろうか、こうして私の思い描いた景色をいとも容易く描くとは」

 そう言いながら、川の冷たさに震え、目で何かを探すように戦場を見ました。

 ばたり、またばたり、倒れる人と馬に踏みつけられる旗、夢の景色を見ながら喜ぶ素振りすら見せませんでした。

 むしろ、感情は何も湧か無かったのです。

「私の願望は、こんなにも呆気なく果たされるものなのか」

 戦いの対岸にいたオビゴド達も誰一人としてジャムカの方を見ていませんでした。

「私の抱いた憎しみと苦労とは何だったのか、よく分からなくなってきた」

 ずぶ濡れのジャムカは頬に水を滴らせながら独り言を呟きました。

 すると、突然ジャムカを呼ぶ、聞き馴染んだ声が聞こえてきました。

 声の方へ振り向くとそこには、錦の鎧に身を包む狼のような男が居ました。

「ジャムカ、ずぶ濡れで立ち尽くして何をしている?」

 馬上からアムルがそう言っているのを聞いたジャムカは、困り眉を浮かべて笑いながら刀を抜きました。

「貴方の方こそ、ここが戦場である事をお忘れでなくて?」

 しかし、意に返さないアムルはジャムカに尋ねました。

「ドギン殿やリャンは無事ここを抜けたか?」

 これを聞いたジャムカは、咄嗟にドギン達を捕まえたと嘘をつこうと思いました。

 そうすれば、彼らは戦わざるを得ないと思ったからですが、口を噤んでしまったのです。

 そうしているうちにアムルは言いました。

「そうか、彼らは行ったのだな」

 そうして、踵を返して軍を引き上げていきました。

 別れ際にアムルは言いました。

「風邪を引かぬようにな」

 そうして残されたジャムカに、吹き飛ばされても無事だった愛馬が寄ってきて頬擦りをしました。

「共に居すぎたようだ」

 勝鬨を上げるサイファン族の声が聞こえてきました。

 それからしばらくしてオビゴドがジャムカを見つけたようで、酷く冷淡な口調でドギンの後を追うのを手伝うよう言いました。

 ジャムカは馬に跨り、いつもの鈍臭い素振りで応えてからオビゴド達と共に馬を走らせました。

 対岸の方を見て、ジャムカはしばらくぼんやりしていました。

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