名も無き英雄たち
藤野 悠人
名も無き英雄たち
ゲーム開発の現場というのは、常に納期に追われ、時には戦場のような空気になることも少なくない。かくいう建人も、3日間会社に缶詰めになって、ようやく仕事を終えたばかりだった。
疲れた。帰りたい。しかしお腹は空いた。フラフラとした足取りでコンビニへ入った。気の抜けた電子音と共に、白々しい照明が彼を迎えた。
カゴを手に取り、カップ麺をいくつかと、レトルトカレー、そして、申し訳程度の小さなサラダパックと、コンビニ弁当と缶コーヒーを放り込み、レジに向かう。レジに立っているのは、最近よく見る大学生くらいの女の子だった。
「すみません、あと68番を……」
レジの後ろにある煙草の陳列を見ながらそう言うと、店員はすでに目当ての銘柄を持っていた。
「お客さんのタバコ、これで合ってましたよね」
「あ、それです……、覚えてくれてたんですか?」
建人は驚いて店員を見る。彼女はニコッと笑って答えた。
「いつも来てくれますから、覚えちゃいました。仕事帰りですか?」
「はい、そうです」
「いつもお疲れ様です」
アルバイトの女の子はそう言って、手際よく袋に商品を詰め、建人に手渡した。コンビニを出た建人の足取りは、さっきよりも少しだけ軽かった。
―――
お湯が出ない。年頃の乙女である彼女にとって、風呂に入れないというのは死活問題だった。しかも、今日はサークルの飲み会もあって、服や髪にはしっかりと煙草や揚げ物の匂いがついてしまっている。こんな状態で明日大学に行くなど、彼女には考えられないことであった。
慌てて管理会社に連絡を取ると、夜であるにもかかわらず、ガスの担当をしている業者のおじさんがやってきてくれた。おじさんはすぐに原因が分かったようで、ガスメーターを確認し、ちょこちょことそこをイジる。すると、何事も無かったかのようにお湯が出てきた。
「本当に、本当にありがとうございます!」
里菜はそう言って、何度も頭を下げる。おじさんは、にこやかに手を振って車に乗ると、
―――
「橋本さん、最近多いですね。無理な姿勢で仕事したりしてませんか?」
30代半ばくらいの整体師は、苦笑しつつ診察していた。
「最近はデスクワークが多くてよ。久しぶりに現場に行くってんで、少し動いたらこれなんだ」
橋本はやれやれとぼやく。世間で言う年寄りにはまだほど遠いが、それでも自分の体が着実に老いてきているのを感じる。ここ数年は特にそうだった。
「先生はまだ若いからいいけど、40過ぎたら気を付けなよ」
「私も、もうそんなに若くはないですよ」
整体師は苦笑した。
―――
仕事を終えて整骨院を閉めると、車に乗って保育園へと向かった。陽が落ちて、辺りも暗くなり始めていた。
保育園はまだ電気が点いており、何人かの子どもたちが親の迎えを待っていた。父親の存在に気付いた娘が、全力で父親に向かって駆けてくる。
「お父さん!」
飛び切りの笑顔を浮かべた娘を、和也はしっかりと受け止めた。後ろから、保育士の女性がやってきた。
「先生、いつもありがとうございます」
和也はそう言って、娘を抱き上げたまま小さく会釈をした。
「いえいえ。木下さんも、いつもお疲れ様です」
「ほら、先生にご挨拶」
和也は娘にそう促す。娘は先生を振り返り「ありがとう!」と元気よく言った。
「ひかりちゃん、お行儀よく待ってましたよ。お父さんはお仕事を頑張っているから、自分も頑張って待つんだって」
「そうですか。ひかり、偉いぞ」
保育士と父親に褒められて、ひかりは嬉しそうに歯を見せて笑った。
―――
ようやく帰宅した頃には、もう夜8時を回っていた。大きく伸びをすると、背中も、腰も、腕からも、全身からパキパキと骨の鳴る音がした。
「ああああ~、疲れたぁ。やっと明日休みだ」
ワンルームのアパートで呟く。一人暮らしを始めてから、すっかり独り言が癖になった。シャワーを浴び、簡単に食事を済ませると、缶ビールを片手にスマホゲームを始めた。
彼女はここ最近、スマートフォンのソーシャルゲームに熱中していた。キャラクターを育成しながら、色々なストーリーを進めていくゲームだ。もともとRPGが好きなこともあって、彼女がこのゲームにのめり込むのも早かった。
もちろん、他の多くのソーシャルゲームファンがそうであるように、彼女にもゲーム内に推しキャラがいた。それが、一番最初の村で仲間になる戦士の「ジル」だった。
「はぁ、ゲームが面白くてキャラも最高って。ほんとこのゲーム作った人、神だわ」
優花は、愛してやまないジルを見ながら呟いた。
―――
会社で残業をしていた山田建人は、盛大なくしゃみをした。彼は、優花が熱中しているゲームの、主要開発スタッフのひとりだった。
名も無き英雄たち 藤野 悠人 @sugar_san010
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