走れ活字
藤野 悠人
走れ活字
ある日の夕方、少年は自宅にあるソファに座って、学校から借りてきた本を読んでいた。学校で借りた太宰治の本で、いま読んでいるのは『走れメロス』だ。
母親の呼ぶ声が聞こえて、少年は本をソファに置いて離れていった。
ソファに置かれた本の中では、活字たちがやれやれとため息をついていた。
「あ~、ビックリしたよ。あの子、いきなり結末のページ開いちゃうんだもん。まだそこまで文字を紙に載せていないのに!」
他の文字も頷いた。
「全くだ。聴いた話だと、隣の棚にいるアガサ・クリスティの『ABC殺人事件』なんて、借りた子がいきなり犯人が分かるページを開いちゃったらしいぜ。ほんと勘弁してほしいよな。俺たち活字にも、読まれるための順番ってのがあるのに。いきなり後ろのページまで走らされたら、堪ったもんじゃないよ」
それを聞いた他の活字も口々に、そうだそうだと声を上げる。
「結末だけ見て、いきなり話の全部が分かっちゃったら意味がないよ」
「そうじゃなくても、俺たち一ページめくられる度に必死こいて走ってるのにさ」
「開いたら白紙のページじゃ、恰好つかないもんなぁ」
「仕方ないよ。人間たちは、自分たちが開くまで、本には文字が書かれていないってことが分からないんだから」
そうして、文字たちが口々に文句を言っていると、少年がパタパタと戻ってきた。
「あ、あの子が戻ってきたみたいだ。それでは、文字の諸君、それぞれ元の位置に戻ってくれたまえ。メロスが川を泳ぎ切った場面からだよ。それ、駆け足!」
文字たちを包む本の号令で、活字たちは急いで自分の持ち場へと走っていった。
走れ活字 藤野 悠人 @sugar_san010
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