桜とカメラ

藤野 悠人

桜とカメラ

「わしは本物の精霊を見たことがある」


 子どもの頃、おじいちゃんは孫娘の私に、何度もその話をしてくれた。


 私が高校一年生の時、おじいちゃんが亡くなった。その時、私は遺品のカメラを譲り受けた。今ではどこにも売っていない、年代物のフイルムカメラ。メーカーはもう無くなっているけど、おじいちゃんが行きつけだったカメラ専門の修理屋さんが、丁寧に扱えばまだ使えると太鼓判を押してくれた。


「君のおじいさんには、若い頃に随分とお世話になったから」


 修理屋のおじさんは、そう言って懐かしそうに、おじいちゃんのカメラを見つめていた。


―――


 春になった。更紗さらさのような柔らかな日差しが、街を優しく包んでいる。地元の庭園は桜の名所で、春が来ると一面が桜色に染まる。高校はまだ春休みだった。私はお気に入りの服を着て、おじいちゃんのカメラを首にげ、意気揚々と家を出た。


 庭園は、まさに春爛漫らんまんだった。たくさんの人たちが、目一杯に花を咲かせた桜を見上げて、感嘆の声を上げる。写真を撮っている人もたくさんいた。


 私も、手頃な場所を見つけてはシャッターを切る。そして、カメラの背面に目をやるが、当然そこには何もない。そして、これはフイルムカメラだった、と何度もハッとする。


「現像するまで、どんな写真か分からない。だからこそ、フイルムは面白いんだ」


 おじいちゃんはいつもそう言ってたっけ。


 しばらく庭園の中を歩くと、全く人のいない場所を見つけた。小さなベンチが設置されていて、そのそばに、他から離れて一本だけ桜の木が立っている。絶好の撮影スポットなのに、誰もいない。不思議に思いながらもそこに座って、私は一息ついた。


「こんにちは」


 不意に声を掛けられてそちらを見ると、着物を着た女性が立っていた。スラリとしていて、髪は長くてサラサラ。昭和の映画に出てくる女優さんみたいに綺麗な人だった。


「こ、こんにちは」


 少しドギマギしながら、私も挨拶を返す。


「あなたも写真を撮りに来たのかしら? 春はいいわねぇ。たくさん人が来てくれて」


 着物の女性はニコニコしながら、少し遠くにいるたくさんの人を眺めた。


「ここ、桜の名所ですもんね。私も、おじいちゃんに貰ったカメラで撮ろうと思ったんです。まだ、全然上手じゃないけど」


 私がそう言うと、女性はカメラに目を留めたようだった。


「そのカメラ、ちょっと見せてくださらない?」

「はい、どうぞ」


 私がカメラを掲げて見せると、彼女はしばらくの間、じっとそれを眺めていた。


「いいカメラね。おじい様はお元気?」

「いえ……、去年、亡くなりました」

「あら、そうでしたの……、お悔やみを」


 少しの間、気まずい沈黙が流れた。先に口を開いたのは、女性の方だった。


「そうだ、お願いをしてもいいかしら。私を撮ってくださらない?」


 ニコニコしながら、彼女は桜の木を指差した。


「その桜の根元に立つから、撮ってくださいな」

「え? あ、はい、いいですけど」


 彼女の写真を三枚ほど撮る。綺麗な人だから、ファインダー越しに見た姿がすごく画になる。こんなに綺麗な人を撮れただけでも、ここに来た甲斐があると思った。


 二週間後の日曜日に、現像した写真を渡す約束をして、私たちは別れた。


―――


 現像された写真を見て、私はビックリした。例の、桜の木の下で撮った写真。そこに、彼女の姿がなかったからだ。どうしよう、撮り方がまずかったのかな。でも、約束は約束だ。素直に謝ろう。そう思って、約束の日の日曜日、私は庭園に向かった。


 桜もほとんど散ってしまって、人の姿も少ない庭園。この前と同じベンチのそばに、あの女性は座っていた。今日も綺麗な着物を着ている。私に気付くと、にっこりと笑って手を振ってくれた。


「あの、写真なんですけど……、ごめんなさい! 私が下手だったみたいで、あなたの姿が映ってなくて」


 そう言って写真を手渡す。映っているのは、見事な花を咲かせた桜だけ。三枚の写真のどこにも、彼女の姿は映っていなかった。しかし、彼女は怒るどころか、むしろとても喜んでくれた。


「いいえ、とても上手に撮れているわ! それに、とても素直。やっぱり、敏彦としひこさんの孫なのね」


 私はビックリした。敏彦とは、おじいちゃんの名前だ。


「おじいちゃんを知っているんですか」


 私が訊くと、彼女は微笑んで頷いた。


「えぇ。昔、少しだけね」


―――


 それからしばらく経って、彼女の言葉の意味を、私は思わぬ所で知ることになった。


 生前のおじいちゃんが、撮影した写真を収めたアルバム。その中に、この前の私と全く同じような構図で、あの桜の木が映っていた。後ろの風景は今と少し違うけれど、間違いなくあのベンチのそばの桜の木だ。


 写真の横に、おじいちゃんのメモがあった。


『綺麗な女性と会った。彼女の希望で写真を撮るが、彼女は映っていなかった。しかし、現像して会いに行くと、彼女は喜んで受け取ってくれた。彼女はきっと、あの桜の精霊様に違いない。』


 びっくりした。おじいちゃんが出会った精霊とは、彼女のことだったのだ。


 私は不思議な気持ちで、おじいちゃんのカメラを撫でる。来年も、あそこに行こう。そして彼女の、あの桜の木の写真を撮ろう。不思議な縁を感じながら、心の中でそう決心した。

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桜とカメラ 藤野 悠人 @sugar_san010

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