契約/指輪


 「それでは明傘様、こちらを」


 斯波さんとの面談(というよりは、ほとんど雑談のようなものだった気がするが)が終わり、ようやく書斎から出ようというところで、メイドさん──斯波さんには、リィアと呼ばれていたか──に小さな箱を手渡された。

 何だろう? と思考を回しながら蓋を開く。


 そうすれば、現れたのは銀色の指輪だった。派手な装飾はされていない、シンプルな造りのリング。

 良く見れば、小さな紋様が刻まれている──六條華の家紋だろうか?


「こちらは、お嬢様との婚約指輪となります。代々、六條華家で引き継がれてきた由緒ある物です故、肌身離さず身に着け、失くさぬようお願いいたします」

「……因みに、失くしたらどうなりますか?」

「そうですね、明傘様百人売り飛ばしても賄えないほどの損失が出る。と言えば伝わりますでしょうか?」

「っすー……」


 今すぐ返品したい気持ちで胸が満たされるおれだった。

 ヤバすぎる。これ、そんなに価値がある訳……?


 おれの人生百回分を賄える指輪とか、それはもう国宝級だろ。

 抱えている借金(正確には、おれの両親であるのだが)とか、六條華家からすれば、屁でもないのが良く分かった瞬間でもあった。


「それに、その指輪は説明の必要なく、他人にお嬢様との婚約者であることを示すものにもなりますので。そういう意味でも、必ず外さないようお気を付けください」

「なるほど……どうします? 接着剤でおれの指にくっつけたりとかしときます?」

「明傘様がいらなくなった時、指ごと外すことになりますが?」

「おーけー、分かりました。毎秒気にすることにします」


 出来ればどっかに保管しといて欲しいところであるが、そうもいかなさそうなので、心臓をバクバクと跳ねさせながら薬指に嵌めるおれだった。

 そんなおれの様子を、滅茶苦茶面白そうに眺める斯波さんを睨みつけながらも一礼し、外へと出る。


 パタンと丁寧に扉を閉める。と同時に、


「お疲れ様です、明傘くん。お父様は少々気難しい方だったとは思いますが、どうでしたか?」


 なんていう、楚々とした声が耳朶を叩いた。

 見るまでもなく、言うまでもなく、そこにいたのは六條華である。


「……まあ、何て言うか、面白い人ではあったよ。あと滅茶苦茶顔が良い、流石六條華の父さんだな」

「……? ……ふっ、ふふっ」


 あははっ。と、突然六條華が声を上げて笑い出す。

 それも、かなり頑張って耐えた挙句、ダメだった時の笑い方である。


 それは本当に、心底面白い時にしか出来ない笑い方だと思うんですけど……。

 そんなに面白いこと言ったかなぁ?


「い、いえ、ごめんなさい……ふふっ。だって、お父様のことをそんな風に評価する方、初めてなんですもの」

「……言われてみればそうだな。え? 悪い、土下座するから無かったことにしても良いか?」

「別に失礼過ぎて笑ってしまったわけではありませんよ!?」


 シームレスに膝を床につけたところで、「おやめくださいっ」とおれの腕を全力で引っ張る六條華だった。

 どうにも逆鱗に触れてしまったせいで、却って爆笑を招いてしまった訳ではなさそうだった。


 良かった~……と一安心するのと同時に、腕にしがみつくように引っ張られていることに気付く。

 それがつまり、どういうことを意味するのかと言えば、彼女の女性的な部分が触れているということだ。


「ちょっ、おまっ、近い近い良い匂いがする!」

「あらあら、明傘くんはこういうのがお好きなんですか?」

「好きなんじゃなくて、近いし触るなって言ってんだよ……!」


 ぶんぶんと腕を振り回したかったが、それで怪我をさせるのもどうかと思うと、断念せざるを得なかった。

 こいつ、立場的にも微妙に上にあるんだよ──まあ、多分今のうちくらいは、本当にそんなことはないのだろうが。


 一目惚れというのは、言ってしまえば最初の内だけは、何でも好意的に見られる魔法の時間みたいなものである。

 抵抗しながらも、行動には移せないでいると、不意に六條華がおれの右手に気付く──正確に言えば、嵌められた指輪に気付く。


「──受け取られたのですね。その指輪」

「まあな、そんなに驚くことか?」

「もし、拒絶するのなら、ここしかなかったのですよ?」

「分かってる……その上で受け取ったってことくらい、分かるだろ」


 指輪を受け取り、指に嵌めるというのは、ある意味では契約と言っても良い。

 これまでは辛うじて、他の道を選ぶという選択肢があり、あの瞬間が逃げ出すラストチャンスでもあった。


 だから、その道を選ばなかった時点で、道は決まっていた──というよりは、決めるしかなかった、と言うべきか。

 普通に人生握られているというのもあるが、これが最善だと、おれ自身が選んだ結果でもある。


 選ばざるを得なかった……と言うほど、追い詰められていた訳ではない。

 というか、今頃ラスベガスでワンチャン狙っている二人の子が、そこまで繊細な訳が無いだろ。


「おれは六條華の運命の相手だよ──とは、流石にまだ言えないけれど、それが嫌だって訳じゃないからな。だから、受け取った。嫌だったか?」

「ふふっ、まさか、そんな訳ありませんのに。明傘くんは、私の白馬の王子様ですから」


 童話に例えるのであれば、どちらかと言えば、灰被り姫であるのだが、どうにも六條華には王子様に見えているようだった。

 嬉しいような、嬉しくないような、微妙な気分である。


「だから、きっと末永くお願いいたしますね? 明傘くんっ」

「ど、努力はする……」


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曰く、俺は彼女の運命の人らしい。 渡路 @Nyaaan

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