第1話
第一話:薬師、出会う
ガッ!
鈍い音が響いた直後、焼け焦げた枝がレオの目の前に落ちてきた。
焦げた草木の臭いが鼻を突く。
「やっぱり怒ってるよな、ヒフキオオトカゲ……!」
火の塔の第2層。熱に強い植物が根を張るこの階層には、火属性の魔物たちが多く棲みついている。
薬の材料を求めてこの層に足を踏み入れたレオだったが、今は一刻を争う状況だった。
赤黒い液体の入った小瓶を腰のポーチに押し込み、息を切らしながら走る。
背後からは地面を蹴る複数の足音と、空気を焦がすような気配が迫ってきていた。
「まさか群れで出てくるなんて! 一匹ずつなら対処できたのに!」
──ヒフキオオトカゲの体液。
熱冷ましや魔法薬の触媒として重宝される、高価な素材である。
走りながら、腰のホルダーに挿していたメイスへと手を伸ばす。
「伸びろ!」
金属製のメイスが、にゅるりとしなやかな鞭へと姿を変えた。
《水》の魔力で柔軟に変形したそれを、近くの太い枝へ巻きつける。
地面を強く蹴って、クラススキルを発動する。
「《軽身》!」
スキルの効果で身体が風のように軽くなる。
加速した動きで樹上へと跳び、太く伸びた枝の上に着地した。
──がさっ、ばきっ。
「っとと……よし、登った!」
息を潜めて下をのぞき込む。
炎を灯したような目の群れが、まだしつこく木の根元をうろついていた。
「……ほんと、素材採取って命がけだよなぁ。っと、今のうちに移動しなきゃな」
漏れた独り言を呑み込み、枝から枝へ音を立てぬように慎重に進んでいく。
しばらくして魔物たちの警戒圏を抜けたのを確認し、ようやく地面に降りた。
そのまま第2層の境界へ向かい、息を整えながら第1層へと戻っていく。
⸻
火の塔の街──カグラノ。
塔の根元に築かれた街は、赤茶けた石造りの建物が並び、喧騒に包まれている。
今は《火》の周期にあたり、活発化した精霊力の影響で湧き出した天然温泉の湯気が、至る所で立ち上っていた。
塔から少し離れた職人区にある食堂付きの宿、「二匹のネコ」。
レオはそこで、麦粥とトカゲ肉のシチューを黙々とかき込んでいた。
「ふぅー……命からがらって、こういうこと言うんだろうな……」
昨夜、どうにか目標の素材採取を終えたレオはベッドに倒れ込み、夕飯も食べずに眠ってしまった。
今朝は空腹で目を覚まし、ようやく朝食にありつけたところだった。
⸻
食後、部屋へ戻って昨日の成果をまとめたレオは、街の公共作業場へと足を運ぶ。
ここは製薬師や鍛冶師、細工師などが、生産者免許を提示することで作業場を借りられる施設だ。
使用料を払えば、備え付けの設備を使って大掛かりな加工も可能。
旅の薬師として宿屋暮らしを続けるレオも、この場所で薬の製造を行っている。
免許を提示して作業室を借り、器具の貸出窓口で精製器と乾燥箱を受け取る。
部屋の机に道具を広げ、持ち帰った素材を並べていく。
──ヒフキオオトカゲの体液。ドクモリの根。火山蜂の蜜。乾燥コショウ草の粉末。
順番に小鍋へ入れて火にかけ、魔力量と火加減を細かく調整していく。
香ばしい薬草と獣脂の匂いが室内に漂い、やがて赤みがかった透明な液体が姿を現す。
レオは小瓶からカエンシカの角の粉末を加え、どろりとした混合液を作成。
小指の爪ほどの大きさの溝が彫られた成型板に流し込み、蓋を閉じて重しを乗せる。
最後に乾燥箱へ入れ、砂時計を二度ひっくり返した。
「……風邪薬、完成」
火の精霊が住まうこの土地では、夜間の冷えによる体調不良が多い。
周囲の村や集落にこの薬を売れば、きっと役に立つだろう。
⸻
数日後。
薬をすべて売り切り、荷物も軽くなったレオは、「二匹のネコ」へと戻ってきた。
入り口には、名前の通りネコが2匹、のんびりと寛いでいる。
「ジーク、ラス、ただいま」
ネコに声をかけ、背中を軽く叩いてやると、尻尾がゆっくりと揺れた。
(あのネコたち、たしか従魔なんだっけ……)
そんなことを思いながら併設された食堂へ立ち寄ると、厨房から香ばしい匂いと湯気が立ちのぼっていた。
帳場にいた女将に声をかける。
「ただいま戻りました、女将さん。荷物を置いたら、夕飯お願いしてもいいですか?」
「あぁ、レオか。おかえり。ちょうどいいところに──」
女将が笑いかけたその時、厨房の奥から慌てた様子で少女が飛び出してきた。
「あっ、あの……! レオさんって、薬屋のレオさんですか!? 乾燥した玉薬を売って旅してるっていう……!」
エプロン姿にウェーブがかった金髪。よく通る声と、まっすぐな瞳。
彼女は、宿の食堂で働いている少女──ミーナだった。
「はっ、はい……僕が、そうですけど……?」
「よかった! わたし、探してたんです、“流れの薬師”って!」
レオは驚きながらも頷く。
まさか自分を探していた人間がここにいるとは思わなかった。
「君は……?」
「ミーナっていいます! レオさんにお願いがあって、探してました!」
「話の前に仕事中だよ、ミーナ!」
「ハヒッ!? レオさん、お仕事終わるまで待っててもらえますか?」
「わかったよ、お仕事頑張ってね。……それじゃ荷物置いてくるので、ご飯お願いします!」
「はいよぉ!」
⸻
ミーナの仕事を邪魔しては悪いと考えたレオは、先に旅の片付けと夕飯を済ませることにした。
「オヤジさん、ただいま戻りました。部屋の鍵をいただいてもいいでしょうか?」
「ん? おぉ、レオか、お帰り。薬は売れたかい?」
「えぇ。やっぱり夜になるとぐんと温度が下がりますね。どの村でも風邪のような症状が出るみたいで、よく売れました」
「そうかい。っと、あった。部屋の鍵だ。わかってると思うが、飯の時はそのまま鍵を持っていていいからな。それと身体を拭くための水と盥な。拭き終わったら部屋の外に出しておいてくれ」
「はい、ありがとうございます」
「ウチのネコたちにも挨拶しとけよ〜」
「あはは、一番に済ませましたよ! それじゃ部屋に戻りますね」
⸻
そう言って鍵と盥を受け取ったレオは荷を解き、身体を拭いてすっきりとしたところで食堂へと戻った。
食堂では宿泊客に混じって、探索者たちも夕飯を楽しんでいる様子が見て取れる。
その客たちの間を縫うように料理を運んでいるのは、さっきのミーナだった。
レオは彼女の様子を伺いつつ、女将に声をかける。
「女将さん、ご飯できてます?」
「レオか。2階席でもいいかい? それとも誰かと相席にするかい?」
「ミーナから話があるって言われたので……2階席でお願いします」
「それじゃ、ミーナに持って行かせるから、そのまま一緒に食べておくれ」
「お願いします」
2階席は宿泊客のために用意された静かな空間で、1階がどれだけ混み合っていても、落ち着いて食事を取ることができる。
レオは普段、1階で探索者たちと会話を交えながら食事をし、薬の需要を探ることも多いが、今日はミーナとの話を優先するため、静かな2階席を選んだのだった。
しばらくテーブルで待っていると、ミーナが食事を運んできた。
「お待たせしました〜。今日はヒフキオオトカゲのテールステーキですよ~。ご一緒してもいいですか?」
「うん、これ好きなんだよ。ありがとう。……それじゃ、食べ終わってから話を聞こうか」
「はい! お願いします!」
ふたりは静かに、けれど満ち足りた様子で食事を進める。
カチャカチャとナイフとフォークの音が小さく響き、料理の香ばしい匂いが食欲をさらに引き立てた。
やがて皿が空になり、レオが口を拭うと、視線をミーナへと向けた。
「じゃあ……改めて、自己紹介をさせてもらうね。
僕はレオ・ウッディーレ。薬師であり探索者。クラスは《軽戦士》。よろしく」
「はい! 私はミーナ・アースリムです。父が村長をしていて、兄がその補佐をしています。……実は、レオさんを探していた理由にも関係があるんですけど――」
ミーナは少しだけ言葉を切って、レオの反応を見た。
レオは真剣な面持ちでうなずき、続きを促す。
「……私の村で、ずっと薬を作ってくださっていたおばあさんが、高齢で手が震えるようになってきて、もう長くは作れないかもしれないって。
それで、できれば若い薬師の方に来てもらって、薬局を引き継いでいただけたらって……そういう話になって……」
「なるほど……」
「そんな時に、村に来ていた探索者の方から、こんな話を聞いたんです。
『旅をしながら素材を集めて、薬を売っている若い薬師がいる』って。
それで、その方を探してみようってことになって。私と兄で、近くの塔の街を一つひとつ回ることになったんです」
「そして、この街で僕を?」
「はい。探索者ギルドや商人の方に話を聞いて、“たぶんこの人だ”って。兄とも話し合って、“この方にお願いしてみよう”ってなって……。
それで、こうしてお願いに来ました。もしよければ、一度、私たちの村に来て、お話を聞いていただけませんか?」
ミーナは椅子の背筋を正し、レオにまっすぐな視線を向けた。
その目に、真剣さと誠意が込められているのを、レオは感じ取った。
「……正直、驚いてるよ。まさか、そんな話が来るなんて思ってなかったから。
僕のことを必要としてくれるのは……すごく嬉しい。けど、すぐに返事はできないかな。少し考える時間をもらってもいい?」
「……そうですよね。急に押しかけて、すみません。でも、はい。考えていただけるだけで、嬉しいです」
ミーナはほっとしたように微笑む。
「兄も、街で素材の買い付けをしてから戻ってくる予定なので、一週間くらいはここにいます。
レオさんが村に行ってみようと思ってくださったら、いつでもご案内します!」
「ありがとう。……それなら、その間にこのあたりの素材でもう少し薬を作っておこうかな。
火の精霊力が強まっている今なら、熱に強い薬草も採れるし。何より――この前は逃げるしかなかったヒフキオオトカゲにも、リベンジしたいからね」
「……私も、一緒に行ってもいいですか?」
「え?」
思わず素っ頓狂な声が出た。レオは一瞬、言葉を失ってミーナを見つめた。
「わたし、この旅が始まる時にクラスを得て《騎士》の修行中なんです。……塔の下層での探索くらいなら、お手伝いできると思います!」
「うーん……」
レオは腕を組み、しばらく考えた。
彼女の真剣な目に、軽い気持ちでの同行願いではないことはすぐに分かる。
だが、一方で塔の中は本当に危険な場所でもある。
それに彼女は今食堂で働いているはずだ。女将さんや旦那さんにも確認をしなくてはならない。
「まずは女将さん達と相談をしてみようか。食堂の仕事を抜けられるのか確認して大丈夫そうなら一緒に準備をしよう」
「わかりました、女将さんに聞いてみますね!」
ぱっと明るく笑うミーナの表情に、レオも自然と笑みをこぼす。
その夜、レオは部屋に戻って荷物の整理をしながら、改めて考えていた。
──誰かと一緒に塔へ登るのは伯母さんに塔の登り方を教えてもらった時以来かな…
久しぶりに自分の育ての親、薬師としての師匠である伯母からの教えを思い出しながら眠りにつくのだった。
五つの塔へ ソマリとベンガル @isulhiro
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