ささやかな。

原田楓香

         ささやかな。


「しまった……! うっかり、買うてしもた……」

 彼女が言った。自販機から出てきたばかりのペットボトルを握りしめて、そのメーカー名を見つめながら少し悔しそうだ。

 炎天下、というほどではないけれど、今日はけっこう気温が高い。

 長い時間歩き回ったあとだったので、とても喉が渇いていた。道中、なかなか自販機にもカフェにも出会わなかったので、やっと見つけた自販機で、僕らは何の気なしに、ペットボトルのお茶を買ってしまった。

「む、無念……!」


 彼女は、今、とある理由で、様々なメーカーの商品を、ひとりで不買運動をしている。もちろん、誰かを扇動したりもしないし、僕にそれを強要することもない。ただひたすら、ひとりで「もう買わへんもん」と悲しそうにつぶやき、今までせっせと買っていたものを、ふっつりと買うのをやめただけだ。

 はじめのうちは、 A社とB社。そのうち、C社とD社。そして、いまでは、もうその合計数は僕には分からないけど、相当な数に上りそうだ。


 彼女の推しているアイドルグループの所属する会社が抱える大きな問題により、現在その会社の所属タレントは、ありとあらゆる広告から締め出されつつある。自社の体面と収益を保つために、あっさり彼らを切り捨てようとする企業に、彼女は憤っている。そのやり方がひどいと感じた企業の製品を、彼女は買わないようにしているらしい。

 こればかりは、僕に解決できる問題ではないものの、目の前のペットボトルをどうするか。


「どうする? 飲むのガマンする?」 僕は訊く。

「う」

「熱中症になったら、なんのこっちゃないしね。水分はちゃんと摂っとかんと」

「う」

「これはちゃんと飲も?」

 僕の顔を一瞬見上げると、

「うん」

 彼女は案外素直に、そのペットボトルのフタを開けた。そして、意を決したように口に運ぶ。


 黙ってお茶を飲む彼女を横目で見ながら、僕は心の中で思う。

(わかってるよ。自分が飲まないと、僕も飲みにくいやろうって、気ぃ遣ったってこと。自分1人なら、きっと飲むのをガマンしてたんやろな)


 ペットボトルのふたを閉めながらカバンにしまうと、彼女は言った。

「なんかね。みんなでよってたかって、たたいてるのがすごく怖いねん」


 会社に大問題を残していった当事者はすでに世を去り、後を引き継いだ人たちが、つるし上げられているニュースが連日、新聞やテレビ、ネットでも流れている。その当事者がしたことは、本当に許されない最悪なことだ。その本人が生きている間にすべきだったけど、しなかったことを、今、している。

 

 でも。

「たたく側に回ったら、正義なんやと思ってるみたい。同じまちがいを起こさないために、みんなが冷静にしっかり考えなあかんのに。企業は企業で、その会社のタレントを切れば、うちの会社の人権意識は高いと思ってもらえる、って思ってるみたい」

 

 誰かターゲットを決めたら、みんなでたたく。

 何がいけなかったのか。何を反省し、改善するべきか。

 そんなことはひとまずおいて、まずはターゲットをたたく。憎しみを込めて。本来は自分たち自身に向けるべき反省すらも、すべてターゲットにぶつけて。完膚なきまでにたたきのめす。

 たたいている間は、自分自身からは目をそらしていられるから。

 人の目が自分たちに向かないように。たたけ。たたけ。たたき尽くせ。どこまでも追い詰めろ。

 攻撃は最大の防御、とでもいうみたいに。それが、今の世の中の有り様だ。


 このままでは、その会社のタレントたちは、活躍の場をどんどん奪われていく。

「どこか、他の会社に移籍すれば……」

 僕が言うと、彼女は眉を険しくして言った。

「そんな簡単なもんじゃないと思う。アイドルグループのマネージメントって、その経験のない会社には難しいと思う。ライブの運営とかも、すごいノウハウいると思うもん。かといって、そんなノウハウ持ってる会社は、すでに自社に同じようなグループを抱えてる。いわば、ライバルグループを迎え入れて、自社で一生懸命育ててきたグループを放り出すとは思えない。だから、移籍しても、飼い殺し状態になってしまうかもしれない」

 日頃、物騒な言葉を使わない彼女の口から、飼い殺し、なんて単語が出てきて、僕はひやりとする。


「アイドルのライブなんて、見た目がいいだけの子たちの学芸会レベル、そんなことを平気で言うおじさんたちもいるけどね。一度彼らのステージ見たら、って言いたい。彼らがどれだけの苦労と努力を重ねて、そこに立っているか。見たら、わかる。知らずに、軽く言うなよって、思う」

 彼女に誘われていったライブは、確かにすごかった。広い会場を縦横無尽に駆け回り、すごい熱量で演じられるパフォーマンスに、僕もめちゃくちゃ圧倒された。

「そうやね。歌もダンスも、実際すごいよね。しかも、トークも演技も、みんな一生懸命磨いてるのわかるよ。バラエティ番組でも、お笑い芸人さんよりずっと面白かったりするときあるし」

 彼女は、うなずく。

「もちろん、彼らのすべてがパーフェクトだなんて言わへん。でも、今、なんの分野でも大御所って言われてる人らが、はじめっからみんなすごかったわけちゃうやん。もちろん、一部には、小さいときから天才的な人たちもおるけど。みんな、努力と経験積み重ねて、成長していくもんとちゃうかな。その途中の彼らを、ただのアイドル、って軽い言葉で見下そうとするひとは、ちゃんと知らずに自分の勝手なイメージで思い込んでるだけやと思う」


「今は、ひとの成長を待てない世の中になってるのかもしれへんね。人材育てもしないで、即戦力、ばっかり言ってるしね」

 僕は、ちょっとため息をつく。『即戦力』って言葉が、なんだか息苦しく感じる。

「うん。なんかね、息苦しくて、容赦のない、世の中な気がする。あかんことはあかん、ってきちんと批判して、じゃあ、その先どうするか、ということを論じるより、ひとまずみんなで誰かをたたく方にばかり力を注いで、とことん追い詰めて、その誰かが倒れたら、自分のせいではないと、あわててよそを向く。なんかそんなことの繰り返しみたい。……でも、じゃあ、あんたは何してるん? 何が出来るん? って、自分に問いかけても、実際はね、何も出来てへん。バカみたいに、ひとり不買運動で、買い物のとき不便な思いしてるだけで。……あほやんなぁ。意味ないの、わかってる」

 彼女が、ため息をつく。

「……でも、やから、せめて、これからもあの子らを応援してようと思うねん。ささやかでも自分の出来るやり方で応援しつづけようって。ささやかな、決意」

 彼女は、静かに笑った。


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ささやかな。 原田楓香 @harada_f

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