第32話 少年の謀略
空の向こうを流れる飛行物体のような、そんな夢を見たが、何かの予兆だろうか。起きがけに布団から半身を起こして考えるが、今見たその夢が自分の記憶の何を想起するものなのか、全く分からない。考えるのを止めて、また毛布に身をくるめる。まどろみで鈍った体につんとした寒さが刺さり、また眠りへと落ちていこうとする。
しかし、横を見るとイザナミの姿がなかった。いつもは俺に起こされて朝の支度にかかるイザナミであるが、珍しく俺よりも早くに起きていた。俺は閉じかけた目であたりを眺めた。カーテンが少し開いていて窓から朝日の差す方には、巻き髪にしたかように寝癖のついた彼女の姿があった。彼女のベージュの寝巻き姿が見える。襟口が広いため左の肩にはキャミソールの黒い線が覗いていた。
「おはよ」
彼女は俺をたしなめるように見て微笑む。俺は眠い目を擦った。
「……おはよう。今日は早いんだな」
「別に。いつもどおりでしょ」
彼女は床に座って、窓の外を眺めている。外は住宅街であり雑然とした風景しか見えない。
「優はまだ寝てていいんだよ」
ギリギリになっても断固として布団から出ようともしないイザナミの姿を思いだし、俺は笑いそうになる。彼女はそれでも自分が俺より自律的になったと思っているのか、凛と澄ました表情であった。
「おかげで目が醒めたよ」
イザナミが目を見開いて俺の方に振り返る。
「そう? もう起きるの」
「なんだよ、普段は俺ももう起きる頃だろ」
イザナミは立ち上がり、背伸びする。俺もあくびをかいて布団を体から退ける。
俺とイザナミは家を発ち、近辺の住宅街の路地を歩いていた。寒い空気の中、学生やサラリーマンが歩いている。イザナミもまだ眠たかったのか、右の彼女を横目で見るとあくびをしていた。
「早起きしたのはいいが、寝足りなかったんだな」
「朝はいつも眠いものでしょ。でも早起きは気分がいいね、君より早く起きれたら特に」
カチンとするが、ここは放っておく。彼女もニヤニヤして俺を見ていた。
「今日の一限は課題出さなきゃだったな」
「嘘でしょ!! やってない」
彼女がいきなり甲高い声を上げて俺に抱きついてきた。前を歩いていたサラリーマンが振り返り、俺は恥ずかしくなってしまう。少し彼女から距離を取ろうと左にずれて歩こうとするが、彼女は焦燥した様子でせがんできた。
「……一回、二回出さなくてもいいだろ」
「えー!! 後で写させてよ!」
俺は彼女をなだめて、課題を写すことも許した。彼女は俺がちょろいとでも思ったのか、ニヤついて俺の目を覗き込む。
「君って、女の子に泣きつかれたら何でもしてくれそうだね」
俺は彼女から目を背けた。彼女の俺を弄ぶような態度が気に入らなくて、そしてもうすぐ2ヶ月も経ちそうな今日この頃なのに彼女のことをなかなか慣れないでいる。俺はため息をつき道のりを急ぐが、彼女もぴったりとついたまま俺についてくるのだ。
曇天の空を眺めると雲を突っ切って何かが落ちてきそうな、筆で大雑把に塗った灰色であった。俺はそんな空を眺めて溜め息をついていた。
「優くん、なんで溜め息なんかついてるの?」
ベンチで俺の横に、マナが座っていた。
「え? それは別に」
マナは小首をかしげて俺にささやく。
「だって、優くん、最近すごく楽しそう。私もこんなに優くんが接しやすいだなんて思ってなかった」
俺は苦笑いをするが、マナは屈託のない笑顔だ。
「そうかな……、俺は変わりないけど」
接しやすいというのは、俺の言葉が優しいからか、物腰が柔らかいからかは分からない。しかし俺は意識して好まれようとしたことはないのだ。
「マナがそう思ってくれて良かった」
「うん!」
俺は回りを見渡す。昼休みのキャンパスには、学生が並んで行き交っては過ぎていく。しかし、その中に彼女の姿はなかった。
「そういえばミナミちゃん、どこに行ったのかな?」
俺も頷く。イザナミがさっきからフラッとどこかに行ってしまっていた。イザナミのことだから、コンビニに菓子パンを3、4個もいっぺんに買って帰ってくるだろう、と思っていたが少し遅い気がする。
「まあ、用を足しに行ったんだろう」
すると、マナが頬をむすっとさせて俺を見たので、急なことなので俺は驚いてしまった。
「……優くんのエッチ」
「なんで?」
マナはむすっとした顔を元に戻して、そっぽを向き始めた。女子は一体どこに逆鱗がついているのか知れないので、異性に慣れず距離を置こうとする癖を直せない。こんなときどうしたら良いんだよ。
「また二人に会うなんて、偶然かな?」
俯いている俺に、澄んだ声が届く。隣のマナも道の先から聞こえてきたその声に顔を向ける。通りに一人佇む少年がそこにいた。
「テンマくん?」
少年から小さな笑みが溢れる。そして道を見下ろしながら少しずつこちらに歩み寄ってきた。
「二人はここで何をしていたのかな? 逢い引き?」
マナが顔を赤くして首を振った。
「ち、違うよ! 二人で話してただけ!」
俺もテンマに微笑を向ける。彼はそれを冗談として言いいそうにないような気もするが、多分おちょくるようなこともしないだろう。
「テンマくんだって、講堂とか教室で探しても見当たらないんだから! 一緒に授業受けようって言ったのに」
テンマは困った顔をして、マナに両方の掌を向ける。
「ごめん、すっかり忘れていたよ。講義には出ていたはずなんだけどね」
マナは、『もう』と一言呟く。テンマも朗らかな笑みで誤魔化しているようだった。
「……テンマはどうしてこんなところに?」
講義棟から少し離れたところで俺たちは休憩していたので、俺は少し不思議に思った。しかし、テンマの朗らかな笑みは少し変化して、彼は何かを隠すように目を細めた。俺はその変化に気づけなかった。
「それなんだけどユウ、君に用があるんだ」
「あんたがテンマって言うの?」
テンマが来た方向とは逆の方から誰かが駆けてきたようだったが、見るとそれはイザナミであった。いつの間にか、不自然なほど道には人がいなくなっていた。
「探したのよ。あんたがここにいるなんて意味が分からなかったけど」
テンマはイザナミの方を見やる。少し間を置いて口を開いた。
「ああ、君がマナが言ってた『ミナミちゃん』だね」
「とぼけないで」
イザナミは走るのを止め、歩みながら彼の方を睨んでいるようであった。
「……と言うと?」
「先生のうち荒らして、今度は優に近づいて。挑発もいいところよね」
マナはわけが分からずおどおどしていた。俺は無意識だが、マナを背にしてテンマとの間に立っていた。
「十二使徒の連中が、許可も連絡ももなくこっちに介入してきて……信用できないって言ってるの!」
テンマは嘲笑うように首を振る。イザナミは冷静な表情をしているが、心は激昂しているようだった。
「……君は何を行ってるんだよ」
「じゃあ、優とマナに近づかないで!! あなたが創った結界内で好きにはさせない」
するとテンマは下を向いて溜め息をついた。俺の背には、マナがしがみつき震えている感触が伝わってくる。
「……君が止められるなら、止めればいいじゃないか。もうとっくに、交渉は決裂していることだし」
イザナミがとっさに俺の方を見た。その目には焦燥よりずっと、俺に訴え駆ける大きな感情があった。
「逃げて!!」
テンマは懐から、一冊の古びた黄土色の本を取り出した。そして左手にその本をすえ、風が吹いたかのようにページが開かれる。
「……僕は多分、優くんが始めて会う他の神の書の所持者だと思う」
するとテンマの周りに、砂漠での竜巻のように灰が舞い上がり、彼の姿が霞んだ。そしてテンマの背後に灰色の影が生まれ、大男の形をしたそれはニヘラと笑う。
「さあ、始めようよ」
Arabian Nights
◆◆◆
しばらく連載中断してしまいました……!
ぼちぼち書いていきます。長い目で見守っていただけるとありがたいです!!
ホワイトバイブル 大伍 @Dime-sion
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