幸せな異邦人

城島まひる

本文

私の恋人エリが若くして亡くなった。

享年24歳。付き合い始めた時、彼女は21歳だった。


葬儀はエリの両親が主導で行われ、家族葬の予定だったが、特別に私も参列することが許された。

私自身、参列する気など毛頭なかったのだが、男手ひとつで私を育ててくれた父の勧めもあって、なくなく参列する運びとなった。


私とエリの関係は恋人同士と言えるのか、甚だ疑問であった。

デートの誘いはいつも彼女からで、誘ってくる理由もエリ自身が行きたいからだった。

彼女が私に選択肢を与えることは無かった。とは言え私も月々の支払いや食料の買い出しを除けば、これといった交友関係もなく、ずっと家に籠もっている人間だった。


人はそんな私に哀れみの目を向けてくるが、私はそれ程までに不幸なのだろうか?

アルベルト・カミュの小説を読み、目の疲れを覚えれば窓際で煙草を吸う。


金に困っているわけでもなければ、住むところに困っているわけでもない。夜を楽しむ相手となる女性はいない――エリに対して、そういう魅力を感じなかった――ものの、書店で少々際どい女性たちの写真集を買って、眺めればそれで満足だった。

少なくとも人間として欲求は、充分に満たされている筈だ。


  *


ある日、私とエリ、そして彼女の知人ら数人で酒場へ行った。

なんでも知人の一人が失恋したらしく、その慰め会とのことだった。エリが会に出席しなければならないと言われた時、私はそれに付き添う決心をした。


エリの浮気を疑ったからか?違う、酒が飲めるのだから。私は話に混ざらなくても、充分に楽しめそうだと思ったからだ。


そして慰め会は私の思った通り、私を端に置きひたすらエリの仲間うちで愚痴を聞く会となった。

アルコールで嫌な記憶を流す彼らを横目に、私は少々値の張るプラム・ブランデーを楽しむのだった。


慰め会もお開きとなる頃、会計前になってエリが用を足しに席を立った。

するとそれを待っていたかの様に、エリの知り合いの一人、アイリが私の隣に座った。


私はエリたちと同じソファー席ではなく、彼女らに背を向けるかたちでカウンター席に座っていた為、アイリの接近には直前まで気づけなかった。無論、酒が入っていたのもあるだろう。


アイリは隣に座るなり、エリが迷惑を掛けていないか?と尋ねてきた。私がその言葉の意味を汲み取れず、目を何度か瞬きするとアイリが言葉を足す。


「あの子、彼氏さんが引きこもりがちなのを気にしてて、どうにか外に連れ出そうと躍起になってるの。でも私らは彼氏さんには、彼氏さんなりの過ごし方があるんだろって言ってるんだけど……全く話を聞かなくて。」


そう言ってアイリはエリの知り合いたちが座っているソファーへ視線を向けた。私もそれにつられてソファー席を見ると、エリの知人らは皆一様に頷き、アイリの言葉を肯定した。


私は別に迷惑など思っていないさ、と作り笑いでアイリを追い返した。そして指でトイレからこっちに向かってくるエリを指すことを忘れなかった。


その日の夜、エリは死んだ。

酔ったあまりフラフラと道路に出てしまい、乗用車に轢かれたらしい。


  *


恋人であったエリが故人となってから、私の父は頻繁にアパートを訪れるようになった。このアパートは私が働き始めてすぐに契約したところで、父に負担をかけない為に、一人暮らしを始めたのだった。


父は私の読書と煙草だけの生活を見て、絶句していたが口を出すことはなかった。

その代わり、心の傷は時間が解決してくれるといった旨の言葉を、いつも呟いていた気がする。


それから2ヶ月くらい経った頃、父は自殺した。


遺書には自殺であること。

そして妻に先立たれ絶望したことや、息子が恋人を失くし塞ぎ込んでしまったことが理由として、淡々と書かれていた。

そして最後に塞ぎ込んでしまった息子に、気の利いた言葉一つ掛けれなかったことへの後悔の念が、一文となって書かれていた。


別に私はエリが死んでしまったからと言って、塞ぎ込んでいたわけではない。いつも通り、私にとっての至福の時間をアパートで過ごしていたにすぎない。


どうやら赤の他人や、エリだけではなく、父までも私に哀れみの目を向けていたらしい。

今やエリも、父も個人となり、私と縁を持つ人は誰一人いなくなった。

しかし私はそれを哀しいとは思わない。人はいつか死ぬもので、それは物心の付いた子供たちですら知っている。ただそういうものであり、特別な意味などありはしないのだ。


――お前は無神経なヤツだ!

かつて誰かに言われた記憶のあるその言葉は、今思えば私があぶれ者であることを見抜いていた。同じ人間でありながら、こうも捉え方が違うというのは……どうやら私は彼等にとって、異邦人に違いない。


『異邦人』。そのタイトルが私の視界に入る。アルベルト・カミュの作品の一つだ。

私はその小説をそっと手に取ると、安楽椅子に座り、物語の世界へ没頭するのだった。


あぁ、なんて幸せな時間なんだろうか。



―了―


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