第30話 雲壌
久しぶりに便りを出そう。
最近のコンピューターの文書作成ソフトは音声入力で文章が書けるので助かっている。
にゃあ
おっと……たまにおかしな鳴き声が入るが、ディーナが邪魔をしているだけなので気にしないでくれたまえ。削除機能を使うのはまだちょっと難しいのでね。
視線で削除箇所を指定して、指定が完了したらエンターキーを押すのだ。エンターキーを押して貰う部分だけ、ディーナに頼んでいる。
毎回、平身低頭し、鶏ささみ入り猫缶を与えることを約束しないと押してくれない。
なかなか面倒なので、どうしても削除すべき内容でなければそのままにしてある。
私とレッキの仲は、静かに深まっていると言って良いだろう。
鳳殿は男だから……といって、この手の話が好きかどうかは分からないのだが、先日、ついに「ともに入浴した」のだ!
にゃあ
あ、やめないか! い、いた、いたい! ディーナ! こら! 分かった! この話はなしだ!
……済まない、い、いろいろ取り込むことが多くてな……
むろん、私は彼女になんの狼藉もしていない。もとより手も足も出ない。
ただ純粋に、彼女の崇拝者のひとりとして一緒に湯船に浸かっただけだ。
彼女の女神のように美しい姿について、多くの言葉は労すまい。
以来、私はまさに夢見心地の日々を過ごしている。
レッキはあれから一度、テパネカ王国……いまはテパネカ共和国になっている……に行った。これまでの経緯もあるし、政変のあったばかりの国だ、危ないからやめておけと言ったのだが、聴かなかった。幸いにも無事戻ってきたがね。
そのとき、三人のこどもと一緒に帰ってきた。彼女の血族の血をいくらか引いているという。向こうで彼らの血のことがバレたら、命がないそうだ。いまではもう、彼らの伝えていた秘術を正しく使える者は残っていない。だから彼らがだれかの「怪我を治す」目的で殺されたとしても、傷ついた者は助からない。もうレッキの一族の伝えてきた秘術は、御伽噺の呪術以上の意味を持たなくなってしまった。それも、人の命がかかっている悪趣味な呪いだ。
三人のこどもたちはまずは言語学校に通いながら、レッキと養子縁組の手続きをしているところだ。ひとり親なのが少々、ハンデはあるがレッキにはリンデンバウム家の資産がある。たぶん、養子縁組は上手くいくと思う。
私もこどもたちとはそれなりにうまくやっている気がするよ。まあ、まだ向こうが遠巻きに眺めているだけなので、なんとも言えないがね。
メリナはおととし、大学に入学した。建築をやるんだそうだ。そうそう、建築のなかでも、建築設備をやるのだと強調していたな。
建築設計士が好き放題に設計したおかしなデザインの建物でも、ちゃんと使えるように電気設備の配線やら上下水の管をどう設置するかを図面に書き込んでいく仕事なんだそうだ。
将来は動物園やテーマパークの仕事をやりたい、とも言っていたな。どうやらそれが難易度の高い仕事らしい。
あとは……学術調査が終了して去年の年末に旧繁邸は取り壊された。
いまは分譲された土地に新しい家が建ち始めたところだ。
繁旼鳥の蔵書と日記は華夏の首都大学に提供されたよ。日記だけはコピーしてコピーの分をメリナが持っている。無償提供の代償として、旼鳥の一族は自分たちの華夏連邦への入国拒否処分を取り消すように要請したらしい。まあ、かなり揉めたようだがプロイセン公国の弁護士は腕利きだからね。結局、旼鳥の孫、つまりメリナの世代からは通常のビザで入国できるようになったそうだ。
いまさら王朝の復活もないと政府も踏んだのだろうな。
ただし将来、華夏の国籍が欲しいと思っても、いまのところその手立てはないらしい。長期滞在もできない。まあ、選挙権は与えたくないのだろうな。
旼鳥の一族だって、将来は華夏に永住したいと思う者も出てくるだろう。この件は、引き続き弁護士を入れて、今後じっくり華夏政府と話し合うのだとメリナは言っていた。
あの仰け反るほど高い茶器はプロイセン公室に寄贈された。その代わり、旧繁邸の敷地の一部を百年、無償で貸与してもらう契約になったらしい。貸与された敷地は公園になる。プロイセン公室はその茶器をベルリンの国立美術館に貸与して、その賃料で公園の維持管理費を捻出する。公園には茶の小道と、栗の木がある。
あと、栗の木の下には旼鳥の愛用していた籐椅子のレプリカも置いてあって、公園ができたのは今年のなかばだが、もうすでにちょっとした観光名所になっているよ。
栗の実が落ちるシーズンには、たぶん栗の木に住んでいる栗鼠と競争で近隣の人が栗拾いに来るだろう。
茶の季節にはメリナが手入れをしに帰ってくるそうだ。飲める茶葉を作れるよう頑張るのだと言っていた。
ほかの茶器は形見として親族みんなで分け合ったそうだ。
えーと……ほかには……あ、そうそうメリナのことではあとひとつ。
ラジオ外国語講座で独学し、大学で華夏語の授業も受けて、出会った華夏の留学生と『外国語勉強会』を開いてかなりいい線まで会話はできるようになったのだが、まだまだすらすら読めるようになるまでの道のりは遠いらしい。
「助けて! シシィ」
だそうだ。まあ、気が向いたらいちどこちらにも顔を出してやってほしい。
繁一族の次女の、二人目だったか三人目だったかの息子に、企業の研究機関で義肢研究を行っている者がいるらしい。
レッキは自分の調合する医薬のいくつかが、体内の異物を拒絶する反応を抑える効果があるとかで、研究の助力をしている。使い物になりそうな薬品については化学分析を加えて工業的に生産もできないか、検討するそうだ。
もし進展があれば、私が神経を繋げた機械の手でものを掴んだり、車椅子を動かして出歩くことも可能になるかもしれない。
まあ、まだ先の話だろうし、いざできるとなってもさすがに「生首だけで生きている」のは現代医学でもありえない現象だから、一悶着あるのは間違いないだろうが。
焦る必要もないことだ。
我々には、時間だけはたっぷりあるのでね。
たったひと月だったが、鳳殿がこの屋敷にいた日のことが時々、思い出されるよ。
あのとき出会ったメリナとはずっと友だちづきあいしているし、私とレッキの関係もすこし変わった。もちろん、よい方向に、だ。
メリナの成長を見ていると、つい、自分のことに思いを馳せてしまうな。
自分になにができる、できないということもあるが、結局、我々はおおくの友人たちと別れねばならない、ということだ。
……こんなことを思うなど、私も丸くなったものだと思うよ。
人とのいつかどこかで迎える別れが、怖くなるなど私の来し方ではあり得なかった。鳳殿がこの怖さとどう向き合っているのか、そのうちご教授頂ければありがたい。
親しくなった人々とのいずれ来る別れは、怖い。けれど、同時にこうも思っている。
我々はみな旅人で、どこかに向かっている。
行き先はみんなばらばらだが、辿り着く地平はたぶん、ひとつだ。
天と地の交わる場所、雲が湧き雨の降る空と金色の豊穣が埋める大地の溶け合う場所。
それは、人の歴史の果てる場所。
彼方の地平で、また、会える。
彼方の地平 宮田秩早 @takoyakiitigo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます