マナビスト
秋犬
マナビスト
「だからさぁ、みんなダマされてんのよ」
15年ぶりに会った小学校の同級生のミヤシタは公園のベンチで熱弁を振るっていた。
「大体おかしいと思わないか? 何が女性専用車両だよ。何がレディースデーだよ。そうやって男の居場所を搾取して甘い蜜吸ってふんぞり返ってる女のどこを尊重しろってんだよ。股開いてるだけで金貰えるんだ、わかるか? あ?」
俺はミヤシタのいつ果てるとない罵詈雑言だか何だかわからない妄言を聞かされ続けていた。先ほど通りで俺を見かけたらしいミヤシタは、ものすごい笑顔で俺の方へやってくると「話がしたい」と言って俺の都合も聞かないでこのベンチに座らせられた。それから延々と彼の独演会が続いていた。せっかく買ったアイスが台無しだ。
「この前だってフェミ御用達のクソ雑誌のクソ記事で偉そうなことほざいてやがった偉そうなババアが不倫してたとかって言ってたじゃないか、結局偉そうなこと言っててもオンナなんだから結局セックスできりゃなんでもいいんだ。猿以下の下等生物だよ奴らは」
唾をまき散らしながらミヤシタは怪しげな動画を見せつけてくる。
「ほら見ろよ、イリノイ国立大学のアストン教授は男性と女性の優位性についての論文で明らかにオンナの方が生殖能力の関係で知力学力ともに男性の優位レベルと比べて平均的に劣るって調査結果を出してるんだ」
どこだよイリノイ国立大学って。州立大学じゃないのか?
「それにほら、心理セラピストの島村マナブさんもこの論文を取り上げてる動画もあるんだ」
島村マナブ……ああ、昔ネットで怪しげな広告出したりあることないこと散々書いて炎上させて詐欺師だの釣り師だの言われてた人か。なんか妙に宗教くさいところがあって変な信者がついてると思ったけど、そっち系いっちゃったか-。
「俺ほらマナビストになったからさ。一日一学。この世の真実は目に見えないから、こうやって歩き回って教えていくしかないんだってさ」
俺は「はあ、そうか」と、とりあえず返事をした。アイスどうやって弁償してもらおうか。
「どうせお前も彼女いないんだろ、マナビストならオンナ食い放題だぜ」
なんだこいつ。女は劣るだの下等生物だのほざいていたのに……。
「この前俺もついに彼女が出来てさ。すげえいい子なんだ。俺の言うこと基本何でも聞くし、ちょっと怒鳴るだけでめちゃくちゃ従ってくれるんだ、いいだろう?」
それはいいのか……?
「そんで子供が出来たっていうから腹蹴っ飛ばしてガキなんかいらねえよって言ったら泣いて出て行ってさ、マジ女って泣けば済むと思ってるよな」
それは犯罪じゃないのか……?
「そ、その女とはどこで知り合ったんだ?」
「だからマナビストになったら教えるって。女を合法的に蹴れるんだぞ?」
どういう理屈なんだ、それは?
「いや、俺は女を蹴るのは間に合っているからいい。それよりも、お前親はどうしたんだ?」
実は数か月前、ミヤシタの両親が家を訪ねてきた。話によると、ある日「俺は目覚めた」と叫んで家を飛び出して行ってからまるで行方がわからないらしい。警察にも届を出したからこうやって昔の知り合いの家を訪ねているところだと言っていた。そのミヤシタが目の前にいる。しかも目の色が明らかにおかしい。正直怖い。
「親? あんな下等生物こっちから願い下げだ。俺は進化した人類なんだ、目覚めたんだ、悟ったんだよ。わかるか?」
ごめん、わかんねえ。
「いいから、ほらマナブさんのこの動画見ろよ。再生回数250万回だってさ、これこそ真実の証拠だろ?」
とにかく俺はミヤシタを説得して何とか家まで連れて帰らなければならない。しかし下手に何かを言って地雷を踏まないとも限らない。かといってどこかにメッセージを送れるような状況じゃない。
俺はスマホをこっそり通話状態にして、家に繋いだ。通話が始まった瞬間にこっちのスピーカー音量を下げると、俺は話を切り出した。
「あのなあ、ミヤシタ。お前がどうして家に帰りたくないか俺にはよくわからないけどな、お前疲れてるんだよきっと」
「疲れてなんかいるもんか。マナブさんの動画見てるだけで元気になるんだよ。それにこれはマナブさんの動画で紹介されていたアストロビリン酸配合のネオジマティック茶って言って、王孤影という学者が開発した世界初の超タンパク質がすごいんだ」
ミヤシタが怪しげなペットボトルのお茶を勧めてきた。絶対飲みたくない。
「お前、目が疲れてるんじゃないか? あそこの看板読めるか?」
「俺を老人呼ばわりするな……フルーツパーク西村だろ?」
「それじゃあしっかり見えているんだな?」
「当たり前だ、俺は目覚めたからな。急に変なこと言い出すんだな」
それはお前だ、と言いかけた言葉を飲み込んだ。スマホの画面を見ると通話は終了していた。とりあえずこれで俺の状況と場所は伝わったと思う。
それから俺は頑張ってネオジマティック茶の説明を聞き続けた。他にも「これはお前がマナブさんに会ってからと思ったんだけどなー」とか言って宇宙のパワーが貰える腕輪の話とかアメリカ元大統領は実は既に死んでいて影武者であるという話とか単にセックスがしたいだとか、そういう話が飛び出した。
俺はミヤシタに何が起こっているのかを知って悲しくなるばかりだった。確かにミヤシタは小学生のときは目立つタイプじゃなかったし、どちらかというと控えめで女の子と話せるような奴じゃなかった。そいつが妊婦の腹を蹴って笑っているんだ、そのマナブって奴は一体こいつに何を吹き込んだんだろう?
「それでな、マツナガ……」
「コウちゃん!」
俺の作戦が聞いたのか、警察官とミヤシタの母親が俺たちのところへ飛んできた。自分の母親の顔を見るなり、ミヤシタはさっと青い顔になった。
「マツナガ! お前謀ったな!」
「別に、俺は何もしてないからな」
警官に睨まれてミヤシタはベンチから動けなくなっていた。やはり蹴った妊婦から被害届が出ていたらしい。ミヤシタの母親は泣いていた。
「コウちゃん、ママが悪かったのよ、コウちゃん」
「うっせえ劣化(自主規制)! こんなクソみたいな遺伝子残した上にろくに養いもしねえで働けだって!? 自分の製造したモンは自分で責任とれよこのクソ毒親が!!」
ミヤシタのあまりの言い草に俺もムカついた。
「お前、さっきから自分の母親に向かって何言ってんだ? それに女じゃなくても人間は蹴っちゃダメだ、そんなことも忘れたのか?」
ミヤシタは任意同行を求められ、警官に連れられてパトカーに詰め込まれた。
「うるせえな! てめえらに何がわかるんだよ、マナブさんは俺のことわかってくれた! 元はと言えばこの腐れ(自主規制)が無責任に俺を生んだのが悪いんだろ!! 俺は何も悪くない!!」
ミヤシタは母親と一緒にパトカーに乗って消えていった。その日の夜、うちの実家に神妙な顔をしたミヤシタの両親がやってきた。奴は取調中だがまともに話せる状態にはないらしい。国家権力の陰謀だ、宇宙の終わりだと留置所で騒いでいるらしい。泣きじゃくる母親はいい年しても働かなかったミヤシタの恨み言を延々と述べてから菓子折を置いていった。正直菓子折じゃ割に合わないんだけど、ないよりマシだな。嫌なことは食べて忘れようと、その日のうちに菓子はなくなった。結局アイスは弁償してもらえなかった。
***
それからミヤシタの家は引っ越したらしいと俺の母親から聞いた。俺からの通話で最初は事態が飲み込めなかったが、行方不明のミヤシタと俺が話をしていること、ミヤシタの言っていることが尋常じゃないことを悟って俺との会話をヒントに警察に連絡してくれていた。その後警官がミヤシタの母親を伴ってやってきた、というわけだ。
「じゃ、私たちも引っ越そうかね」
「え、何で?」
唐突なことを言い出した母親に俺がきょとんとしていると、1冊の冊子が手渡された。
「今朝これがポストに入ってたの」
それは島村マナブの写真と彼らの思想、男尊女卑を進めるべきと言う考えに怪しげな健康食品の紹介が延々と書かれたパンフレットだった。怖いもの見たさでめくっていくと、最後のページに赤いマジックで大きな文字が書かれていた。
コウスケをかえせ
このひとでなし
言葉を飲んだ俺を見て、母親が呟いた。
「さて、まずは警察かな……」
更に長い戦いが始まることに俺はうんざりした。
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