1.『蒼雪の墓碑』




 花びらは散り、熱射は威をなくし、葉は落ちて久しかった。


 既に蒼雪が降り終わった時期。

 年を越したばかりで騒がしいはずが、やけに静けさが勝る_______冬先の病室。

 天井、壁、床、医療調度品。白で構成された部屋で、『自分』と『その人』だけが色彩だった。


『おはよう、セベル。セベル=ユーフャ』


 貝紫色ロイヤルパープル山吹色オールドイエローの奇天烈な髪、薄いブルーグレイに胸元の鮮やかな赤紐が映える装束。耳慣れない名前がついた挨拶は、ぼんやり働かない頭でも朧げに認識できた。誰かの名前らしき音の羅列が発される口は、微笑んでいた。


 唯一、色が分からなかったのは、両目。

 その双眸だけが、端にいしが吊るされた白布に、隠されていた。


 肌に伝わる病衣の感触。肺を満たす消毒臭い空気。身じろぎすることで布擦れるベッドと掛け布の僅かな音が、自分の彼への挨拶の返礼だった。




 ________それが、最初の記憶。




×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××






「――、」


 白く凍えた温い吐息が、空に溶けたその行方ゆくえを見上げ、肌をつつく寒気を肺に満たす。

 椀の形にしたてのひらに落ちた雪粒を珍しそうに眺めていた人物は、無感動に目の前の石の塊を一瞥する。



 ―――あおかった。



 〈地底領域BOWEL〉、北部。山岳に囲まれた盆地にある冬国__『リフリ街』。

 地上と天蓋を隔てて在るこの地底に根ざす、現存する三大の人類領域のひとつ。その、郊外にて。


 靴裏に感じるのは、さらりとしながら ぎゅぱきと音を上げる雪。


 そこは、リフリ街の首都区が一望できる、ひときわ高い丘陵につくられた墓地だった。

 眼下にあるのは、『白亜街グレイブ』と呼ばれる街並み。色素の薄い煉瓦の建物が区画立ってドミノのように並べられた、白紙で造られたかのような光景。その街路が一面、に染まる様は、まだらに残った白壁も相まって、晴れ渡った空の上に漂っているような錯覚を起こしていた。


 そう。硬質な石畳のかげは無く、本来白色であるはずが染色された『蒼雪』が覆い尽くしている。

 地底。空は天蓋ふたであり、その空の色はある構造による欺瞞の移り変わりでしかない。10年前までながらく偽りの空だとも知らずに過ごしてきた人々にとっては、この関係は記憶に根強い出来事だった。


「『いずれかの空を地に、届くところに』だっけ…」


 ぽつりとこぼされたのは、どこかの書籍の一文でも読んだような薄さ。

 蒼雪にいかなる願いが込められていようと、白い雪を知らずましてや初めて雪を踏んだ彼女にとっては、そう大事なことでもなかった。


 人気ひとけが無い丘、そこらじゅうに敷かれた降り積もる雪を踏みしめて佇むは、景色に眩しく浮く目覚ましい深橙オレンジ色。そのフードケープを纏った彼女。その傍らには薄く雪被るラジオが置いてあり、それは静まり返る辺りに朗々と語りかけていた。


『――続いて、天蓋崩落災害、の蒼雪の降雪計画です。降雪時間は、夜明けから日の入りまでの間、3日後まで。雪解けは遅くとも1週間後です。早い場合は5日後に溶けきり、23日には通常の天候計画へ戻る見込みです。また、それに伴う天象照応晶機レプリックシエルのメンテナンスのため、年越しの降水曇天の類いはありません。三ヶ日さんがにちは清々しい晴れ空でしょう。次のニュースです――』

『昨夜未明、リフリ街タルイ区にて火事があり、家屋二軒が全焼しました。現在火は消し止められ、周囲への延焼の危険はありません。現場には不審な魔力痕があり、何者かが放火したとして、連盟ロロの蒼灰、取締執行係が現在、魔力パターン照会を進めています。幸いにも怪我人は居らず、家主の方も外出中だったようで――』

『速報です。先月から続いている連続魔人襲撃事件魔人狩りと同一犯と見られる事件が発生と、先程政府から発表がありました。被害者は カトレス=グレーミント、ロロ所属雫徽章。深夜2時半ごろに街道を通行していたところを襲撃されたと見て捜査が行われており――』

『さぁてさて! 我らが希望! いつか地上へ戻りかつて地底へ降りた理由を明かさんが為! 特定危険指定領域ブラックゾーンである、地上遺跡サーフェスへの遠征について続報です! えー、先程真環者筆頭のソラ=キサラギ殿より――』

『市政及び豊宣機関ロロよりリベルス=エフォーツ=リベルター…リフリ街の皆さまへのお知らせです。現在リフリには、11月6日より夜間外出禁止令が発令中です、民間人の方は早期解決のため、ご協力をお願いいたします。夕方16時以降、日暮れ後の外出は――また、解除の目処はついておらず多大なるご不便をおかけすることをお詫び申し上げ――』


 吐き出していた音はどうやらニュースの類いだったようで、さまざまな物騒な知らせが耳へ滑り込んで来る。音でしかなかったものが声になってくる頃、段々と音が戻ってくるように感じたそれに意識を傾ければ、自身が真っ青な雪に見惚れていたことに気付かされる。


「『ここ』…に? 『寝る』、いや『眠る』?」


 顔を上げれば白い息と共に、ここに来た時からずっとあった威圧感が目に入る。


 目の前に聳えるは、数年前よりいつだって献花が尽きたことがない__巨大な石碑だった。

 その巨石の下には骨も遺品も何もなく、ただひとりの名前が彫られているだけだということを知られていてなお、その名前のかつての地位と支持と偉業に応じた__それこそ、戦争位牌のように大きな墓跡がそこにあった。


 無感動に見つめる視線は、それが悼むべき墓碑だろうが墓の主人を知らぬ透明な瞳から生まれていた。


 ………ざ。

 やけに古くさい筆体で読みにくい年数と名前と飾る言葉が並ぶそれを読もうとしたとき、ラジオの吐き出す音声が止まる。

 静謐に包まれる丘に、降り積もる雪を荒らす音がした。


「――よりによってキミが知らない、か。やぁ、こんばんはだねユーフャ」

「、」


 軽薄な声が、冷気にぼんやりとしていた彼女の肩を揺らす。

 振り向いてそこに居たのは、褐色の肌をした顔見知り――現在の風潮に習って偽名と知らされて名乗られたのは、コノメヅキという名前――の青年。

 亜麻色の髪を毛深い帽子に沈め、長い襟に口元をうずめ、お守り程度に差していた傘を、セベル=ユーフャの上方へ傾けた彼の名を、

 

「コノメヅキ」

「ややッめっさフードに雪積もってんじゃん、オレンジブルーなんて目に眩しィー! 風邪ひくよ?」

「…ここを指定したのはアンタじゃん」


 静まり返って僅かな音さえも雪に吸い込まれていく丘で、わざとらしいまでに明るい。

 セベルがオレンジ色のフードケープに積もった蒼雪を払い落とし、傾けられた傘を鬱陶しそうに押し避ければ、彼はニヤリと笑った。


「そりャあ、『蒼雪を見たことがない』ってキミがこぼしたからさァ! リフリに在りつつこの雲上の街を知らないのはもったいない!」


 コノメヅキは亜麻色の三つ編みを揺らして、踊るように眼下の街を指し示す。夕暮れる街は、夜間外出禁止令もあって、出歩いている人は見当たらなかった。


「『地上に最も近い場所』、『碧空に最も迫る場所』。リフリを一望するのならばこの丘しかないよ。……まァ、ここ結構な内地にあるから標高を越えているはずの防屯壁ウルルは見えず、その方向で見えるものとするのなら、無号街ノーウェイの『透天蓋パルティア』くらいなものだけれど」


 視線が向くのは、辺りに降り積もる鮮やかな蒼雪が生まれる曇天。

 だが見ているのは暗澹としたそれではなく、普通の――ちゃんと宇宙ソラに繋がるような正常な天空ならば存在が無いはずのもの。ぽっかりと空いた

 それは別に雲が竜巻などのように変形しているわけでも無ければ、風で凹んでいるわけでもない。


 本物をそのままそっくり取って貼りつけたように、僅かに流動するリアルな曇天が、そこだけ無い・・いびつに楕円形に抉られ、『地上』の世紀末な赫黒い空をのぞかせる『円』に蓋をするように___夜空のような紗幕が、遮断していた。


「……魔人狩り4件目、雫徽章がやられたのは聞いたよね。それでも行くって宣う?」


 突と零したのは、先程のラジオに流れていた報のひとつ。セベルがここにいる理由。

 コノメヅキは、穏やかな声で問う。セベルは、決まりきった答えをぶつける。


「…どうせロロに掛け合ったって燦忌サンキ指定レベルの魔人___化け物なのは自覚してる。助けを求めた先にその身動きを封じられる状況なんて、馬鹿らしいにも程があるから」

「少なくともウチだったら、自らを餌として誘き出すなんたァ結論は出さない。情報屋として、これまでの事件の概要と詳細はあげた。次の予測もつけた。だけれどいくら魔人だと言ってもその膨大量の魔力トラオムを使えてないのだから、犯人にとってはただの『カモネギ』でしかないのが分からない?」


 コノメヅキがセベルの冷え切った腕を掴む。肌を覆い尽くす包帯には血が滲んでいて、よく見ればフードの中にも見受けられる。説き伏せようとする目には、滲む心配に似たものがあった。


「教えられた真実の名を冠した虚実に依存するしかないのに、ど〜してそれが自らの過去だと信じられるのか。…キミはそれが嫌だからこの件を追っている。けれどねェセベル、それはロロの領域だ。彼ら、碧空者アジュールがやるべき任務ことだ。ウチが知る由もないキミが抱えるロロへの不信、それは杞憂と言うものだ」

「…それこそ、教えられたものすべてが真実だと鵜呑みにしていいわけがないってやつだよ、コノメヅキ。『自分』は自分で掴まなきゃ、自分はその『いつか』まできっと耐えきれない」


 セベルは腕をふりほどき、たった一人のために築かれた石碑を見上げる。


「過去がないから基底がない。3年前の自分が他人にどう映っていようと、今の自分はそれを感知しない。出来ない。元からあやふやなものに、約束された結果なんて__ない」


「ないんだよ、コノメヅキ」


 紅と紫の眼光がぶつかる。フードの中にあっても、翳らない紅は、強度があった。

 風が吹く。蒼雪を舞い上げて、可視化された一線があたりを撫でて過ぎていく。


「___」


 数秒、沈黙があった。


「…やっぱり、か。なら、言うべきことはもちろんさ!」


 ため息を白煙に変え、高らかに笑ったコノメヅキは踊るような足取りでセベルを追い越した。


「ここはリフリ――願いを持つ者こそが強き街。もちろんキミが欲しいと望んだ情報ものは、キミのもとに届くとも!」


 石碑を背後に謳う彼。逆光で陰るアメジストの眼がこちらを射抜く。左手は胸へ、右手はユーフャへ差し伸べられる。


「差し当たっては、そうだなぁ___」


 瞬きをして手を取ろうとした次の瞬間、聞こえたささやき。


「さぁ、




 ____蒼雪をめくりあげて、突風が吹き荒れる。


 息が詰まる暴風は、いとも簡単に足を攫った。






××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××






「《良いスか、良〜スかレオ! 絶対にルレットから離れないでくださいよ!? いつもみたいに突っ走るのはダメッスからね!》」

「わぁーってるつうの、何度目だそれ」

「《まぁペア組みは今回に限っては安全策だからねぇ〜……にしてもくだんさん、影も形も見当たらなすぎなぁい? ホント》」

「周期的には今夜なはずです……ウラトにマキャナーにリフリ、地底の安全領域の全てに被害が出てますし、カトレスさんの件もありますし…いい加減解決したいところって感じですもんね」


 人の気がない辺りに、動く影。


 色濃く残る朱と混ざる薄闇に灯り始めた住居の窓灯りが、まばらに見渡せる。唸り倒す風を受けてなびく白い外套を纏う人影が、いくつか薄暮に紛れていた。


「《雫徽章が殺されかけた案件に雫徽章のチームで当たる、なんてまぁちょっと急造な作戦になるくらいには、それなりに切羽詰まってはいるよね〜? だって最高戦力の真環サマ方、最近あんまり連絡取れないんだもの》」

「《もーグリフさん! いつまで屋根に寝っ転がってるんですか! ほらおしゃべりしてないでチャキチャキ見回ってきてくださいっス!》」

「《ぇえ〜、これでもレーダーに目を光らせてはいるんだぜよー? でもさ、やっぱりペアの警邏よりさぁ、囮作戦の方が手っ取り早かったんじゃないー?って思うんだけど》」

「《…まぁ、カトレスさんよりも湧泉魔力トラオムが多い魔人って言ったらあと燦忌指定と真環様しかいないし、申請も通らない今じゃなかったらやってたとは思うッス》」

「《いやぁ、俺ちゃんとアマテあたりでフラついてたらワンチャン釣れないかなってさ。一粒狙いじゃなくて魔力量狙いだったらイケそうじゃあない?》」

「《それは却下されたッスよね? 確かに総量でいいなら大抵の魔人には勝つッスけど、これまでの4件からして単独狙いのセン濃厚って話忘れたッスか鳥頭》」

「《えー》」



「はぁ、まったくまたふたりは…」


 己の髪をいじりながら屋根に寝転がる青年を、サングラスをかけた少年がせっつく声が通信越しに聞こえる。少女が吐くため息は白く、その頬と鼻は少し赤い。寒空のもと肩をすくめる少女は、薄荷色の髪を揺らして眼下の街並みを観察していた。


「馬鹿やってる奴らは放っとこうぜルレット」


 少女___ルレットのため息に応えたのは、向かいの建物の煙突を器用に足場にしていた三白眼の小柄な少年レオニア。ヒュッ と手持ち無沙汰に、たずさえた三節槍を回している。

 多節棍の亜種であり、各柄一節が60センチオーバーの長槍。その三節目に手のひらほどの刃がギミックとして付けられたそれを扱う様子は、彼の手足のように舞っていて、修練と慣れが見えた。

 ぐだぐだ言い合いつつ寝転がって冷えた腹をさすりながら周辺を見渡すグリフは、勢いつけて起き上がったことによる立ちくらみにたたらを踏む。


「《よ、とっと…。これだけ蒼灰ロロメンバーたちも使ってるんだし、警備は薄くないと思うんだけどなぁ? 次があるなら、これもう内通者いたり…なぁんちゃって》」


 街中をくまなく監視している中、ロロが記録している標的になり得る者すべての動向を把握しなおかつ護衛まで用意してまで、次の被害者が出る。その事実から、標的の情報を筒抜けにしている間諜が『内』にいる可能性を指摘する。


「馬鹿言わないでくださいよ、ただえさえ『外』見るのに忙しいのに『内』まで見ていられませんよ」


 グリフの発言を叩き落としたルレットのかじかむ手には、肩を組んだ数人の輪を照らせるくらいには大ぶりなランタンが握られていた。

 くっきりと足元に影を落とす訳でもなく、眩しい光源の割にぼんやりとしている。その灯は、彼女の眼と同じ色に揺れている。


「そもそもとして、もしスパイなんていたらリーフシャム様が見逃さないと思いますし」

「《それはそう〜》」


 彼らの白い外套マントの下、纏うはそれぞれデザインは違えど、同じ『蒼灰色ブルーグレイ』の制服。各々の胸に共通するは『逆さ雫』のしるし。


 彼らが追うは『魔人狩り』__連続魔人襲撃事件。

 2週間前より地底を賑わせ、リフリ街の安全を管理するロロが決して無視できない問題だった。


 標的になったのは、その通り『魔人』――普通の人間よりも魔力炉…寿命や生命力を貯蓄する虚空器官を多く保有する人間。

 いまだ定かではない襲撃者の目的は果たして、大多数の魔人が所属する連盟ロロへの牽制もとい戦力削ぎか、はたまたエネルギー媒体か素材として魔力炉を鹵獲ろかくする猟奇趣味か。

 それがどちらにしても魔人という存在は、リフリ街を護る防屯壁ウルルの外、そこに蔓延る霊瘴類に対する最も有力な手段の基礎の一つだ。根本的に霊瘴類に相対するとき、ヒトに対して獄毒である霊瘴気に対抗出来る十分な魔力トラオムは前提条件。その魔力を常人の数倍秘める魔人が戦闘不能になるのは、ロロにとって痛手。

 解決を急ぐのは当然のこと、夜間外出禁止令も捜査をしやすくするための策の一環だった。


 見るものが少なければ、あとは『それ』にピントを合わせるだけでいい。



「___きました」


 ふっ、と。

 ランタンの灯りが消え入りそうに、大きく揺れた。


「《およ?》」

「《マジすか》」


 通信が拾った僅かな呟きの声色の変化を感じ取った彼らは、それまで冗長に緩んでいた空気を引き締め、戦場のそれへと表情が変わる。

 

「…北区15番目の『灯り』が消えました。手応えには大きな衝撃と魔力反応の揺れ。ビンゴです」

「レーダーもそのポイントに波紋を映した。急行するぞ」

「《距離的にソレータと俺ちゃんは遅刻確定演出なので先行よろ〜》」

「《はいはい早く行くっスよ!》」

「《ぐえっ》」

 


 若干一名、首根っこを引きずられつつ。四つの白影が、夜闇が忍び寄る薄暮へ舞い降りた。



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