1.『蒼雪の墓碑』『夜警』
花びらは散り、熱射は威をなくし、葉は落ちて久しかった。
既に蒼雪が降り終わった時期だった。
年を越したばかりで騒がしいはずが、やけに静けさが勝る____冬先の病室。
天井、壁、床、医療調度品。白で構成された部屋で、『自分』と『その人』だけが色彩だった。
『おはよう、セベル。セベル=ユーフャ』
唯一、色が分からなかったのは、両目。
その双眸だけが、端に
肌に伝わる病衣の感触。肺を満たす消毒臭い空気。身じろぎすることで布擦れるベッドと掛け布の僅かな音が、自分の彼への挨拶の返礼だった。
________それが、最初の記憶。
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
「――、」
白く凍えた温い吐息が空に溶けたその
椀の形にした
―――
〈
地上と天蓋を隔てて存在する地底世界。この土地には、現存する人類領域が3つあった。ここはそのうちの1つである寒冷地リフリ……その、郊外。
靴裏に感じるのは、さらりとしながら ぎゅぱきと音を上げる雪。
そこはリフリ街の首都区が一望できる、ひときわ高い丘陵につくられた墓地だった。
眼下にあるのは、『
その街路が雪によって一面
そう。硬質な石畳のかげは無く、本来白色であるはずが染色された『蒼雪』が覆い尽くしている。
ここは地底。仰ぐ空は
「『いずれかの空を地に、届くところに』だっけ…」
ぽつりとこぼした台詞は、どこかの書籍の一文でも読んだような薄さだ。それもそのはず、蒼雪にいかなる願いが込められていようと、雪がまだ白かった時代を知らず……ましてや初めて蒼雪を踏んだ彼女にとっては、そう大事なことでもなかった。
その傍らには薄く雪被るラジオが置いてあり、それは静まり返る辺りに朗々と語りかけていた。
『――続いて、天蓋崩落災害、弔い日の蒼雪の降雪計画です。降雪時間は、夜明けから日の入りまでの間、3日後まで。雪解けは遅くとも1週間後です。早い場合は5日後に溶けきり、23日には通常の天候計画へ戻る見込みです。また、それに伴う
『昨夜未明、リフリ街タルィ区にて火事があり、家屋二軒が全焼しました。現在火は消し止められ、周囲への延焼の危険はありません。現場には不審な魔力痕があり、何者かが放火したとして、
『速報です。先月から続いている
『さぁてさて! 我らが希望! いつか地上へ戻りかつて地底へ降りた理由を明かさんが為!
『市政及び
ラジオが吐き出していた音はどうやらニュースの類いだったようで、さまざまな物騒な知らせが耳へ滑り込んで来る。
音でしかなかったものが声になってくる頃、段々と音が戻ってくるように感じたそれに意識を傾ければ、自身が真っ青な雪に見惚れていたことに気付かされた。
「『ここ』…に? 『寝る』、いや『眠る』?」
顔を上げれば白い息と共に、ここに来た時からずっとあった威圧感が目に入る。
目の前に聳えるは、数年前よりいつだって献花が尽きたことがない巨大な石碑だ。
その巨石の下には骨も遺品も何もなく、ただひとりの名前が彫られているだけだということを万民に知られていてなお、その名前のかつての地位と支持と偉業に応じた__それこそ、戦争位牌のように大きな墓跡がそこにあった。
無感動に見つめる彼女の視線は、それが悼むべき墓碑だろうが墓の主人を知らぬ透明な瞳から生まれていた。
………ざ。
やけに古くさい筆体で読みにくい年数と名前と飾る言葉が並ぶ碑を読もうとしたとき、ラジオの吐き出す音声が止まる。
静謐に包まれる丘に、降り積もる雪を荒らす音がした。
「――よりによってキミが知らない、か。やぁやぁお晩だね、ユーフャ」
「、」
軽薄な声が、冷気にぼんやりとしていた彼女の肩を揺らす。
振り向いてそこに居たのは、褐色の肌をした顔見知り――現在の風潮に習って偽名と知らされて名乗られたのは、コノメヅキという名前――の青年。
亜麻色の髪を毛深い帽子に沈め、長い襟に口元をうずめ、お守り程度に差していた傘を、セベル=ユーフャの上方へ傾ける。
「コノメヅキ」
「ややッめっさフードに雪積もってんじゃん、
「…ここを指定したのはアンタじゃなかった?」
静まり返って僅かな音さえも雪に吸い込まれていく丘で、わざとらしいまでに明るい声。
セベル=ユーフャがオレンジ色のフードケープに積もった蒼雪を払い落とし、傾けられた傘を鬱陶しそうに押し避ければ、彼はニヤリと笑った。
「そりャあ、『蒼雪を見たことがない』ってキミがこぼしたからさァ! リフリに在りつつこの雲上の街を知らないのはもったいない!」
コノメヅキは亜麻色の三つ編みを揺らして、踊るように眼下の街を指し示す。夕暮れる街は夜間外出禁止令もあって、出歩いている人は見当たらなかった。
「『地上に最も近い場所』、『碧空に最も迫る場所』。リフリを一望するのならばこの丘しかないよ。……まァ、ここ結構な内地にあるから標高を越えているはずの
視線が向くのは、辺りに降り積もる鮮やかな蒼雪が生まれる曇天。
だが見ているのは暗澹としたそれではなく、普通の――ちゃんと
それは別に雲が竜巻などのように変形しているわけでも無ければ、風で凹んでいるわけでもない。
本物をそのままそっくり取って貼りつけたように、僅かに流動するリアルな曇天が、そこだけ
「……魔人狩り4件目、雫徽章がやられたのは聞いたよね。それでも行くって宣う?」
突と零したのは、先程のラジオに流れていた報のひとつ。セベルがここにいる理由。
コノメヅキは穏やかな声で問う。セベルは決まりきった答えをぶつける。
「…どうせロロに掛け合ったって
「少なくともウチだったら、自らを餌として誘き出すなんたァ結論は出さない。情報屋として、これまでの事件の概要と詳細はあげた。次の予測もつけた。だけれどいくら魔人だと言ってもその膨大量の
コノメヅキがセベルの冷え切った腕を掴む。肌を覆い尽くす包帯には血が滲んでいて、よく見ればフードの中にも見受けられる。説き伏せようとする目には、滲む心配に似たものがあった。
「教えられた真実の名を冠した虚実に依存するしかないのに、ど〜してそれが自らの過去だと信じられるのか。…キミはソレが嫌だからこの件を追っている。けれどねェセベル、それはロロの領域だ。彼ら、
「…それこそ、教えられたものすべてが真実だと鵜呑みにしていいわけがないってやつだよ、コノメヅキ。『自分』は自分で掴まなきゃ、自分はその『いつか』まできっと耐えきれない」
セベルは腕をふりほどき、たった一人のために築かれた石碑を見上げる。
「過去がないから基底がない。3年前の自分が他人にどう映っていようと、今の自分はそれを感知しない。出来ない。元からあやふやなものに、約束された結果なんて__ない」
「ないんだよ、コノメヅキ」
紅と紫の眼光がぶつかる。フードの中にあっても、翳らない紅は、強度があった。
風が吹く。蒼雪を舞い上げて、可視化された一線があたりを撫でて過ぎていく。
「___」
数秒、沈黙があった。
「…やっぱり、か。なら、言うべきことはもちろんさ!」
ため息を白煙に変え、高らかに笑ったコノメヅキは踊るような足取りでセベルを追い越した。
「ここはリフリ――願いを持つ者こそが強き街。もちろんキミが欲しいと望んだ
石碑を背後に謳う彼。逆光で陰るアメジストの眼がこちらを射抜く。左手は胸へ、右手はユーフャへ差し伸べられる。
「差し当たっては、そうだなぁ___」
瞬きをして手を取ろうとした次の瞬間、聞こえたささやき。
「さぁ、来るよ」
____蒼雪をめくりあげて、突風が吹き荒れる。
息が詰まる暴風は、いとも簡単に足を攫った。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
「《良いスか、良〜スかレオ! 絶対にルレットから離れないでくださいよ!? いつもみたいに突っ走るのはダメッスからね!》」
「わぁーってるつうの、何度目だそれ」
「《まぁペア組みは今回に限っては安全策だからねぇ〜……にしても
「周期的には今夜なはずです……ウラトにマキャナーにリフリ、地底の安全領域の全てに被害が出てますし、カトレスさんの件もありますし…いい加減解決したいところって感じですもんね」
人の気がない辺りに、動く影。
色濃く残る朱と混ざる薄闇に灯り始めた住居の窓灯りが
「《雫徽章が殺されかけた案件に雫徽章のチームで当たる、なんてまぁちょっと急造な作戦になるくらいにはそれなりに切羽詰まってはいるよね〜? だって最高戦力の真環サマ方、最近あんまり連絡取れないんだもの》」
「《もーグリフさん! いつまで屋根に寝っ転がってるんですか! ほらおしゃべりしてないでチャキチャキ見回ってきてくださいっス!》」
「《ぇえ〜、これでもレーダーに目を光らせてはいるんだぜよー? でもさ、やっぱりペアの警邏よりさぁ、囮作戦の方が手っ取り早かったんじゃないー?って思うんだけど》」
「《…まぁ、カトレスさんよりも
「《いやぁ、俺ちゃんとアマテあたりでフラついてたらワンチャン釣れないかなってさ。一粒狙いじゃなくて魔力量狙いだったらイケそうじゃあない?》」
「《それは却下されたっスよね? 確かに総量でいいなら大抵の魔人には勝つけど、これまでの4件からして単独狙いのセン濃厚って話忘れたんスか鳥頭》」
「《えー》」
「はぁ、まったくまたふたりは…」
己の髪をいじりながら屋根に寝転がる青年をサングラスをかけた少年がせっつく声が、通信越しに聞こえる。
それを受信していた少女がやれやれとため息を吐く。その頬と鼻は寒気によって少し赤い。寒空のもと肩をすくめる少女は、薄荷色の髪を揺らして眼下の街並みを観察していた。
「馬鹿やってる奴らは放っとこうぜルレット」
少女___ルレットのため息に応えたのは、向かいの建物の煙突を器用に足場にしていた三白眼の小柄な少年レオニア。ヒュッ と手持ち無沙汰に、
多節棍の亜種であり、各柄一節が60センチオーバーの長槍。その三節目に手のひらほどの刃がギミックとして付けられたそれを扱う様子は、彼の手足のように舞っていて、修練と慣れが見えた。
ぐだぐだ言い合いつつ寝転がって冷えた腹をさすりながら周辺を見渡す青年__グリフは、勢いつけて起き上がったことによる立ちくらみにたたらを踏む。
「《よ、とっと…。これだけ
街中をくまなく監視している中、ロロが記録している標的になり得る者すべての動向を把握しなおかつ護衛まで用意してまで、次の被害者が出る。
その事実からグリフは、標的の情報を筒抜けにしている間諜が『内』にいる可能性を指摘する。
「馬鹿言わないでくださいよ、ただえさえ『外』見るのに忙しいのに『内』まで見ていられませんよ」
グリフの発言を叩き落としたルレットのかじかむ手には、肩を組んだ数人の輪を照らせるくらいには大ぶりなランタンが握られている。
そのランタンは、眩しい光源の割にはくっきりと足元に影を落とす訳でもなくぼんやりとしている。その灯は彼女の眼と同じ色に揺れていた。
「そもそもとして、もしスパイなんていたらリーフシャム様が見逃さないと思いますし」
「《それはそう〜》」
ルレット、レオニア、ソレータ、グリフ。
彼らの白い
彼らが追うは『魔人狩り』__連続魔人襲撃事件。
2週間前より地底を賑わせ、リフリ街の安全を管理するロロが決して無視できない問題だった。
標的になったのはその通り『魔人』――普通の人間よりも魔力炉…寿命や生命力を貯蓄する虚空器官を多く保有する人間だ。
いまだ定かではない襲撃者の目的は果たして、大多数の魔人が所属する
それがどちらにしても魔人という存在は、リフリ街を護る
解決を急ぐのは当然のこと、夜間外出禁止令も捜査をしやすくするための策の一環だった。
「___きました」
ふっ、と。
その時、ランタンの灯りが消え入りそうに大きく揺れた。
「《およ?》」
「《マジすか》」
通信が拾った僅かな呟きの声色の変化を感じ取った彼らは、それまで冗長に緩んでいた空気を引き締め、戦場のそれへと表情が変わる。
「…北区15番目の『灯り』が消えました。手応えには大きな衝撃と魔力反応の揺れ。ビンゴです」
「レーダーもそのポイントに波紋を映した。急行するぞ」
「《距離的にソレータと俺ちゃんは遅刻確定演出なので先行よろ〜》」
「《はいはい早く行くっスよ!》」
「《ぐえっ》」
若干一名、首根っこを引きずられつつ。四つの白影が、夜闇が忍び寄る薄暮へ舞い降りた。
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