第一部:絶縁的観測世界
1-1:魔人狩りと選滅の樹
アバンタイトル:地上の空
――朝焼けに、『死』が吸い込まれていく。
どこまでも幸せに浮遊する幻想的な空を裏切るように、繁栄した一都市はその面影を一切残さず、崩壊を迎えていた。
平たく
彼は、終わり去った世界に残留する、たったひとりの燦然の星だった。
空へ飛び立つ瓦礫に背中を向け、白い息を吐く。
身を切り裂くほど冷たい空気にもかかわらず、向こうの景色が見える腹は、燃えるように熱を主張していた。
『ッ…ぁいつ、高みの…見物、って……と、か』
苦々しく吐き捨てるように怨嗟を吐く口から溢れるのは、灰になる寸前の鮮烈な色の赤アカと、
霞んで汚れた金髪を地に花咲かせ、白き肌は
濃紫の霧として現界しているのは、肌を爛れさせ、喉を焼き眼を溶かし、その歩みを阻むもの。すべてを呑み尽くしてなお猛り死に至らしめんとする、生者を拒絶する毒そのものの大気。
懐かしくまである火薬の煙を吸ったような感覚――馴染みすらありながら、実際そんな単純なものではありえない。____それは『滅び』の
『__』
ここには姿を現していない、深い腐った森の匂いがする『アイツ』を睨む視線は虚空に。
先刻まで戦禍の真っ只中にあった辺りには、家一軒を超えるような巨大な怪物(霊礁)たちの残骸が転がっている。しかし、その気配はまだ旧都市を囲むようにして街の外にある。
風前の灯火だということは自覚しているが、手勢を遊ばせておくほど高みの見物がされているのが気に入らない。
まだ、まだ、夜は明けていない。『朝火』は訪れていない。終わっていないくせに。
この霧に、喉が完全に潰れる前に。
『―――【
それは、帚星に違いない希望だったのだ。
絶望の中でこそ
それは何かをひどく後悔する嘆きの焦燥。だが彼は、『これで終わりではない』と足掻いている。やれることをやれる限界まで埋めて足りないから、到底納得できないから、終われるわけが無いから、駄々を捏ねる子供のように突っぱねていた。
いつかの平和が夢幻の物語に感じ、結び付けられない柔さの欠片もない地面に手を伸ばす。
また未練たらしい仮想の記憶が映し出される。
――内通者の冤罪で殺された、普通という幻を追い続けた少女。
自らの願いの力に裏切られて失意に貫かれた人間不信の少年。
絶望の未来しか視える破片がなく駆け回った果て、いつしか意思を折られた青年。
仇敵であり恩人である戦友と和解ならず、最期まで指揮官として在り続けるしかなかった淑女。
氷の竜巻と霊瘴の津波とあまつさえ雷に焼かれてでも立ち向かった男。
儀式成立の阻止のため記憶を取り戻し、旧時代の悪縁との訣別を成した人形。
今回、幾度となく救い零した数多の終わりはこれっぽっちではなく、瞬きをすれば一体何人増えることだろう。
『…【
ふと、彼の傍らにあった砂泥が浮遊し始める。それは詠唱に伴った、彼の周囲の重力の異変を示す。
『――【
肌を伝う血さえ飛んでいき、橙と蒼が混じり合い白む空に居座る星々へ手を伸ばす。
それはいつか誰かに託された『魔法』だった。
やがて、陽が昇る。黒い水平線から顔を出す。
―――『終わり』は、朝焼けの色をしていた。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
「ーーシャム、リーフシャム!」
「っ!」
沈んでいた思考を引き上げる呼び声。彼の顔を覆い隠す白布越し、眼の辺りからバチンと貝紫色の火花が散った。
―――――ダンッッ!!
「っ……すまない!」
水溜りから飛沫が散らされるのを傍目に、頭の中を渦巻く考えを吹き飛ばすように踏み込む。
その勢いのままに任せれば再度、身体はぐんと宙高く舞い上がった。
息継ぎではなく、ごちゃごちゃな頭の中をリセットするために息を吸う。肺が冷たく満たされていくのをいっぱいいっぱいまで待って、それから、また苦しくなるまで吐き出す。心臓の早鐘が穏やかになるのを自覚する。
「――【
ぼっ、と。
視界に満ちる霧を貫いて、まっすぐ、総勢20の魔力弾が
ばしゃり、と。
追跡のために踏んだ浅瀬が、混沌とした黒を飛び散らせた。同時に、きんっと何かを貫く多数の音があった。
「ッこちらオールグリーン、――ナタリー残りは?」
そこは、高層ビルの区画をまるまるなみなみと呑み込んだ、夜のような洪水の海。地平線は水平線へ変わり、そのほとんどは黒の海に沈み、不確かな影を揺らせていた。
見渡してやっと見つけられるような足場――片手で数えるほどの僅かなビルのみが屋上をのぞかせている一帯を戦場とする、十数人もの人間が、駆ける。
共通するのは、フードに付属する防塵ゴーグルと何かの魔法の
「《従兵15撃破確認! 残存及び新手は、5秒後9時方向から
無人の声は通信先だ。
地上である現場と遠い、地底にある薄暗い管制室に淡く鳴り響く警報。それに紛れるのは、広いはずの部屋を狭く錯覚させる黒塗りの観測機材達の稼働音と、一面の壁に展開されたウィンドウの情報処理のために彼が絶え間なくキーボードを叩く音。
警報の発信源は、そのウインドウのうち、遠征隊周辺地形のレーダーを映す一枚だった。
ザザっとノイズ混じりのナタリーの声が、状況を伝える。それは必要最低限の短い戦況読み上げで、計算と応援と戦意が満ちている。
リーフシャムは、遥か遠い拠点…管制室への通信接続を表すランプがインカムに変わらず灯っているのを見て、明後日の方に声を掛けた。
耳元で風が唸るその速度を落とそうとし、摩擦で編み上げブーツの底を削らせる。魔力弾を放ちつつ通信先に呼びかけたリーフシャムは、その身体で風を切り裂いて伏せり滑るように仲間のもとへ戻った。
「ーー了解。パドマ、フォロー頼んだ!【
減速する勢いのまま9時方向を向き、真横に両手を広げる彼がこの集団のリーダーかと思えば、そうでもなさそうだった。…彼は、この中で一番の高火力と手数を持つだけ。
―――ィイイン。
僅かなモーターの音が疾る。
広げられたその手に吸い付くように追いつくのは、ずっと彼の周囲を回遊していた小型の星状機械。呼応する設定式のパスワードを音声認識で認めさせれば、それは引き絞るように回転し魔力弾が充填されていく。その色は、先程も疾っていた彼の髪と同じ山吹色をしている。
そしてその弾幕が狙うのは、残像さえ見えるような俊脚を持つ鹿型の化物レー。
「っ速…!」
いやに慣れた驚きが滲む。コンマ秒もかからず魔力弾が発射されたにもかかわらず貫きせしめたのは、3体のうち2体のみ。
逃した1体のレーは、音速に近い魔力弾さえ避け、パドマと呼ばれた青瞳の少年の方へ一足で迫ってみせる。
「【僕はーー】」
鹿型ながら、自然界にありえない速度。しかし姿からそれを鹿と呼ぶ。そしてそれと違うのはその頭と体色が証明している。
目に痛い紫と橙のビビットカラーから伸びる超速のその
「物理障壁は解除済みだ、パドマ」
しかし、そのグリーンは空中に浮かぶウィンドウに囲まれた後衛に控えていた男によってほどかれる。
あわや、その胸を貫くかと思われる______
「【
しかしその行為に対して頷いてみせたパドマは、なんら構えずその胸に、つのを迎え入れた。
――無防備な胴に、さざなみを立てて。
「____________【透過する涙】」
括りの詠唱。歌うように紡がれた音が宙に飛び出せば、少年はするりと貫通したつのを液体の如く抜き、透過したまますれ違い様に何かをレーの体内に突っ込む。
「――」
瞬間、鹿の肢体が爆散する。それで怪物の核をも砕いたようで、先程の数体達と同じように霧になって還っていく。
余波で黒曜の髪がなびくのを押さえながら、傷ひとつなく、悠々と振り返った。
「あとは
先程の会敵報告には、もう一体居た。そこらじゅうに転がる瓦礫や泥水を媒体に取り憑いて無限に体積を広げていく物量の怪物の、従兵。過去に全長2kmオーバーを記録した本体ほどではないが、取り巻きとしては十分な物量を纏う怪物が。
ゴォッ――
唸る風切り音のすぐあとに、2人にさっと影がかかる。耳聡く飛び退けば、轟音と共に瞬く間にクレーターがつくられた。
「《大気霊瘴濃度レベル5へ上昇だって!? 警戒、従兵の存在規模が事前観測以上にある! ヴィイ、障壁はーー》」
「あァ、完了だ」
緊張の滲む報告に答えたのは、先程の後衛。ドレッドヘアーをバンドでおさえ、西部特有の革製のポンチョに身を包む男だった。
老年にふさわしい深い眉間の皺が寄った視線の先には、その男の周辺の空中に浮かぶウィンドウ。音声入力より打込み入力の方が早いと言わんばかりに指を走らせる熟練のそれは、打ち始めから2秒も経たずに反映されるほど。
その場にいる全員に微風が起こり、ウィンドウに示されたイエローカードの出されていた
「…――」
石も木材も土くれも、ぐちゃぐちゃに一緒になって覆い被さるように、掘り返されて埋め立てられるように、これ以上ない大質量が襲い掛かる。
それらは例え、かすっても骨が折れ腕が持っていかれてしまうような暴力の化身だった。
飛び散る泥をもかわしながら、リーフシャムは足止めの言葉を放つ。
「【
「――【透過する涙】」
呼びかけに応じた白く溶けていく息が、リーフシャムとパドマで従兵を挟むように消えていく――刹那。
彼らに飛び掛かろうと津波のように身体をひねらせた従兵が不自然に固まり、瞬く前に撃ち砕かれる。
またもや霧散していき、粉々になったただの瓦礫が崩れ去るのを傍目に、ナタリーからの報告が入る。
「《…司令、半径500メートル範囲の霊礁反応撃破、モーアの本体は周辺には不在確認〜。進行方向にも目立つトランドルはいないし、この先420
「《あぁ。…戦況終了、各自第一警戒継続! …予定外の遅滞はあったが、進行は当初の通り『白亜遺跡』へ向かう。戦闘魔力痕に惹かれてトランドル達がやってこないうちに『大海区画』を抜け、第3封楔まで辿り着くぞ》」
ふよふよと、伸ばした手のひらに帰巣する小鳥のように星状機械が着陸する。両手いっぱいに回収を終えたリーフシャムは、腰のポーチに仕舞い込む。軽々と黒々と濁る屋上の間の海を跳び、後方を着いてきていた集団のその傍へ降り立った。
「まさか地上に出てすぐ会敵とは災難だったね皆。不意打ちを喰らってしまう未来は視えていたのだけど、位置座標までは霧の中でね」
「アンタのせいとかさらさら思わないですって。それより、開幕ぶっぱで残存
「まだまだ魔力は有り余っているよ。先の遭遇戦で予定より少し遅れているから今のうちに進めるところまで進んでしまおうか。天候も落ち着いているし」
「氷柱でも雷霆でも降ったらとんぼ返りですもんね。あれ、ほんと天変地異にふさわし過ぎる地獄的光景ですよ。そこらの蒼灰達に見せたら信じなさそうなくらいには」
リーフシャムに心配を向けるのは、ヴィバンの隣に居た跳ねた金髪の青年。線が細く萎れた草のような彼は、フェブリス=ヘルガートと言った。
氷柱。雷霆。パドマが指摘したそれは比喩でも誇張でもなく、そのままの意味。天候さえも黒々く変貌したここは、気まぐれに人サイズの雹や鼓膜を突き破るような豪雨を降らせ、時にそれらを数時間で溶かし干上がらせる灼熱の日差しをもたらす。もちろん天候が移り変わる予兆は読み解けるが、それでも凄まじい光景を彼らはよく見知っていた。
そのひとりが、立ち上がって風景を振り返る。
―――すべての法則を無視して、渦巻き続ける空を見上げる。
舗装が剥がれむき出しの建築物の残骸を呑み込んでなお天高く洪水となるのは、水平線を黒く塗り潰す汚染雨の大海。
海落雨、灼陽天、雷宙天。物理法則も無視して通常天気が天災並みに引き上げられた異常天候。空はどす黒い血の灰燼に閉ざされ、不定期に即死に能う氷柱や雷霆を降らせる。我ら『ロロ』が掲げる碧空、澄み渡る蒼空など見る影もない『終わり』を突き付け蓋をする暗雲。
――〈
そこは、今は失われ、かつてあった人類圏。盟主の言によると、王国が、帝国が、聖朝が栄え、風と水と緑に溢れていたかつての大地。
10年前に現人類圏____『地底領域』の天蓋が爆砕され未曾有の災害を引き起こした事件がなければ、これから向こう千年も存在に気付かなかっただろう遺界だ。
「《あ、》」
「どうした、ナタリー」
「《いやね、圏内の端っこに〈霧毒鯨〉の霊瘴範囲が流れてきつつあって。進行速度は時速10キロ程度だけど》」
「…うん、こちらでも視認出来た。あの砂嵐だね」
「相変わらず目が良いな」
「《そうだね、不穏な別件もあることだから帰還は早ければ早いほど良い。リーフシャム》」
生命のあるべき形は見る影もなく、蔓延るのは猛毒性の瘴気の化物と環境。今は亡き滅びの遺跡。
「了解さ、ソラ」
そして、いつか澄み渡る碧空を取り戻す地だ。
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