3.『豊理宣誓守護機関ロロ①』




「__ゃあ、処遇決めはさすがに…遠征組の帰還待たないと駄目っぽくないスか? 一応、真環様方の指示を仰ぐというか…」


 浮上した意識に入り込む声。どこかで聞き覚えがある幼なげなものだった。

 日和見するそれは宥めるような声色。そして宥めるのなら当然相手がいる。水飴のようにはっきりしない思考に捩じ込まれてくるのは、そうした数人の話し声だった。


「そんな余裕あるかよ。もとからこのロロの構造上の弱点を突かれてる時点で、明日にでも解決しちまいたいくらいだ」

「……難しいことはいいんだけど、でさ。もうこいつが犯人でいいよね?」

「いやいやいや待つっスよアマテ、逸んないでくださいッス! 怪しいからっても、魔力炉検査スキャンの結果から見て、5件目の被害者の立ち位置の方が妥当ッスよ! それに俺らが現着した時とルレットの報告じゃ、敵対の素振りはなかったッス!」

「しっかし見れば見るほどヤバい数値だよねぇこれ、どっかの伝承の大釜みたいじゃん? 真環以外に俺ちゃんの値を超えるとか今まで無かったからかめっちゃウケんだけど! もしかしちゃうとあの『焼き芋真環』に次ぐやつかもだよねぇ、笑」


「仮にも真環のひとりをそんな呼び方しないでくださいグリフさん。というかちゃんと話し合いする気あります? 集まるといつもこうなりません? 僕の気のせいなワケないんですけれど?? ……はぁ、今日ストッパーのオキシーさんもいないのに…」


 それは、話し合いとは言えないほど、踊りに踊る会話。

 一人は自らの武器片手に向かい、一人はそれを押しとどめ、一人は書類片手に椅子で笑っている。そして眉間にシワを寄せたままの少年と最後に突っ込んだ少女の声には、苦労の色がある。それらの声は、聞き間違えや声似がなければ、パッと5人のもののように思えた。


 知らない声。知らない匂い。知らない温度。おそらく知らない場所。

 __どこかに、連れてこられた?

 跳ね上がった心臓が、鉛のように回らない思考を叩き起こす。かたく結ばれていた瞼がやっと開き始めて、違和感がセベルを襲った。


 _____視界が、明るい?



「っ__!」


 常に目元に落ちる影がない。つまり、顔が晒されている。いつも深く顔を隠していたフードが、取り払われていたせいだ。

 吹き出す冷や汗に身じろげば、耳朶にとどくのは鎖の音。今さら自覚した圧迫感に体を見下ろせば、腕に足にと、身体が金属輪で椅子に縛り付けられているのが見てとれた。


 混乱から、ギッ!と椅子が軋む音に、騒いでいた誰か達の視線が集まる。

 賑やかしかった音がぴたりと止んだ静寂には、その一声がよく通った。


「ほら、噂すればってやつ。目ぇ覚めたみたいッスよ」


 想像より近くにあった声に、勢いよく顔を上げる。

 目に入ったのは、視線を遮るサングラス。すぐ近くの円卓に腰掛けていたそいつが、肩に銃剣を下げたまま歩み寄って来る。


「__」


 きらり、と照明に反射した光が目に入る。彼のその胸元にあるのは、銀の懐中時計だった。中心に刻まれているのは路地でも見た、逆さ雫。


 咄嗟に後ろ引くが、それは背もたれに阻まれ失敗する。その背中の感触で、自身が拘束されていることを思い出す。


 ロロの雫徽章とやらが目の前にいる。自分は拘束されている。つまり__捕えられた。


(ここは、いやまず逃げないと__)


 拙い回転数の頭でたどり着いたのは鎖を解くことだった。解く__破壊しようと、撰装を起動しようとして__


 そして、一切の手応えが返ってこなかった。

 それは撰装とセベルの間の魔力パス…接続が切れていることを示していた。


「っな…!?」


 唯一の武器が利かない状況に、また心臓が跳ね上がる。

 起動の詠唱を口にするも、応えるものはない。その代わりにあるのは、ごっそりと魔力が持っていかれた感覚。それは空回りする詠唱のたびに、詠唱分の魔力がどこかへ吸われていくようだった。


「ん? あぁ。あの『アオの撰装』なら回収させてもらったし、今は君自体に局所的に『フィルター』を絞ってあるんで。魔力系使おうとしても無駄っスよ?」


 答えを突きつけたのは、銃剣をトントンと肩に当てながら首を傾げるそいつ__ソレータ=フール。こてんと傾げた首の向こうに、三つ編みが揺れるのが見える。


 魔力系。

 それはつまり、撰装があったとしても、あのよく分からない大砲を使おうとしても、無効化されるということだろうか。いや、先ほどの感覚からして無効化ではなく『吸収』が近いような気がする。

 フィルター、取捨選択して漉すもの。細かければ細かいほど、荒いものを一切通さない壁。

 

 『吸収』するのなら容量限界はある。フィルターも、目より大きいものを大量に流せば、重量で潰れる。


 なら、と。

 駄目元。

 セベルは力任せに、魔力を握りしめた。どこかに吸われていく感覚に逆らうように、持っていかれる端から補填して、より大きく、より強く。

 吸われるならその上を行く威力があればいい。フィルターごと押し流す力があればいい。

 

「まぁプールに送還されるだけなんでこちらとしては無駄じゃないっスけど…って!?」


 どこからか困惑や動揺の気配がする。目を瞑って魔力を集中させるのに手一杯なセベルには、誰かが動いただろう布擦れの音くらいしか分からない。


 これで駄目だったら、他だ。なにか他の手段を探して、逃げる。

 やっぱり寝起きで頭が働いていないセベルは、寝惚けの脳筋な結論を叩き出した。

 

 __果たして今度は十分な手応えがあり、バキンと金属が割れる音があたりをつんざく。


 青天の霹靂に、滔々と説明していたソレータが驚きに声を上げる。どこからか爆笑やどよめきも轟く。それは、できると思っていなかったが故の反応。


「うっわぁ、ははッ!! マジで!? キミ魔力トラオムゴリラじゃん! フィルターありでなおヤバいとか笑えるんだけど!」

「うっそぉ…」

「げ」

「もう、笑い事じゃないっすよグリフさん! ___で、そこまででいいッスかね?」


 魔力と金属が弾け、熱が走る。

 手首に裂傷の気配を感じつつ椅子から退き__そして、それ止まりだった。


「鎖こそ壊しせしめられたけどフィルターが解けたわけでもないッスしね。仮にも逆さ雫背負っておいて、野良に回路の速さで負けるわけがないッス」

 

 首に差し伸べられた銃剣の刃。

 ヒヤリとした冷気と僅かな痛みが、死角ながらにぴったりと肌に突き付けられていることを知らせる。セベルは、椅子のそばに崩れ落ちた体勢で固まる。


「ッ…!」

「はは! 手負いのなんちゃらみたいにそんな身構えなくても、コッチは害する気なんてサラサラないんだからさぁ、サッサと行こ?」


 尻もちついた状態に覗き込んできたのは、爆笑の主の青年__路地から相変わらずの気ままなスタンス、鮮血のようなサイドテールを揺らすグリフ=アンクだった。

 害する気がない。しかして、セベルは捕えられていた。まだ回り切らない頭は混乱する。


「ってなわけでほーい」

「…投げたし。投げられたし。……はぁ、ええーっと、まず、耳とか脇腹とか諸々のは治したけどなんか違和感はあるッスか?」

「___は、傷?」


 投下されるのは、予想だにしない負傷の心配。気がつけば首に差し伸べられていた銃剣は、いつのまにか退けられていてソレータの背中にくるりと戻されていた。


「はぁ…君、今また新しい傷つくったけれど、負傷に抵抗ないのかい? ここに運ばれてきた時、失血死しかねないくらいにはひどい傷しかなかったよ?」


 意識の外から飛び込んできた新たな声。セベルを指し示すルレットは、呆れた表情を浮かべて腕を組む。

 ペールグリーンに光るランタンと、影を操り怪物を翻弄していた姿は瞼に焼き付いている。あの路地裏に駆けつけてきた幻惑の力を持つらしい少女だ。


 思い返すは、目覚めた時の無痛。

 氷礫を受けて裂けた頬耳、風穴さえ空いた腹。石碑の丘から吹っ飛ばされて落ちた打撲に、割れそうになった頭。あれがすべて夢でなければ、結構な傷が身体中にあったはずだ。

 そう、今抱く違和感も、声が健常だからだ。決して掠れても潰れてもいない、いつもの声。


 しかし今は血塗れた生暖かさも、焼かれたような激痛もなく、ごわごわになった一張羅が見えるだけ。問われて違和感というのならば、服が裂けてやけに通気がいい点のみ。


 __あれだけの傷を、どうやって?

 夢幻を見せられていたかのような心地に、セベルの思考はわだかまる。


「ない、け…ど……」


 一眠りで治癒した謎に混乱しながら答える舌先は、意識が覚醒してやっと周りが見えてくるにつれて、鈍くなっていく。


 そこは、曇り空のような場所だった。


 先程まで鎖で椅子に縛り付けられていたのは、白と蒼灰のツートーンの会議室、シンプルな椅子机が端に山と寄せ、空けられた部屋の中心。

 セベルを取り囲むように佇むは、5人の雫徽章の碧空者アジュール。中にはもしも視線が槍だったなら流血していただろうほどの、刺棘がある眼差しもある。


 壁際から睨み付ける少年レオニア=ムニア。裏腹にニヤニヤ笑うグリフ=アンク。注意深く見てみれば、レオニアは腰に留めた三節槍にさりげなく片手がかかっており、グリフはセベルのそばに転がる椅子の背もたれに顎を乗せながら封石を弄んでいることに気付く。

 レオニアのそばにたたずむルレットは表裏不明な微笑みを貼り付けており、先程目があった性別不明の子ソレータは特徴的なブーツの尖踵で地面を突いている。

 そして、これまで眠たげに口をあまり挟まなかった青年がひとり。ひたりと視線が合えば、蛇蝎を見たが如く胡乱げな目を向けられた。


「っ…」

 

 あの蒼雪の墓で啖呵切ったことは、要約すれば自分で為さねば信じることができないと言うことだ。

 ロロはいつかは掴むだろう。何故なら洪瘴後の大混沌を纏め上げ、対霊瘴関係を整備対処実行し、滅びから立て直してみせた組織だ。力がある。辿りつかないわけがない。いや、もう真相を握っているかもしれない。だが、それを知る術は自分にはない。


 ひたりと冷たかった刃の温度が首から完全に消え去る前に、セベルの思考は行き止まりへ追いついた。


 身を焼く焦燥感に駆られ『病室』を飛び出して、たどり着いたのはこの椅子。『病室』に戻るが早いか、ロロの握る情報を知るが早いか、奇妙な境界線上に立っている。『あいつ』に問い詰めてなお隠し通される不信感はまだ残っており、ロロに居ても、なにひとつ分からないまま知ることができないまま、戻る可能性もあって。


「っ……は」


 息を吐く。つられて、ぐるぐる回転していた思考がその速度を緩めていく。


 __答えがどう決まろうと、ここから逃げられる気がしなかった。

 

 無意識に力んでいた肩を下ろせば、残骸と化した枷鎖がさらに重みを増した気がした。


 瞬間、空気が変わるのを感じる。

 それは、一部にあった一触即発の刺々しさを刃先を潰したくらいまでに和らいだ変化。

おそまいて気付いたのは、今までの瞬間で何かに負けたような__もしくは何かを測られた事実だった。


「__だから、早いとこ尋問でもしちゃえばいいのに。その方が手っ取り早いし、悠長にしてる暇なんてウチらにはないでしょ?」

「うはは、容赦ないなぁアマテは。カリカリしてると大事なもの見落とすよぉ?」


 何もなかったように再開された口の叩き合いは、容姿の美しさを粉砕するような舌打ちをした白い青年が最初だった。覚醒の斑紋としない意識に聞こえていた踊る会話の続き。

 グリフに、俯いた顔を覗かれて手で追い払うのは、部屋に溶け込むようなカラーリングの彼。


 ザンバラな白髪に、金輪をつけた黒い細布を頭にかぶり、床に擦るほど長いマフラーを巻いている。

 アマテ=リストレイン__微妙に性別が分かりづらい中性的な彼は、眉に皺を寄せた気分を示すように壁に身体を預け、眠たげに腕を組んでいた。


「ッチ、アンタに言われることじゃないですそれは。はぁ、それよりどうすんの? こちとら防屯壁ウルルの夜間警備だったから早く寝たいんだけど」

「へいへーい、ま、俺もこの後任務だから時間ないんだけど笑笑〜」

「いやオイ。遅れりゃ蒼灰らにシワ寄せノシかかるくせして、お前が一番無駄に喋ってんだろうが」

「無駄だなんてひどーい、うわーい、棘が刺さるぞー? 用法用量を守らないと、かよわい俺ちゃんは折れるんだぞ〜?」

「なんの用法だよ。つーかお前のどこがか弱いと」

「あの先輩方、ちゃんと進める気あります? ギロチンでもあげましょうか?」

「ごめんごめん。ま、茶番は置いといて!」


 ヘラヘラと笑うグリフは、ルレットにランタンをチラつかせられて、パンと手拍子をひとつ打ちセベルにくるりと向き直った。


「__おはよう夜空ちゃん! 趣味はみぃ〜んなの豊理集めと勾玉作りな23歳児、『豊理辞典』グリフ=アンクでぇーす! 君のその魔力性質も是非後でコレクトさせ__ぐえ」

「はい本題に行きますよ」


 どこかクズみを漂わせる彼は、割り入ったルレットに後頭部を撃沈させられ、背もたれに額をぶつけ、景気良い音が鳴る。ついつい噴き出す声。空気が緩みまくる光景に困惑するセベルは、ストレートに疑問を放つ。


「夜空ちゃん…? それより、何が目的で…」

「うん、髪あおいし!」

「横からこんちわ、路地でも名乗ったけど雫徽章シズキのソレータ=フール、っス。ここは豊理宣誓守護機関ロロの本拠地、そのうち雫徽章の拠点である東館、第3会議室。今は昼の1時ってとこッスよ。先の事件の第5被害者の君にゃ悪いけど、魔力暴走の懸念はあったから目覚めるまで拘束させてもらってたっス。まぁまさか力技で破られるっては思わなかったスけど」


 懲りないグリフを押さえ付けつつ話すソレータ。この子だけは、先ほどより続く言葉の節々から他より敵意が少ないことを感じ取れる。


「懸念、って…__ッいや、ウルルは!? 霊礁トランドルが街中に現れたってことはまさか破られ…」

「それについては大丈夫さ。穴ひとつ無いことは確認されたよ、ねアマテ」

「…はいはいただでさえ厳重化された見回りを8時までやってきたんだ、もし破られてちゃウチはまだ帰ってこられなかったと思うよ。その謎は真環様達が究明に奔走しているってさ」

「いやぁ、その点こっちには招集来なくて一安心ッスわ。会議、絶対踊りまくるッスもんね、アレは」


 懸念の文字で思い出したあの路地での異常を問いただせば、緩い空気が蔓延する。

 侵入経路、手引きした間諜の当て、警備対策、街中に発生した霊瘴範囲ギフトレンジの処理、民間への説明、その他諸々。それらが議題に上がっているだろう、疑念と問題と頭痛が渦巻く部屋に居なくて済むことに、「あの空気は嫌ッス〜」なんてソレータは肩を撫で下ろす。


「あそうだ、【淘げた宝玉】、宝玉〜っと」

「!」


 不意にグリフが指を鳴らして呟いたのは、あの路地で聞いた覚えのあるような言葉のひとかけら。確か、枷鎖を__おそらく、何かしら物を顕現させる豊理だった。しかし全文は今口にしない。

 今度はいったいなにを出すつもりか。素早く視線を走らせたセベルは、猫の如く身構えるが。


「______ところで、おじょーさんお茶でもしない?」


 ドサドサと虚空から現れたのは、武器でもなんでもないただのソファ。3つ落ちてきた2人掛けのものは、いかにも座り心地が良さそうな見た目をしている。

 そしてそれに合うような広めの机卓。綺麗な木目の卓上には、割れないのが不思議なくらいカチャカチャと音を立ててカップが現れていく。


「……はぁ?」


 間抜けた顔を晒すセベルに、グリフはいつのまにか持っていたポットをかかげ、そう宣ったのだった。

  


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