第5話 聖女教育 1
朝食の時間に、アレンザから今日の予定を聞く。前回と同じく早速聖女としての教育が始まるそうで、午前は基本的な礼法。午後は魔法についての講義。明日以降も概ね同じように午前が文化や作法、午後が実技的な内容になるはずだ。
侍女に手伝ってもらいながら、ばさっと頭から被るような白いローブを着る。大きめのワンピースを腰あたりで飾り紐でまとめるみたいな着方だが、美しいドレープを作るには一人では無理なのだ。戦場に立つ頃までには聖女専用の礼服を用意してもらっていたが、今頃は聖堂の神職が着る服を借りていた。
着付けが終わると、まずはアレンザが私の先生として立ち居振る舞いを見てくれた。言われるままに座り、立ち、歩く。背筋を伸ばす。ゆっくり動く。まっすぐ前を見て、口元はわずかに微笑む。前に言われたことを意識して、部屋の中を動き回る。
「…まあ良いでしょう。基礎はしっかりできているようですね」
「ありがとうございます」
頭を下げる時には、神職の作法に従って。両手を交差し、やや腰を下げて…。
「聖女様は、聖堂の作法を御存じで?」
言われてさーっと血の気が引く。そうだった、これは知らないはずの動きだ。
「えーと、いや?わかりません」
「そうですか。慣れた御様子でしたので」
「ええと、私のいた所でもこういった動きがあったなって。礼儀作法って似てるんですね」
ぎこちなく微笑むと、それ以上追求はされなかった。でも、こんなことで誤魔化される人達じゃない。きっと王太子殿下まで報告が上がる。同じ時を繰り返しているのは知られない方がいいんじゃないかと漠然と考えていたけど、どこかで追求されるかもしれない。自分から伝えた方がいいのか、黙っていた方がいいのか。もやもやしたまま、午前の礼法は終わった。
昼食を挟んで午後になると、王太子殿下が側近を引き連れてやってきた。側近の中の一人、アズロウが魔法講義の担当だ。艶やかな青髪を編み込んだ彼は、私に一礼して話し始めた。
話す内容はやはり前回と同じ。魔法という概念と、聖女の力について。前回と違うのは、少し離れて王太子殿下の一団がそのまま私の部屋にいること。たぶんアレンザから報告を受けて、私の様子を観察するため。悪いことをしているわけではないのに、じんわり手のひらに汗が滲む。
この世界でも魔法というのは希少で、行使できる者は限られる。そのため研究が進んでいるとは言い難いが、現在のところ魔法はこの世界と異界との間の魔力勾配を利用して発現している、と考えられている。穿たれた小さな穴から水が噴き出すように、異界からこの世界にエネルギーを引き出す。穴が大きければ大きいほど、大量のエネルギー=魔力を一度に引き出すことができる。つまり行使できる魔法の威力は、その人の扱える穴の大きさに左右される。そして聖女は異界の存在。この世界に開いた大穴だ。聖女を通して、ほぼ無尽蔵の魔力が手に入る、ということになる。
誰がどのような魔法を使えるかについては個人差が激しい。どうやら魔法を初めて使った時のイメージに左右されるらしく、「火」をイメージしたならその後使えるのは火の魔法のみ、「水」をイメージしたなら水の魔法のみ、となる。そのため、幼児のうちに無意識に魔法を使ってしまった場合を除き、魔法が使える見込みのある家系の者は知識を付けてから魔法を試す。ちなみにアズロウは「温度操作」を意識したので、温度を上げて火を付けるのも逆に下げて凍り付かせるのも自由自在。戦場では土中の水分を一気に沸騰させて山肌を吹き飛ばす、なんてこともしていた。異界から引き出せる魔力量と精密な操作、応用範囲の広さから、彼は「天才」と呼ばれている。
さて、私の魔法は現時点では不明、ということになっている。王国の上層部が慎重に検討を重ね、聖女伝説に基づいて実地で試したのが今から二ヶ月後。まず癒しの魔法、続いて護りの魔法。そう、私は二種類の魔法を使える、ということになる。通常なら無理なものを「聖女の加護」という概念を作り上げて私がそれを信じ込んで実行するという、裏技のようなことをして手に入れた力だ。二ヶ月かかったのは、「聖女の加護」という曖昧なものを具体的にし、それを私が信じる──少なくともそういうものがあるのだと思い込む──のにそれだけの時間が必要だったからだ。わりと無理矢理だったので、私は癒しの魔法を使っている時には護りの魔法は使えず、逆もまた然り、という制限持ちになっている。
今回もおそらく同じ手順を踏んで魔法を身に付けていくのだろうが、私にとって魔法と言えばすでに癒しと護りの二種類になってしまっている。たぶん変更は効かない。聖女の加護を持つことで結局は王国に災いをもたらしたとまで言われた身としては他の魔法に変えたいが、過去の記憶を全部忘れて一からやり直さないと駄目だろう。前にもせめて火を出すとか何かしら攻撃になるような魔法を使えないか試してみたが、一度身に付けた魔法以外は使えない、の法則は異界出身の私にも厳然と適用されるようだった。
今回も聖女としてやっていくしかないのだろうな、と、アズロウが魔法の初歩について説明してくれているのをふんふん聞き流しながら頭の中で考える。天才肌の彼の説明は、意外なほどに丁寧だ。きちんと聞いているか、分からなそうな顔をしていないかを見ながら順序立てて進めてくれている。
『すまなかった』
最後に言われたのは、謝罪。まとめる余裕も無くなった青い髪は乱れ、エメラルドの瞳は歪んでいた。
『あなたが負う必要のない責任を、苦痛を背負わせてしまった。成功するなんて、思っていなかったんだ。いつも通り失敗して、いつかは陛下も諦めるものとばかり…』
『アズロウ、あの、私は』
『責任は、俺が果たす。王国の魔導士として、最後まで』
彼は殿軍を務め、王国軍は撤退できた。竜は止められなかったが、竜王軍の本隊はアズロウの魔法に翻弄され、立ち往生した。大敗には間違いないが、追撃による壊滅は避けられたのだ。アズロウの、命と引き換えに。
「ここまでは理解できましたか、聖女様?」
「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
少し感傷に浸ってしまっていたのが、表情に出ていたのだろう。鮮やかな青緑の瞳が私を見ている。私が口角を上げて微笑みの形を作ると、彼は講義の続きに戻った。
「では、続いて聖女様の力についてです。伝承の聖女様については、どこまでご存知でしょうか?」
「ええと、昨日少し聞きました。昔…」
こんなに穏やかに話し合うのは、何時振りだろう。午後になって日差しの入らなくなった部屋には、外から温かい風が吹き込んでくる。真夏になる前の、平和な日々。
そう。まだ、平和。考えよう。本当に、癒しと護りをもたらせるように、私にできることを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます