第4話 繰り返しの朝 3

 久しぶりに食べる王都の食事は美味しかった。前は何だか変な味の冷めた料理だと思っていたけど、戦場で出てくる粥よりは大概のものは美味しい。一年で味覚もずいぶん変わった。

 前と同じように、今日はこの世界の説明で終わった。二度目で余裕があったからなのか、今度は周りの視線にも気付く。アレンザを筆頭に、侍女達はさりげなく私の様子を観察している。どんな様子だったのか、何を話していたのか。きっと全部王太子殿下に報告されるのだろう。それが彼女達の仕事だと分かってはいるが、少し息が詰まる。

 夜になって就寝時間になると、ようやく一人になれた。何かあればこの鈴を鳴らしてください、とベッド横のテーブルに可愛らしいベルが置かれ、天蓋から垂れるレースのカーテンが引かれる。扉が閉まると、しんと静寂が訪れた。

 窓から差し込む月明かりからすると、今日は満月前後だろうか。魔力は月に左右されると教わったから、昨日の召喚を満月に合わせたのかもしれない。穏やかに吹き抜ける風の音を聞きながら、暗い天蓋を見つめる。

 この部屋で初めて過ごした夜は、何を考えていただろう。もちろん不安だった。何が起こったのか分からなくて、現実感が全く無かった。でも、少しだけ楽しみだったようにも思う。

 どこかで、ここではない別の世界に行きたいと思っていた。高校は誰も知り合いが居ないところに行きたくて、少し遠めのところを選んだ。自分以外の何かになりたかった。何もない自分が、嫌いだった。

 知らない別の世界で、今までの自分じゃない何かになれるかもしれない。そんな期待に、少しだけ胸を高鳴らせていた。結局、自分は自分でしかなかったけど。


 ぎゅっと目を瞑って、暗く沈む心をいったんリセットする。この半年、何もかもがうまくいかなくて落ち込んでばかりだった。そのせいで、逆に落ち込むことには慣れた。仕方ないと諦めて、次に進む。戦争は待っていてくれない。戦闘が始まるまでには、戦えるようになっていないといけない。目を瞑る。手を握り締めて開く。リセットの仕方も、幾つか身に付けた。

 開けた目に、レースのカーテンが映る。風にゆっくりと揺れるそれを見ていると、すうっと頭のどこかが冷えていく感じがした。よし、大丈夫。

 聖女召喚は国の一大プロジェクトだ。何故失敗したのかは、何度も検証された。その知見を活かせば、今度は何かを変えられるかもしれない。

 まず聖女の力について。初代がどうだったのかは伝承でしか分からないが、少なくとも私については加護と回復。受けた攻撃を魔力で無効化し、傷を治す。全てではないが病気も治せたし、失った体の一部を再生することもできた。力の及ぶ範囲は、最終的に『見渡す限り』。最初は目の前の一人の傷を癒すので精一杯だったが、戦争が始まり求められるままに駆けずり回っているうちに、軍団全体に聖女の加護を授けることができるまでになった。通常の戦闘だったら、建国神話のように向かう所敵無しだったろう。

 では何故勝てなかったのか。

 これにはまず緒戦の勝利が大きく影響している。私の聖女としての初陣。聖女の加護を受けて前進した前軍は、竜の初撃に耐えた。竜の吐く火炎にも退かずに前進を続けるのを見て、竜王軍は後退する。竜王の侵攻が始まってから初めての勝利。戦場ですぐに回復をかけたことで、前軍の死者数は三十人程度。大戦果だと、王国中が沸き立った。

 聖女の力があれば竜王に勝てる。王国がそう楽観するのと同時に、竜王はこう考えたのだろう。

 聖女の力があっても、竜の攻撃で王国軍を削っていける、と。

 戦場になったのは王国北方。穀倉地帯から北方山脈に移り変わっていく辺りだ。平原であれば効果的に展開できる王国軍も、北方諸国が点在する山脈内では大軍を集中できない。分断された王国軍は、聖女の居ない部隊を見透かしたように竜の襲撃を受け、消耗していった。危険な山岳を避けて平原に展開しても、敵がこちらに攻め込んでこなければただ資源を浪費するだけだった。

 散発的に攻撃を受ける中で、武具の不足が目立っていった。聖女の加護は竜の攻撃を二度程度であれば防げる。加護を破られ重傷を負っても、聖女の癒しの力で肉体を回復させることができる。だが、その時に破損した武具はどうにもできない。焼けた弓。折れた剣。切り裂かれた鎧。戦争が長引けば生産も補修も追いつかず、正規の軍装を整えられない状況に陥っていった。

 同時に、兵士にも厭戦気分が高まっていく。緒戦の勝利に酔うのも束の間、その後はろくな戦果も無く防戦一方。傷付いた肉体は癒せても、傷を負った痛みと恐怖は残る。圧倒的な暴力の塊である竜の前にまた放り出されることを恐れ、逃亡する兵士が相次いだ。

 それでも緒戦の勝利の夢が撤退の判断を許さず、不安と不満が王国軍を蝕んでいった。そうしてボロボロになったところに、満を持して竜王と北方諸国の連合軍が襲い掛かってきた。竜の攻撃で加護を剥ぎ取られ、まともな武装も持たない王国軍は大敗する。

 北方の穀倉四州を失い、国王の責任を問う声はもはや誰憚ることもない。聖女も余計な期待を持たせて王国に災厄をもたらした、と疎まれる存在になっていった。それから先は、もう思い出したくない。

 要は、聖女の力は強力だが竜はもっと強力だった、という身も蓋もない話だ。そもそも聖女の力は護りの力。敵を倒す力ではない。守る一方ではいつかはやられるのは当然だ。

 では、どうしたらいいのか。戦争なんてやめましょうと言う?王国から仕掛けなかったとしても、いずれは竜王は攻めてくる。さっさと降伏すれば戦争は起きないが、そんなことできるわけがない。

 聖女としての力を見せなければ、国王陛下も諦めるだろうか。私が戦場に駆り出されることは無くなるかもしれないが、役立たずをこの世界の人がどう扱うだろう。大勢の前で「聖女を召喚した」と宣言した陛下の面子を潰すことにもなる。悲惨な未来しか思い浮かばない。

 もっともっと頑張って、聖女の力を強力にしていく?でも、前の時だって優秀な魔導士のアズロウが「奇跡の力」と評価するくらいに破格の力だったはずだ。根本的に何かを変えないと、どうにもならないんじゃないか。

 正直に私の見てきた未来について伝えたら、考えを変えてくれるだろうか。でも信じてもらえるか分からないし、信じてもらえたとしてその先に何が待ち構えているのかも分からない。それに、誰がどう死んだか、誰が誰を殺したかまで話すことになったら…。冷たい黒い瞳が脳裏をよぎり、ざっと肌が粟立つ。同じ時を繰り返しているのは、今は秘密にしておいた方が良い気がする。

 ベッドの上を寝転がりながら頭を捻っても、結局いい考えは浮かばなかった。月明かりが、ただ静かに室内を照らしていた。

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