第2話 繰り返しの朝 1

 目を開けると、前と同じようにベッドの上だった。硬いマットの上で身じろぎすると、周りで人が動き出す気配がした。


「お目覚めでしょうか」


 柔らかな物腰の中年女性が声を掛けてくる。これも前と同じ。この王都で私の身の回りの世話をしてくれていた、筆頭侍女。


「はい、あの…」

「お体に障りはございませんか?よろしければお飲み物の用意がございますが」

「あ…ありがとうございます」


 焦点のぼやけた頭でとりあえず返事だけする。優しく体を起こされ、木のコップを手渡された。何の変哲もない水だが、井戸から汲まれたそれは野営地の泥臭い川水からするとずいぶん美味しく感じる。肌に触れる下着と制服の感触も、ずいぶん懐かしい。こちらの服に慣れていたが、やはり肌触りが全く違う。見た目は派手でもごわつくこの世界の服に、最初はずいぶん戸惑っていたのを思い出す。

 広々とした窓から差し込む光の加減からすると、今はまだ午前中のようだ。東向きのこの部屋は元々王女のためのもので、朝日がまっすぐに差し込んできて否が応でも早起きできるようになっている。そんな話を聞いて、朝寝坊できないねと笑い合っていた。

 そうだ。

 笑い合っていた、あの子。最後の記憶の中で、私の体にかかる体重。振り下ろされる刃を受け止め、形を失うそれから溢れる温かな血が、血が…。

 手から滑り落ちたコップが掛け物を濡らす。すぐに侍女達が周りに集まってきて、次々に何かを口にしてるがよく聞こえない。膜を隔てた向こうの世界のように全てが遠ざかり、あの夜の音が、温度が、臭いが、蘇ってくる。

 何かの潰れる、水っぽい音。ちなまぐさく熱い液体が、びっくりするくらいたくさん流れている。焼かれるような、引き剥がされるような痛み。どこで感じているのかも分からないくらい、でたらめな体の感覚。向けられた怒り、憎しみ、怖れ。絶望。諦め。何もかもが消えて、お終いになる。何かが破裂して、光った気がした。そうしたら──。


「何があった」


 落ち着いた、柔らかな声が響く。膜の向こうにあった世界がどっと戻ってきて、急に周りがざわめきだした。気がつけば、二人の侍女に抱えられるようにしてベッド上にうずくまっていた。細かく震える両手を固く握りしめているのが目に入り、意識して開いていく。大きく、ゆっくり息をすることに集中すると、全身に入っていた力が少しずつ抜けていった。


「アレンザ、説明を」

「申し訳ございません、詳しくは分かりませんが…。お目覚めでしたので飲み物を用意いたしましたところ、あのように」

「ふむ。毒か?」

「毒見は通常通り行っております。その可能性は低いかと」


 私が起きたと連絡が入ったのだろう、側近を従えた王太子殿下が部屋に入ってきていた。アレンザ、と呼びかけられた筆頭侍女が対応している。今回も聖女である私の窓口は彼になるようだ。


「ちょっと眩暈がしただけです。お騒がせしてごめんなさい」

「いえ、貴方が謝ることではありません。許可を得ずに入室することになり申し訳ない」


 きっと真っ青な顔をしているだろう私を安心させるように、優しい笑みが返ってくる。こういう表情は久し振りに感じる。いつも笑みを絶やさない方ではあったけど、悪化する戦況の中で暗い影が拭い去れないほど深くなっていた。最後に見たのは、死期を悟っていたのか諦めたような笑顔。


「昨日から名乗る暇も無かったな。私はライオネル。聖女様に関する一切を取り仕切るよう陛下より命を受けています」

「はい…あ、ええと、真衣、です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、マイ。気分が優れないようであれば、また日を改めます。分からないことばかりで不安でしょうが、我々は聖女様の降臨を心から喜んでおります。その点はご理解いただきたい」

「…はい」

「このアレンザが身の回りのお世話を取り仕切ります。どのようなことでもお申し付けください」


 深々と頭を下げるアレンザに、私もこくりと頭を下げる。いつも穏やかな物腰だったけど、かなり偉い人の未亡人で、国王陛下にも直言できる方だと聞いていた。

 部屋を出ていく王太子殿下の側近の中に、魔導士の彼もいた。殿下の頭脳で護衛で友人。私が聖女としての力の使い方を教わったのが彼、アズロウだ。淡々として冷たいようで、理解できるまでずっと私に付き合ってくれていた。

 私の体を心配する侍女達に無理に笑ってみせて、アレンザに向き直る。彼女は、穏やかに私の目を見て話し出した。この国の置かれた状況と、なぜ私がここにいて、聖女と呼ばれているのかを。

 前の時と、同じように。

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