第6話 聖女教育 2

 それからしばらくは、同じような日々が続いた。午前中は動き方、話し方、食事の仕方等々、聖女らしく見える振る舞いの指導。アレンザの他にも、高位の御婦人方が入れ替わり立ち替わり教えてくれる。たぶん、王国指導者層への顔合わせの意味もあるんだと思う。午後は魔法と基本的な軍の行動訓練、乗馬。軍と協同して戦場に立つことを求められるため、どういった号令でどう動くのかは知っておかないといけない。機動力を馬に頼るここでは、乗馬は必須技術になる。魔法は相変わらずのアズロウだ。


「なかなか筋がいい。このまま常歩で」

「ありがとうございます」


  芦毛のおとなしい馬の背に揺られる私の横から、栗毛の馬に跨る黒づくめの男が声を掛けてくる。前回も軍事面の指導をしてくれた人。黒髪に黒い瞳、黒い騎兵の礼装。赤地に金の剣帯だけが鮮やかに浮いている。近衛騎兵のジェイド。国王直属の兵士として、あらゆる戦場を駆け抜けた叩き上げの武人。私を、殺した人。

 今、私に向ける目には特別な感情は乗っていない。ただ任務に忠実に、指示された通りに訓練を行っている。数百年ぶりの聖女降臨に対する興味は、さほど無いらしい。前回もそうだった。最初は無関心。戦争が始まってから、だんだん冷たくなっていく視線。

 彼に会ったらもっと恐怖を感じるのかと思っていたが、そうでもなかった。あの夜を思い出すと今でも体の真ん中がぎゅっとなる感じがするが、あの日ジェイドの目にあった憎悪は既に軍の広い範囲に広がっていたものだ。野営地で天幕に隠れるようにして過ごしていた日々が、彼の手によってついに終わった。納得はできないけど、理解はできる。


「速歩」

「はい」


 短い号令に合わせて、馬の速度を上げる。訓練で、戦場で、散々乗ってきた。この何もない中庭を周回するだけなら、何も苦労はない。また何か疑われるかもとも思ったが、元の世界でも乗馬経験があったことにすればいいかと言われるままに馬を操っている。どうせ元の生活がどうだったかなんて、彼等には分からない。

 ジェイドはぴたりと私の横に付いてくる。しばらくは無言でただ馬を走らせた。そうしていると、嫌でもあの夜のことが頭をもたげてくる。とにかく何か話したくて、口を開いた。


「ジェイド様は、近衛の騎兵なんですよね。王国一の戦士でもあるとか」

「そのように評している者もおりますね」

「ジェイド様も、魔法が使えるんですよね?」

「ええ。とは言っても、防御に特化したものですが」


 王国一の戦士で魔法が使えるというのは、最初の顔合わせで王太子殿下から伝えられている。口にしても大丈夫な情報だ。本人の反応は薄いが、王国一の戦士というのも嘘ではない。実際に戦場で戦っているのを見ていた私としては、竜以外ならだいたい勝てる人、というイメージだ。

 ジェイドの魔法は、物理・魔法攻撃に対する防御。聖女の加護による護りの魔法に近い。違うのは、彼の魔法が彼自身にしか使えないこと。おそらく「盾」よりも幅広く「身を守る」イメージで魔法を発現させたのだろう。通常の矢や槍程度では、彼の体に傷を付けることができない。防御を捨て去り攻撃だけに集中できる彼の戦い方は、単騎突入。最前線で敵陣に真っ先に切り込み、大混乱に陥れたところに後続の騎兵が突撃してくる。統制された軍団同士の戦闘であれば、ほぼ必勝だ。問題は、今回は相手にも切込隊長の竜がいるということ。そして竜の方が巨大で、強力で、神出鬼没だということ。ジェイドなら、歴戦の戦士で囲めば抑え込むことができる。竜は、軍団で囲もうが魔導士が束になろうがどうにもならない。自然災害と一緒の存在だ。唯一竜王だけが竜を制御できる──というか、竜を制御できる者が竜王と呼ばれる──ため、竜をどうにかしたければ竜王をどうにかするしかない。そして、竜王は竜が強固に守っているため、竜を倒さなければどうにもできない。つまり、どうやっても勝ち目は、ない。

 それでも聖女の加護があれば、と淡い期待を持たせてしまったのが私だった。聖女の護りがあれば、全ての兵士がジェイドになる。聖女の癒しがあれば、たとえ傷付く者がいてもすぐに戦線に復帰できる。そうして挑んだ初戦は確かに竜王軍を撃退した。でも後になって考えてみると、あれは単に様子見で下がっただけだったのだ。北方山脈内での散発的な戦闘で戦術を検証し、再び平原に出てきた時には確信を持って進撃してきた。王国兵は竜王軍に辿り着く前に竜に蹂躙され、戦線を維持できずに敗走した。竜王軍は、ただ逃げ切れなかった者に止めを刺すだけで良い。


「頼もしいですね。ジェイド様は兵士の皆さんにも人気なのでは?」

「どうでしょうか。そうであれば光栄なことではありますが」


 近衛でありながら常に最前線に立ち、敵と斬り結ぶ彼の人気は絶大だった。末期になるとその活躍の場は殿軍となる。負傷兵を逃すために縦横に駆け回り、追撃を食い止める姿は兵士にとっては軍神に等しく見えていただろう。あの夜ジェイドが「聖女を殺せ」と命じたなら、それが大罪と分かっていても兵士達は従ったに違いない。

 あれがジェイドの意思だったのか、誰かの命令だったのかは分からない。でも、誰かに殺さなければならないと思われるほどに疎まれ、その実行役にも最低でもそれが仕方ないと思われる程度には恨まれていたという事実に変わりはない。


「羨ましいです」


 ぽつりと、そんな言葉が口から漏れた。言われるままに一生懸命にやって、結局ダメだった自分。最後まで味方でいてくれたあの子を守ることすらできず、巻き込んで道連れにしてしまった。ジェイドのように戦う力を持っていたら、きっと違う未来だった。苦い思いが広がっていく。

 ジェイドは何も言わずに、ただ横に付いている。馬の蹄の音だけが、中庭に響いた。

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聖女様、Continue? 田中鈴木 @tanaka_suzuki

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