第2話 宇宙服とバール

「……さて、どうしたもんか」


 最低な気分だった。

 だけどいつまでも、こんな路上で寝ているわけにはいかなかった。


 とりあえず近くのネカフェかビジネスホテルを探すことにした。

 スマホを取り出そうと、ポケットに手を突っ込む。


「は……?」


 妙に油っぽい感触。


 見覚えのないチキンが出てきた。

 コンビニのホットスナックコーナーで売っているようなものだ。

 それがむき出しの、袋にさえ入っていない状態で私のポケットに入っていた。


 スマホは見つからない。


「ちょっ……マジ……?」


 必死になって探すが、どこにもない。

 チキンと入れ替わってしまったようだ。


「マジか……」


 途方に暮れる。もはやどうしようもない。


 終電はとうに行ってしまっただろうし、そもそも駅の場所もわからない。

 タクシーを呼ぶにしても、手元にはチキンしかない。


「なんか、もうどうでもいいや……」


 ため息を吐き、頭を掻きむしる。


 いっそ、このまま朝まで寝てしまおうか。

 どうせ私の人生にはもう何もない。車に頭を轢かれようが、通りすがりの不審者に刺し殺されようが別に構わなかった。


 星でも眺めながら眠り眠りに就こうかと、仰向けになる。


「しゅこー……しゅこー……」


 そこに星はなかった。

 半透明の丸い何かが視界を覆い、私の顔を映していた。


 視線を動かす。

 丸い物体は何かの頭部のようで、白くて太った体に繋がっていた。

 胸部にはエンブレム群があり、その中でもひときわ「NASA」の文字が存在感を放っている。


 宇宙服だった。宇宙服を着た誰かが、そこに立っていた。

 その手に握られているのは、赤茶色に錆びついたバールのようなもの。


「ひっ……」

 

 何がなんだかわからなかったけど、私はとにかく逃げようとした。

 ヤバい人だということだけはわかった。


 だけど突然の出来事に腰を抜かして、仰向けのまま起き上がることができない。


「しゅこー……しゅこー……」


 宇宙服は無言のまま私を見下ろす。

 ヘルメットの奥でどんな表情をしているのかはよく見えない。

 半透明のバイザーに、私の顔が反射して重なっていた。


 ビビりすぎて私は酷い顔をしていた。

 声も上げられない。


「……なんだ、人間か」


 少しの間の後、宇宙服は呟いて立ち上がる。

 そしてバールを捨て、ヘルメットを外した。


「驚かせて、ごめん」


 高く澄んだ、か細い声だった。

 それでいて、奥底には確かな芯も感じさせる不思議な声色。


 長い髪が、夜空になびく。

 青みがかったグレーのインナーカラーが、月明かりを反射してぼうっと優しい光を帯びていた。


 肌は病的なまでに白く、弱々しい。細身で顔はやつれている。

 背も低く、私と同じかそれ以下しかない。


「え……」」


 目を疑う。

 そこにいたのは少女だった。たぶん歳は15か16くらい。


 なんとか体を起こし、私は恐るおそる口を開く。


「君、こんな時間に何してるの……? 未成年、だよね……?」

「何って……」

「っ!?」


 彼女は捨てたバールを手に取り、頭上高く振り上げた。

 私が身構える暇もなく、それは重力に従って振り下ろされる。


「"宇宙人狩り"だけど」

「ちょ、ちょっとまっ――」


 ずぶり、と鈍い音がした。

 頭上からだ。


「……へ?」


 見上げる。

 知らない男の顔が、私の顔を上から覗き込んでいた。


 パッと見、その辺にいそうな中年男性だった。

 だけどその目には白い部分がなく、瞼の際まで黒々とした墨のような色に染まっていた。


 そしてその後頭部には、深々と突き刺さるバール。


「ちょうど、おねーさんのすぐ後ろを通りかかっていたから不意打ちした」

「――ぐぇ」


 少女の説明と、男の短い断末魔。

 直後、男は弾けた。


 水風船が破裂するようだった。

 男の全身を覆っていた皮膚が一瞬で千切れ飛び、大気に晒された中身は一瞬で蒸発して消えてしまう。


 残されたのは飛び散った皮膚の断片と、泥水と酢を混ぜたような異臭だけ。


「大丈夫?」


 少女はバールを肩に担ぎ、再び私を見下ろす。


「これが宇宙人狩り」

「これ、本当に宇宙人だったの……? ていうか、何のために……」


 私は目の前で起きた出来事に、ただ口をパクパクさせることしかできなかった。

 わけのわからない出来事が多すぎる。

 酔って幻覚を見ているのだろうか。


 少女はどれから答えたものか、と悩むように小首を傾げる。


「……1つ目の質問からだけど、あれは本当に宇宙人だよ」

「こ、根拠は?」

「目」


 少女が、自らの瞳を指さす。


「月明かりに反応して、白目も黒くなってたでしょ」

「で、でもそれだけじゃ、宇宙人とは判断できなくない?」

「この街にUFOが現れたとき、数が増えたことがあったし」

「ゆ、UFO……」


 また新たにオカルトチックな単語が出てきた。


 確かに、あの男が普通の人間ではないことはわかる。

 だけどそれが宇宙人であるということの根拠に、UFOが出されるとは……。


「あの見た目は、宇宙人の擬態能力だね。体を変形させて、地球人の恰好を真似してる」

「擬態……へー……?」

 

 急にSF映画の世界に叩き落とされたみたいだった。

 わけのわからない状況。

 そしてわけのわからないことを言う、わけのわからない少女。


 もはや理解しようとするだけ無駄なのではないか。


「……それで、2つ目の質問の答え」


 思考を放棄した私を見て、理解したとみなしたのだろう。

 少女が続ける。


「夢を叶えるためだよ」


 そうして彼女は人差し指を立てた。

 その先には、星空。


「――わたしは、宇宙に行きたい」

「宇宙……?」

「そ。宇宙人からUFOを奪って、宇宙まで飛んで行くんだ。宇宙人狩りはその前準備」


 宇宙。

 その意味を消化するのに、さらに一呼吸分かかった。


 オカルト話の次は、デカいスケールの夢物語ときた。

 もう私には、何が本当で何が彼女の嘘かわからなくなっていた。

 

 だけど彼女の真剣な表情を見ていると、それが真実味を帯びた話に聞こえてくる。

 彼女の瞳は、星明りで輝いていた。


 私は目を逸らす。

 眩しかった。

 それはたぶん、彼女に対して感じている後ろめたさだと思う。

 彼女の姿が、夢を追っていた頃の自分と重なったから。


 こういうのは苦手だ。


「あ、そうだ」


 何を思いついたのか、掌を打ってみせる少女。


 まだ訊きたいことがあったが、仕方なく打ち切ることにした。

 今の私の頭では、考えが追いつかないに違いない。


「おねーさん、一緒に宇宙人狩りしない?」

「は?」


 思わず訊き返す。


「宇宙人狩りだよ」

「いや聞こえてるけども……何故?」

「おねーさん、わたしと似てる気がするんだ」

「どこが……?」

「どこだろ……目、かな」


 似ているわけがない。

 私は、キラキラと目を輝かせて夢を語るような彼女とは正反対の人間だ。


「ていうか君、少しは警戒した方が良いよ……? 私、さっき会ったばかりの知らない大人なんだよ?」

「悪い人なの?」

「いや、違うけど……」

「じゃあ、大丈夫だ」


 それで良いのか。

 彼女のことが少し心配になってきた。


「それで、おねーさんはどうするの? うまくいけば、UFOが宇宙に飛んで行くところを見れるよ」


 答えを促すように、再び小首を傾げる彼女。


 どうも、彼女の考えがわからない。

 彼女はまだ高校生だ。宇宙に行くのなら、宇宙飛行士を目指せばいい。

 それに宇宙飛行士にならずとも、金さえ積めば宇宙旅行だってできる時代なのだ。

 なのに、こんな方法を取る必要がどこにあるのだろうか。


 何より、彼女とはあまり一緒に居たくなかった。

 夢に魅せられたかのような彼女を見ていると、夢を捨てようというこの決意が揺らいでしまいそうな気がしたから。


「申し訳ないけど――」


 ……いや、ちょっと待て。


 宇宙人からUFOを奪って宇宙に行くだなんて、そんなことできるはずがない。

 彼女はUFOを見たと言っているけれど、それがUFOであるという保証もない。


 たぶん、彼女の夢が叶うことはない。


 それならば、彼女の夢追いごっこに付き合うべきではないだろうか。

 彼女の夢が破れるところを見届ければ、私の中にある夢への希望を断ち切ることができるのではないか。


「おねーさん?」


 顔を覗き込んでくる少女をよそに、少し逡巡した後。


「……やっぱり、私も付き合うよ。宇宙人狩り」

「まじ? やった」


 自分が正常な思考をできているのか、まだ酔っているのかはわからない。


 ただ、私はそうしたかった。

 早くこの苦しみから抜け出したくて、藁にもすがりたい気分だった。


「じゃあ、よろしく。わたし、斎藤沙月」


 そう言って彼女がポーチに手を突っ込む。


「連絡先?」

「そ」


 スマホを取り出そうとしていたようだ。


「あれ……?」


 出てきたのはリモコン。

 しかもエアコンのだ。


「あ、間違えて持ってきちゃった。たまにやるんだよね」


 いや、普通間違えないだろ。

 呆れながら、ずっと思っていたことを訊いてみる。


「もしかして君、天然?」

「よくわかったね。なんか、よく言われるんだよね」


 そりゃ、そうだろう。

 さっきも初対面の私を何も疑わずに受け入れていたわけだし。


「ったく、仕方ない。それじゃあ私の連絡先あげるから」


 ため息を吐き、ポケットの中にあるスマホを手に取る。

 そのスマホは妙に油っぽくて、柔らかかった。

 

 例えるならば、そう。

 コンビニのホットスナックコーナーで売っているチキン。


「……私、日比谷陽色」


 自己紹介しながら私は、見覚えのないチキンをそっとポケットに押し戻した。

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宇宙人撲殺ガールの夢 朝霞 はるばる @ff5213

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