マンカチ
黒月
第1話
祖母の郷里の方言では、ガマガエルのことを「マンカチ」と言う。マンカチとは「満勝」と字を当てるそうで、その土地では縁起の良いものとされていたらしい。
祖母は昭和の始め頃、群馬県の山あいの集落で子供時代を送った。本の好きな子供で、いつも部屋に座って本を読んでいたという。叔父が東京で勤め人をしており、帰省の際に土産として持ってきてくれる少女雑誌が何より嬉しく、その日も雑誌の中の華やかな都会に思いを馳せていた。
一通り読み終えて、ふと顔を上げると祖母は息を飲んだ。
「マンカチだ…」
どこから入り込んだのか、目の前に一匹のガマガエルがいる。しかし、それは日頃見かけるそれよりも明らかに大きい。子猫程の大きさのマンカチがこちらをじっと見つめている。蛙なら別に驚くこともないのだが、あまりの異様さに息を飲んだ。
「蛇に睨まれた蛙」ならぬ、あり得ない大きさの蛙に睨まれ、身動き一つはおろか、声一つ上げることすら出来ない。ようやく、力を振り絞って座ったまま後ろに後ずさる。
のそり。
すると、マンカチは間合いを詰める様に祖母の方へ一歩前進した。恐ろしくなって、もう一度後ずさる。
のそり。
再び、マンカチはこちらに前進する。気味が悪く、立ち上がって逃げ出したいのだが、足に力が入らない。仕方なく、また後ずさる。
のそり。
後ずさる。
のそり。
マンカチは祖母を追い詰めるかのように、後ずさりに合わせて歩み寄って来る。家族を呼ぼうにも声が出ない。
いよいよ、壁際まで追い詰められた。両生類特有の目がこちらをじっと見つめてくる。何故か、「喰われる」ような恐ろしさを感じた。混乱した頭で「来るな、来るな」と念じる。
握りしめた両手には汗がじっとりと滲んでいた。
相変わらず、声も出ず、立ち上がることも出来ない。
その時。
マンカチの脚に力がこもった。飛びかかってくる、と思い固く目をつぶった。
家族が名前を呼ぶ声がし、気がつくと自分の部屋に寝かされていた。当然、マンカチはいない。家族が言うには祖母の叫び声がしたので駆けつけると、気を失って倒れていたのだと言う。
あの時握りしめていた両手には爪の跡がくっきりと残っていた。
祖母がいくらこの出来事を話しても、家族は「夢でも見たんだんべ」と、取り合ってはくれなかったという。
マンカチ 黒月 @inuinu1113
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