月を飲む

CHOPI

月を飲む

 『バケツをひっくり返したような』、まさにその表現が正しい土砂降りだった。まだ夕方にもならない時間なのに、どうにも既に薄暗くて仕方が無かった。こういう日は気分もどうしたって重たくなる。


 だいたい、こういう時に限って嫌なことばかりに目が行きがちだ。例えば湿気のせいで髪型が全然まとまらないだとか。例えば書類の一部をミスしていたりだとか。例えば何もないところで躓いた瞬間を、普段なら人が通らない場所のくせしてその時に限って知らない人に見られていたりだとか。


 本当はきっと、絶対良いことも起きているはずなんだけど、人間って悲しい生き物。一度意識した方に気が向きがちだから、何とか夜まで凌いだのに、一日を通して思い返すと、何となくうまくいかなかったことばかりが頭をよぎった。


「ついてねーよ……」


 マンガなら頭の横にでも『トホホ……』なんて描かれているんだろうな。そんなどうでも良いことを考えながら、ようやくの思いで帰路に就く。重たい思考に比例して、目線もずっと道路ばかりを映していた。


 夕方過ぎまで長引いていた大雨のせいで、大きな水たまりがそこかしこにできている。それをなんとかよけながら家を目指す。最後の最後、家の目にも例外なく水溜まりが出来ていた。


 だけど、ほかの水溜まりと違ってその水溜まりだけ、黄金色に輝いていた。一度空を見上げて納得。厚い雲の切れ間をぬって、大きい月が見え隠れしていた。


 平安時代の貴族たちは、月見というのは空を見上げず、池や盃に映った月を見ていたらしい。と、なると、この水溜りに写る月を見ている今、まさに月見ってことだ。ただの水溜まりが、いきなりめっちゃ風流に感じた。……雅だ。


「ヨイショ!」

 大股で水溜まりを跨ぐ。人間って簡単だ。さっきまでずっと暗い気持ちだったのに、視界に月が加わっただけで、ほんの少し気持ちが前を向いた。

「ただいまー」

 誰もいない空っぽの家の中に声をかける。家の中に入って手を洗ってスーツを脱いで。濡れてしまった革靴に要らないタオルを詰めて『乾いてくれ……』と念じた。


 そうして少しホッとしたので、熱めのシャワーを浴びる。思いの外体が冷えていたようで、熱いお湯が身体に染みた。


 風呂場から出て、部屋義に着替えて、冷蔵庫を開ける。ビールを手に取って、そこで少し悩んでビールを元に戻した。少し前にもらった日本酒の存在を思い出したのだ。


 キッチンのシンク下、ひとりで飲むには少し持て余すいただき物の日本酒の瓶を出す。それを抱えたまま立ち上がって、視線を食器棚に移す。普段日本酒なんて飲まないから、お猪口の代わりに仕方なしに小さめのマグカップを出した。


 窓を開けて外を見ると、大分雲が流れて月がキレイに顔を出していた。窓辺にベッドがあるから、行儀悪いけど布団の上で晩酌をする。マグカップを乗せたお盆が安定するよう、小さな作業台を出してその上に乗せる。月光が良い感じに窓から入り込んでいて、マグカップに日本酒を注げば、目論見通り。そこに小さな月が現れる。


「風流、ですねぇー」

 お酒に酔う前から自分に酔ってる、質の悪い酔っ払い。だけど、誰に迷惑かけてるわけでもないし、それくらい許されるよな。なんて言い訳をしながら、月を身体に流し込んだ。

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