忘却の彼方に捨てた愛

秋乃晃

HOT VAMPIRE

 その外国人っぽい顔立ちの青年は、もじもじしながら答えた。


「ワガハイはサルビアと申す。りんどーのパパなのだ」


 ――なるほどね?


 色白に赤目、糸のような金髪を後ろで一つに束ねている。華奢な体躯で、黙っていれば『女性』と誤認してしまうだろう。キリッとした眉毛で強めのアイメイクなのも、こういう芸能人いるよね、って感じで。


 こういうスレンダーな美人、いいよね。スーツ姿なのも〝男装の麗人〟っぽくてよき。だが男だ。


「ワガハイも諸君らのような熱心なファンと交流したいと、かねてより思っていた」


 いずれその名を知らぬ者はいなくなるであろう日本アイドル史上最強最高のアイドルグループmisties⭐︎のグラビア担当・朝霞鈴萄あさかりんどうの、パパさん。


 鈴萄ちゃんは公式プロフィールには『ハーフ』とある。インタビューでも、家族の話をするときにはだいたいパパさんの話をしている。そのエピソードのひとつひとつと目の前で挙動不審にしている青年の容姿とを照らし合わせてみれば、まあ確かに、この人がパパさんなのだろう。


 十八歳の父親にしては若く見えるけども……ほら、外国の人って年齢不詳なところあるじゃんか。実際は結構歳食ってても、若い頃の写真と見比べないとわかりにくいっていうか。


「が、なにぶん、ジャパンの作法がわからぬものでな。諸君らがこのような場を設けてくれて、感謝感激雨霰なのだ」


 作法がわからぬと申すわりには日本語上手やんけ。ひょっとすると鈴萄ちゃんご本人よりも流暢かもしれねえ。


 鈴萄ちゃん、たまに日本語怪しくなるんよな。一時期、運営が鈴萄ちゃんを『帰国子女キャラ』で売ろうとしちゃって、単独でクイズ番組に出演させられていたのを思い出す。中学英語レベルの問題を間違えて真っ赤になってたのは、ちょっと可哀想だった。普段ならメンバーの香歩にゃんが「もお、りんどーってば天然ちゃんだにゃあー」ってフォロー入れてくれんのに、単独だからただただ滑っただけみたいになっちゃってさ。パパさんは知ってんのかな。


 んまあ、鈴萄ちゃん、スタイルはいいんだけども他の二人と比べるとどうしても芸能人的なスキルが足りないのよさ。急に司会から話を振られて「はわわ!」から支離滅裂なことを言い出しちゃったり、立ち位置を間違えてメンバーから怒られてたり。生放送向きじゃないよね。歌とダンスもリーダーのかのしぃと比べるとまだまだ……。


 ファンといたしましては、そういうポンコツなところが推せるっていうか、成長を見守りたくなるっていうか。このままでいてほしい気持ちと半々。伸び代っすな。グラビア向きのナイスバディは維持しつつ、あとは、運営がどう売っていきたいかだよなあ。


「ままあ、パパさん。まずは一杯」


 クリちゃんが瓶ビールを握ると、パパさんはもじもじするのをやめて、にこにこしながらグラスを傾ける。クリちゃんはオレのオタク仲間で、香歩にゃん推し。他のグループのオタクに連れてこられた対バンライブ(※単独のライブではなく、他のアイドルグループも合同で開催するライブのこと)がきっかけ。新規は無料で見れるしな。


 ライブ後の物販でチェキの待機列がわからずに右往左往していたところを、オレが声をかけた。これがコロナの自粛が明けて、ようやくオタクが声を出してもええんやで、ってなった頃の話。


『ぼく、気になるんすよね』


 今日のパパさんとの会合は、前日のクリちゃんからのメッセージから始まる。


『毎回、ライブに来ているスーツの、いるじゃないすか。業界関係者っすかね』


 実際には『おねえさん』ではなかったわけだが。

 業界ではなくて血縁だったわけだが。


『ライブ後に声かけたら、迷惑っすかね?』


 迷惑ではなかったらしい。最後列で壁にもたれかかり、青色のペンライトを両手に握りつつも腕を組んでいたパパさんに話しかけるクリちゃん。見守るオレ。パパさんの戸惑いの表情は、オレがクリちゃんに初めて話しかけた時に似ていた。次第に笑顔へ変わっていくのもそっくりだった。


「かんぱぁい!」


 アキバでのライブが終わった後には、オレとクリちゃんは24時間営業の海鮮居酒屋に行く。必ず来るもんだから店員さんに顔を覚えられちゃってて「あれ? 今日は連れてきたんですか?」と茶化された。


 出演者側にいてもおかしくないと思う。こういうメンズアイドルいそう。


「美味い!」

「パパさんいい飲みっぷりぃ! もっと呑みましょ!」


 空っぽになったグラスに、次の一杯が注がれる。


 クリちゃんは昨日のメッセージのやりとりの前にパチンコで大勝ちしていたらしい。テンションがハイになって『気になるあの人に話しかけちゃお!』と思いつき、オレに相談したんだろう。


「パパさんは、日本にお住まいなんですか?」


 いきなりパーソナルな情報を聞き出すのはまずいかな。言ったあとで気まずくなるが、頬が赤くなり始めているパパさんは「りんどーがアイドルを始めてからは、ジャパンの知り合いとシェアハウスしているのだ」と答えてくれた。


「へえ! お仕事は?」


 クリちゃんは酒に弱い。最初の一杯だけはアルコールを飲むが、二杯目からオレンジジュースになる。そのくせ今日は大瓶を頼みやがった。パパさんの様子も考慮すると、あとはオレが飲んだほうがよさそうな気がする。一人の介護だけでもきちいのに二人分になるのはつらみ。


「ジャパンへの旅行者の通訳をしているのだ」

「ははあ。なるほどですね」


 道理で日本語がペラペラなわけだ。納得した。


「諸君らは?」

「大学生すよ」

「ま、ほとんど通ってないんですけどね」

「ねーっ」


 明日は出席しないと、試験を受けないと、一限に出ないと、という現実を思い出してしまって、ビールで流し込む。周りに大学生のオタクが多いから安心しちゃうんだよな。ライブ見に来て、出演する番組は全部見るし、雑誌も買って、で、出費がやばくて仕送りだけじゃ足りんからバイトしてると、どうも学業が疎かになる。大学は気が向けば通えるけども、推せるのは今だけだから仕方ないね。そういうもんでしょうが。


「鈴萄ちゃんは、プライベートだとどうなんすか?」

「おいこら!」

「え、パイセンも気にならないすか? 例のウワサ」


 酔った勢いでぶっ込んできやがったな。例のウワサっていうと、あれか、鈴萄ちゃんが夜な夜な外を出歩いているって話。男とのツーショットは撮られてない。コンビニに行って、肉まんかなんかを買っているところはSNSで見た。夜食は太るよ……いや、週刊誌に載せられていないだけでどっかの記者が密かにあたためている可能性はなきにしもあらずか。出されたところで、いうてもまだ駆け出しのアイドルグループだから、ネットニュースで三日ぐらい炎上して終わりよね。そういうのは世間に流されるものよ。だいぶ昔の写真だろうとお構いなし。火のないところに煙は立たんし、出る杭は打たれる。


「プライベートのりんどー、見たいか?」


 パパさんはニヤニヤしながら――ビールを飲んでから頬が緩みっぱなしで、せっかくの美貌が下卑な笑みで上書きされている。こうみると十八歳の子がいそうにも見えるな。オレのオヤジが酒飲んだ時っぽい――自身のスマホを胸ポケットから取り出す。webCMで見かける折りたたみのやつ。


「オタクに秘蔵写真見せちゃっていいんすか!?」

「オタク……? 諸君らはりんどーのファンではない?」


 あっ、非オタの反応だ。マジでパパさんとして、娘のライブを見にきているだけなんだな。他のファンと交流していれば、オタク用語が自然と身につく。


「アイドルのファンは、自分らのことを〝オタク〟と言いがち。だもんで、オタクイコールファンだと思ってくれたら幸い」


 これは界隈によって定義が異なるんだけど、いちばん金をぶっ込んでいるオタクをTOてぃーおーって言う。トップオタクの略な。界隈によっては最古参のことを指す。これ豆知識ね。


「ははあ、なるほど。ワガハイもりんどーのオタクなのだ」

「パパさんはパパさんですよ」


 オレたちがどんだけ貢いでも、パパさんのようにはなれない。悲しいかな。アイドルとオタクは、そういう関係性だから。アイドルと付き合っちゃう人もいるし、結婚してもアイドル続けているようなアイドルもいるけども、オレはまあ、そういうのはいいかなー。お袋は「彼女いないの?」ってちくちくしてくる。うるせえババア。


 付き合えるなら付き合いたい。下心がゼロではない。ゼロではないから、パパさんがパパさんだって聞いて、ここからワンチャンある……? とそわそわしなくもない。天使と悪魔が大乱闘している。


「そうかそうか」


 一瞬寂しそうな顔をしたけども、クリちゃんが「アイドルのちっちゃい頃の写真なんて、バラエティ番組のワイプで一瞬映るぐらいじゃないすか! いくら出せばいいんすか!?」と騒ぎつつ財布から一万円札を取り出したもんだからシリアスな空気じゃなくなった。クリちゃん、どんだけバカ勝ちしたんよ。今日の会計もクリちゃんが払うって言ってたよな。


「このぶんはりんどーのチェキ代やグッズ代に使うのだ」


 突きつけられた諭吉をクリちゃんのデニムのポケットに戻すパパさん。クリちゃんは香歩にゃん推しなんよな。


「おけり!」


 いいのかよ。グループ内で他のメンバーのチェキを撮ると推しが悲しむぞ。そばで見ているわけだから。まあそのうち鈴萄ちゃんは写真集出すだろうし、その時に積めばいいか。いいのか?


「これが五歳の頃の」


 気を取り直して、パパさんの愛娘自慢タイムが始まった。五歳。白黒の写真だ。可愛すぎる。ロリコンになりそう。


「なんで白黒なんすか」

「詳しい知り合いにお願いして、昔撮った写真をスマホで見られるようにしてもらったのだ」


 十三年ぐらい前の写真で白黒ってことあるか? いや、まあ、わざとそうしてんのかもしれねえ。白黒でしか撮れないデジカメも世の中にはあるもん。


「へえー。パパさんの知り合いさんグッジョブすぎー」


 そういや香歩にゃん推しは『ロリコン』って言われてんだった。クリちゃんがそうとは限らんが。三人のうちの最年少で、超ぶりっ子キャラの香歩にゃん。語尾にはにゃんを付けるし、オタクのことを「おにーちゃん」って呼ぶ。コッテリとしたキャラ付けが刺さるやつにはぶっ刺さる。クリちゃんみたいに。


「こっちが、地元の小学校に通い始めた頃」


 まだ白黒だ。背景からして、日本じゃないっぽい。ロックハート城みたいな城壁の前で、緊張した面持ちでピースしている鈴萄ちゃん。ロリコンになりそう。


「日本じゃないんすね」

「りんどーが日本に来たのは高校の入学の時なのだ。日本の学生の制服が可愛いからとな」


 その話は覚えている。学生を集めて討論させる番組にmisties⭐︎からかのしぃと鈴萄ちゃんが出演したときに話していた。制服目当てで学校を選ぶ女の子って本当にいるんだ、って思ったから。


「それまでは


 今、城って言いましたよね?

 ワガハイの?


「ほえー。お城に住んでるんすかー」


 クリちゃん、流そうとすんな。城だぞ城。


「鈴萄ちゃんのママさんって、お姫様か何かなんですか? それとも平民から城に住んでいるパパさんに成り上がり婚?」


 現代にも伯爵とか公爵とか、爵位持ちや王族はいるっちゃいるし、そういう地域なのかもしれん。だとしたら鈴萄ちゃんはプリンセスか。……いや、このネット社会でそんなことしてたらすぐ国のほうで大騒ぎになるだろう。


「ううん。りんどーのなのだ。観光目的でワガハイの城に来た」

「パパさんも人間では?」


 このツッコミはおかしいか。ご両親は、って言ってんだから。パパさんもご両親のうちの片方なわけだから、人間って言ってるわな。


「ワガハイは吸血鬼なのだ」

「はえー。イケメンすもんねー」


 クリちゃん、もういいお前寝てろ。吸血鬼だぞ吸血鬼。


「急にぶっ込んできましたね」


 吸血鬼。吸血鬼かあ。でも、日光を気にしている様子ではなかった。手元に十字架はない。そうだ、鏡。吸血鬼は鏡に映らないんだっけか。カバンの中に鏡、あったっけ。ないな。


「りんどーのご両親はワガハイの城の罠に引っかかり、りんどーのみが生き残ったのだ。だからワガハイはりんどーを育て、


 流れ変わったな。


「ほんとに吸血鬼なんですか? オレの知っている吸血鬼知識とズレるんですが」

「ウィキペディアに載っている情報が全て正しいとは限らないのだ」


 それはそう。存命の人物であっても「本人が見たら訴えられるんちゃうか」みたいな内容が平然と書かれていること、よくある。


 話を脳内で整理しよう。パパさん、育ての親ってことでおけ?


「人間は短命だが、吸血鬼はより長い年月を生きねばならない。だから、りんどーには愛を振り撒く人形アイドルとして、今は歌とダンスを覚えてほしいのだ。

「パパさん、病んでる? トマトジュース飲む?」


 トマトジュースベースのカクテルがメニューにあったからトマトジュースもあるだろう。なくても出してほしい。オレは常連だぞ。


「それとも血飲む? オレのは美味しくないかもだけど、クリちゃんのなら」


 クリちゃんが「んあ?」と言いながら顔を上げる。ほんとに寝てた。たぶん、オレよりクリちゃんのほうが健康体だと思う。


「あ、あと、そうだ、GIFの話って知ってます?」


 会話の流れが淀んできたから、アイドルの話に戻したい。そもそも昨日クリちゃんが話しかけようかどうしようか言い出す前にGIFの話してたんだよ。


「じーあいえふ?」


 知らないっぽいな。よしよし。


「グローバルアイドルフェスティバルです。misties⭐︎はネクストジェネレーションステージで出演するために、予選を勝ち上がらないといけないんですわ」


 毎年行われるグローバルアイドルフェスティバル。頭文字を取ってGIF。日本だけじゃなく、あちこちの国のアイドルグループを東京に集めるお祭り。misties⭐︎は結成してまだ一年ちょいだから、メインのほうのステージにはお呼ばれしていない。


 ネクストジェネレーションステージは、各ブロックごと持ち時間20分の枠をかけて争う。北は北海道ブロックから南は九州ブロックまで、ブロックは九つ。それぞれのグループのオタクが、ブロックの予選一位通過のために投票券を購入しなくてはならない。


「投票券を何枚買えばいいかな、って話をクリちゃんとしようとしていました」

「このステージに立つことで、りんどーにどんなメリットがあるのだ?」


 オレの話を聞きながら、パパさんはGIFの公式サイトを開いていた。話が早い。


「アイドル、やっぱりと売れないんですわ。どんなに可愛くても、すんごい歌うまくても、それだけじゃ売れない。――売れたら、より有名な作詞家とか作曲家とかに目をつけてもらえて、これまでにないアイドルソングが生まれるやもしれない」

「曲のレパートリーが増えるのはいいことなのだ」


 そうよね。パパさん的にはそうだろうよ。


 例の千年に一度の美少女さんがここまで売れたのも、奇跡の一枚があったからだ。その一枚を撮られるためには、そういった露出度の高いステージに立つ必要がある。


 そして、オタクは『ワシが育てた』ってな顔をして後方腕組み勢になるんだよ。


「パパさんも買いますよね。投票券」


 城住まいのパパさんなら、っていうかこういうのを身内が買うケース、わりと聞くよな。前に運営が雑誌の企画のためにその雑誌を山のように買った写真、見たことある。


「もちろん買うが、その、これは、このブロックでいちばんになればよいのか?」


 東京ブロックはAとBに分かれている。グループが多いから。他のブロックだともっとも少なくて5グループで戦うのに、オレたちの敵は8グループ。一票の格差ありますよこれぇ。


「そうですね。そうすれば、ステージに上がれます」


 投票数は一時間ごとに更新される。まだ発売開始前だからどこも0票。


「なるほど。教えてくれてありがとうなのだ」




 ――翌日から、他のグループのメンバーに不祥事が発覚して参加を辞退したり、流行病にかかって活動休止になるところがあったりと、この東京Bブロックが『魔のブロック』と化してしまったのは、たぶん無関係だと思いたい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘却の彼方に捨てた愛 秋乃晃 @EM_Akino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ