第65話 王都の聖女

 名前の無い日が明け、私は十五になり成人した。

 目覚める前、地母神ルメルカが私に神託を下された。六年後、私はヴィーリヤ王都へ向かうことになり、不思議な加護を得た男と出会う。そこで起こることを何もかも鮮明に覚えている。


 それからというもの、長い時の先の行く末を知ることができた私は、どうしてか穏やかな気持ちで過ごすことができた。


 朝起きると大橋では私のことが話題になり、パンを分けてくれと頭を下げる親、何か交換できるものは無いかと手持ちの品を見せてくる男、子供におかしなものを食べさせたと怒る女、いろんな人間が居た。ただ、多くの人は飢えと寒さで弱るか、不安で怒りっぽくなっているだけだった。私はルメルカに祈り、パンと清浄な水を分けて頂き、彼らに分け与えた。不安で気が立っている者には食事は心配しなくていいから安心して仕事を探すように言った。寒さで弱っている者には加護を与え寒さから守った。


 四半月ほどをそうやって過ごしていると、王都から神殿に仕える侍女が護衛を連れてやってきた。彼女は言った。――聖女様を迎えにきた――と。


 私は侍女の一行を月が替わるまで待たせた。

 その間に大橋の貧しい人々が働き口を見つけるまで力になってあげた。私は何故か、自分が働き口を探していた時よりもずっと余裕を持って相談に乗ってあげることができていた。おかげで、私が王都へ立つ頃には大橋にたむろしていた人々は皆、住処を見つけることができた。



  ◇◇◇◇◇



 王都へ向かうとなり、侍女たちはようやく安堵した。

 それまで私は平気で地べたに座り、夜はそのまま横になって眠るものだから、侍女は護衛に指示を出して私を寝ずの番で守らせていた。


 王都へ到着すると、私はまず神殿の泉で身を清めさせられた。ただ、着ていたものを持って行かれかけたので、慌てて大事な物だから捨てないでと懇願した。神殿の侍女たちは――清めておきますから――と、丁寧に扱ってくれた。


 神の座には地母神ルメルカが御座おはした。

 その傍に立つ若い神巫かんなぎは、私の加護を見出し、国中の民を救うようにという言の葉を私に与えた。そして一人の神殿の護り手ワーデンを護衛につけた。ただ、地母神ルメルカは別の言の葉も、直接私に下された。


 ――どこへなりと向かい、其方の望むままに生きよ。が愛娘よ――と。


 なるほど――と思った私はすぐ神巫に――王都で幼い娘たちを娼婦にしたてるため飼いならしている輩を懲らしめたい――と申し上げた。


 神巫は難しい顔をして――それは難しい。多くの貴族の反感を買いかねない――と返した。


 私は、――幼い娘たちは民では無いのか――と問うたが、神巫からは良い返事が貰えなかった。



  ◇◇◇◇◇



 清められた長衣ローブ外套クロークを返してもらった私は、神殿で与えられた衣から着替えて街に出た。予告もなく外套を羽織って神殿を抜け出したため、神殿の護り手ワーデンをも上手く撒くことができた。



 私はひとり、あの屋敷にやってきた。


「ミルーシャ! 結局ここへ舞い戻ったか! お前は外の世界では生きてはいけないのだ」


 屋敷の主人は満足げにそうやって声を掛けてきた。

 私は屋敷の男たちの監視の元、部屋で南の屋敷のお姉さま方に服を着替えさせられた。南の屋敷に行くためのドレスに着替えさせられるのだ。


 私は率先して長衣を脱ぎ、捨てられたりしないように外套やブーツと一緒にひとまとめにしておいた。お姉さま方は体を拭こうとしてきたけれど、私の体が思ったよりも清浄だったからか訝しんでいた。赤いドレスに着替えさせられた私は幼い子たちの前に姿をみせた。ルルシャやクローシャたち、みんな揃って無事で居たことにほっとする。不思議なことに誰も引き取られてはいなかった。ただ、ゼリカ姉さまの姿だけが見えなかった。ゼリカ姉さまのことを聞いてみると、少し前に富豪に見初められて屋敷を去ったのだそうだ。あの姉さまが――私にはとても信じられなかった。


 その日、南の屋敷で豪華な食事を出されたが、自分でも驚いたことにそこまで食欲がわかず、酒も飲まなかった。尤も、酒はあまり薄められていなかったので警戒したのもあったが。


「さんざん手間と金を掛けさせおって。せっかくだ、儂が最初に味見してやろう」


 屋敷の主人がそう言って私を私室に招いた。


 部屋に入った私は、ベッドを前にして床に座り込み、両手を床についた。

 春を寿ことほぐ祝詞をうたうと部屋中に光が舞った。驚く男の声も耳に入らなかった。辺りには姿こそ見えないが戦侍女イェリヤルの羽ばたきの羽音が満ちていたから。祝福は屋敷中を包み込んでいった。風で流れてきた綿毛の種や鳥が糞と共に運んできた種が窓辺や屋根などそこら中で芽吹き、木や蔦だけでなく寄生木までもが屋敷を覆うように育っていった。屋敷の足元や時には部屋の中で青々とした草が茂り始め、テーブルの上の果物は巨大な植物の生け花と変わり果てていた。


 私を守る神殿の護り手ワーデンが屋敷に乗り込んできたのは半刻ほど経った頃だった。意外と早かったが、女を助けるには少々遅い彼に溜息をついた私だった。



  ◇◇◇◇◇



 聖女を娼婦に堕とし、穢そうとした屋敷の者たちは捕らえられた。

 神巫は呆れていたが、意外にもそこから先は協力的だった。


 結局のところ、私の育った屋敷と南の屋敷で行われていたことは明るみになり、後ろ盾となっていた貴族たちは彼らを切り捨てた。ただ、屋敷の孤児たちは行き場を失ってしまう。南の屋敷は祝福のせいで酷く荒れてしまったが、孤児たちの屋敷の方は私が貰い受け、屋敷本来の役目に戻してやった。つまりは孤児たちが成人しても生きていけるように育てる場所へと。


 南のお屋敷に行っていた若いお姉さま方の何人かは屋敷の方に協力してくれた。それからミゴラお婆さんを招いて指導をお願いした。いいことをしてやったつもりで居た私をミゴラお婆さんは――余計な仕事を増やすんじゃないよ――と叱った。叱ったけれど、引き受けてはくれた。


 その久しぶりに会ったミゴラお婆さんだけど、また別の娘の面倒を見てやっていた。


 嫌だ嫌だ――口癖は相変わらずだったが、その新しい娘には付きっ切りで懸命に物を教えてやっていた。私の時にはあんなに必死ではなかったのに、なんでもその娘はおっとりとした性質な上に物覚えが悪いとかで、悪態をつきながらも彼女を気にかけてやっている様子が伺えた。私にはどうしてもその娘が孫娘にしかみえないくらい懐かれているように見えた。



  ◇◇◇◇◇



 ゼリカお姉さまの行方はわからなかった。

 南から来た商人にということだけはわかった。ゼリカお姉さまは屋敷の娘ではなかったにも拘わらず――だ。お姉さまの家族にも会ったけれど、お姉さまの心変わりには家族も困惑していた。そして屋敷の主人が金を受け取っていたことは知らなかったらしく、憤慨していた。


 私はまた、神巫にゼリカお姉さまの行方を捜して欲しいと頼んだが、やはりこの男からは良い返事を貰えなかった。かつての婚約者にいくらの情も残っていないのか――そう呆れた私は、南の領地へ向かって独り、神殿を抜け出した。







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 ミルーシャのお話、もう一話くらい続けると思います!


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