我々は生まれるべきではなかったのか?

 本作品をもっとも特徴付けているものとして、ミルークが提唱し、その後タンディラール王との対話に引き継がれた『取り引き』の概念があり、その概略は『取り引きこそが人の本質的な営みであり、あらゆる取り引きは赤字を生み出すもの』だといえるだろう。
 また、この取り引きの概念は『利益を生み出すからといって、他人から奪ってしまっても良いのか?』という作品全体の基調を成す問いかけとなっており、もし功利主義的な振る舞いが結果として赤字を生み出すものでしかないのであれば、主人公に与えられたチート能力『ピアシングハンド』が、『他人の生命や身体、あるいは経験や能力を奪い、自らに付け加える』といった一連の手続きを必要とする能力であるように、たとえ本人が自らの不遇な出生やその境遇から生き残るためやむを得ずにやったことだったとしても、最初に転生を決定して、自らという石を世界という池に投げ入れたのが他ならない自分であり、その運動の延長で誰かの死ぬはずになかった運命を予定よりも早めてしまったのならば、はたしてそれは本当に仕方なかったといえるだろうか? という自責の念(実際のところこれこそが運命の女神モーン・ナーの呪いではないかと思われるのだが)を喚び起こすことになる。
 その結果、主人公はこれ以上誰からも奪わなくて済むように、『再び生まれないこと』を目的とした死出の旅を往くことになる、というのがおおまかなあらすじとなっている。
 『人は誰もが同意せずにこの世界に生まれてくる』という意味において、『誰しも自分以外の何者かの作為の被害者である』といえるが、そうした反出生主義的な命題から派生した、『転生者という、超越的存在との合意に基づいて生じた存在が行う総ての加害的な営みは、一度目の人生における過ちとは根本的に異なった、決定的で動かし難い責任を伴う』というモチーフがどのような結末を迎えるのか、今後も非常に楽しみであり、ぜひ見届けたく思う。

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