復讐者ティルノック

「ジョイス!」

「うぉっ、お前、どっから出てきたんだ」

「何があった!」


 上空から見ても、帝立学園の正門の前の混乱は明らかだった。列をなしていた貸し切り馬車のいくつかが横倒しになっており、或いは車輪を壊されている。御者と思しき男達のいくらかは叩きのめされて、路上に転がっている。それを帝都防衛隊の兵士や、帝立学園の警備員などが取り押さえようとしている。この様子を、正門の向こう側から、学生達が遠巻きにしてみていた。


「あ、えっと、済まねぇ」

「だから何があった」

「攫われちまった。直前で気付いたんだけどよ、お嬢ちゃん達を」

「どっちだ」


 俺に言われて、ジョイスは駆け出した。俺もついていく。


「ちょっと! どこへ行く!」


 テルゴブチ准将もたまたまこの場に来ていたらしい。だが、彼女の声なんかに構ってなどいられない。


「紛れてやがったんだ」

「貸し切り馬車の御者が、犯人の手下だったってことか」

「考えたもんだぜ。一日目は普通に送り返す。そうすりゃ、二日目には安心して乗るもんな」


 つまり、すべては犯人の仕込みだった、ということだ。

 まず、学生の不安を煽る必要があった。だから、路上に移民労働者を立たせて、バカ騒ぎをさせた。彼らに自分達の詳しい計画は伝えていない。計画の中核を占めるようなメンバーではないから。だが、これで特に女子学生は、歩いて停留所まで行くことを躊躇するようになる。

 更に学生を恐れさせるために、わざわざ誘拐した女子学生を殺して箱詰めにした。これもわざと発見させたのだ。きっと直後に学園に連絡が通知されただろうから、学生達には帰宅時には安全最優先にせよとのお達しがあったに違いない。

 そこへ貸し切り馬車だ。寮で暮らす女子学生は、大抵、海外からの留学生だ。そうでないのも、不安から利用するかもしれないが、それは昨日の時点、初日の送迎で見分けがつけられる。そして、いったん馬車に乗せてしまえば、こっちのものというわけだ。


「盲点だな」


 これこそ、俺が犯人を甘く見なかった理由でもある。マリータにも言ったことだ。

 彼らは、市民権を持っているかどうかは別としても、一応、市民だ。犯罪に手を染めるまでは、或いは悪事を働いたと知られるまでは、この街で普通に生活できる。行動の自由は保障されている。だが、そんな彼らにはなくすものがない。常日頃から、割りの悪い取引に付き合わされて、恨みばかりを蓄積している。

 そして富める者達が格安のサービスを利用する時に接しているのは、まさしくこういう貧しい人々なのだ。それなのに、富める側はそれをあって当然の道具としてのみ認識する。そこには確かに虐げられた人がいるのに。普段から接点があるのに、視界には入らない。

 だから、いうなればガラ空きの背中を晒したまま、傲慢にもふんぞり返っている。その過ちに、恵まれた人々は気付けない。彼我の富の差を、そのまま能力の差とみなして、いつでも殺せる弱者に過ぎないと侮ってしまう。

 そんな都合のいい話などないのだ。彼らには拒否権が残されている。この社会での互いの生存を拒否するという、最後の一手が。


「あっちだ! ちっくしょう、もうあんなに」


 東に向かって振り向いたジョイスが歯噛みする。

 帝立学園前の路地に面した大通り。暴走する馬車が二台も突っ走っているので、それとわかる。通行人は脇に引っ込み、路上の馬車も変な角度で止まってしまっている。ここから見ると、既にかなりの距離が開いていた。あとちょっとで東二号運河の上に架かる橋に到着する勢いだ。


「わかった。捕まえる」

「あっ、待て、後ろは」


 通行人も他の馬車も動きを止めてくれているのは助かる。魔術で強化された肉体で、舗装された道路をひた走る。

 すぐさま後ろを走る方の馬車に追いついた。中を確認しようとしたところで、上半身を乗り出す射手の姿が目に入った。


「ウィー!」


 とするなら、この馬車は犯人のものではなく、その追跡に協力する御者が操っている。

 彼女は、俺の声にも一切反応しなかった。極限まで集中力を高めて、全力で弓を引き絞っている。その矢が、手元から消えた。


「やった!」


 反対側からはシャルトゥノーマが顔を出していたらしい。彼女の声が聞こえた。

 ウィーの放った矢は、先行する馬車の後部車輪の根元に突き刺さった。既に何度も射撃を浴びせていたのもあって、この一撃で車輪が外れた。と同時に、反対側の車輪も破壊されたのだろう。先行する馬車はガクンと揺れて、大きく角度をつけて後ろへと傾いた。中から悲鳴が聞こえてくる。

 自然と先行する馬車が止まった。そして、俺もそこに追いついた。馬車の後部座席からは、同乗していた誘拐犯も、中に押し込められていたであろう女子学生達も、一緒に吐きだされていた。

 誰もが地面に放り出された衝撃に朦朧としていたが、犯人側の一人とみられる男がいち早く立ち直ると、すぐさま短刀を引き抜いて、手近にいた女子学生の首にあてた。


「て、てめぇら、おとなしくしろ! でないと」

「お嬢様!?」


 そこにいた女子学生達とは、リリアーナとナギア、それにヒメノだった。


「おら、そっちの馬車を寄越ギャッ!?」


 最後まで言い切る前に、男は短刀を取り落としていた。と同時に、俺は前に飛び出して、その男の顎を打ち抜いた。

 そのままリリアーナを抱き寄せ、後ろから駆け寄ってきたシャルトゥノーマに託す。ナギアとヒメノも、すぐ続いた。


「もう逃げられない。死刑になりたくなければ、素直に答えろ」


 こいつらは、重大な手がかりだ。なぜなら、主犯に留学生の身柄を引き渡すはずだったから。依頼人の顔も知っている。


「お前達はどこへ行くつもりだった。誰の指示だ」

「んの野郎ブッ!」


 もう一人の男が、俺を侮って殴りかかってきたが、一瞬で転がった。残る一人は、力量差を悟って、座ったまま後退しようとしている。


「答えろ」

「ティッ、ティルノックだ」

「なに?」

「トンチェンシ区の、大昔のあの、廃ビルに! こいつら連れて行くはずだったんだ!」


 後ろから蹄の音、車輪の音が響いてきた。俺達を追ってきたのだろう。


「ファルス君!」


 フェン大尉が駆け寄ってくる。


「こいつらは犯人の手下です。確保してください。僕らはこのまま、トンチェンシ区の廃ビルに向かいます。犯人がそこで待っているので」


 この機を逃すわけにはいかない。ここでの大立ち回りを知ったら、またそいつはどこかに雲隠れする。是非とも、今、待ち合わせている場所まで行って、捕えてしまわなくては。


「待ちなさい」


 だが、数人の兵士を連れたテルゴブチ准将も、この場にはいた。


「それなら、私も行く」

「あとで身柄は引き渡します」

「いいから、さっさとしなさい!」


 面倒だとは思ったが、こいつは自分の手柄が欲しいだけだ。ついてくるなら勝手にすればいい。


「ウィー、三人を安全なところで保護して。僕らはこいつに案内させて、この馬車で犯人のところへ行く」


 主犯のところに注進される前に。さっきまでウィーとシャルトゥノーマだけが乗っていた荷台に、今度は俺とテルゴブチ准将、その部下達が乗りこんだ。


 やがて馬車は歯車橋を渡り、トンチェン区の悪路を揺れながら突き抜け、チュンチェン区の巨大な競技場建設地が目前に迫ってくる辺りにまで進んだ。この辺りには、シーチェンシ区と同様、古代の巨大ビルがそのまま残置されている。統一期に建設されたものの、今では内装も何も残っていない。ただ、やたらと丈夫で、今でも崩壊することなく、維持されている。要するに、ティンプー王国のカリに残されているのと同じだ。

 実は、これまたカリと同様、スラムの一部だった。少し前まではこの中にも住民がいたのだ。だが、千年祭のための施設を改めて建設するより、この建造物を一時的な宿泊施設として活用する方がいいということで、大規模な立ち退きが行われた。そのため、今では無人になっている。

 ただ、今のままでは十分にその立地を生かせないだろう。この道路事情を改善した上で、内部に家具その他を運びこみ、最低限、人が住めるような環境を整えなければならない。


 さっきの犯人の仲間については最小限の見張りを残しておき、俺は先に立って階段を駆け上がり始めた。ついてくるのが遅いので振り返ってみると、テルゴブチ准将が不満げな顔をしていたが、さすがにここで喚き散らしたりはしない。構わず最上階まで駆け上がった。

 突き当たりの部屋には、扉もついていなかった。入口から飛び込んでみると、ガランとした内装も何もない、コンクリートの表面が剥き出しになったような空間に、たった一人、老人が佇んでいた。


「ふん」


 俺を見ると、彼は小さく鼻を鳴らした。口元には皮肉笑いが浮かんでいる。だが、こいつが今回の主犯、ティルノックなのだ。


 縮れた髪は雀の巣のように野放図で、しかも真っ白になっていた。対称的に肌の色は、日々の生活を反映してか、浅黒くなっている。人種的にはフォレス人に近いのだが、まるで南部シュライ人のようにも見える。老いてなお逞しい体つきをしているが、背は高くない。皺だらけの顔、今なお知性を感じさせる眼差し。身につけているのは、ボロボロになった作業着だ。

 ピアシング・ハンドが教えるところによれば、彼は知勇兼備の人物だ。一人前と言える水準の戦槌術や格闘術を身につけている一方で、学生時代に学んだと思われる水魔術の知識もあり、しかも各国の言語にも通じている。それがどうして、こんなところで底辺労働者で居続けなくてはいけなかったのか。


「ティルノックだな」


 俺が声をかけても、ほとんど何の動揺も示さずに、こちらを眺めるだけだった。


「判明している限りで七件の殺人に関与している疑いがある。大人しくついてくるんだ。もう逃げ場はないぞ」


 そう言われて、彼は小さく肩を揺らした。何事かと思っていると、彼は笑いを押し殺していたのだ。


「なるほど、なるほど」

「何がなるほど、だ」

「最後の最後でしくじったか。学生の中にも……なるほど、若くてもできのいいのは、いるものだからな」


 彼は自分の失敗を笑い飛ばした。だが、俺としてみれば、それどころではない。昨日、俺がジョイスに学園側の警備を頼んでいなければ、今頃、リリアーナ達はこいつの毒牙にかかっていたのだ。


「わかっているのか。どれほどの犯罪なのか」

「犯罪? 犯罪だって?」


 だが、彼は俺の怒りも笑い飛ばした。


「左様、七人もの女達を死に至らしめたのは、このわしだ」

「逃げられると思っているのか」

「逃げる必要があるのか」

「学生一人片付ければ済むとでも?」


 彼はゆっくり首を振った。


「そういう意味じゃない」


 相変わらず、ティルノックはニヤニヤしていた。


「わしが嘲笑っておるのは、お前の犯罪という言葉だ」

「犯罪だろう。人を殺したんだぞ」

「ああ」


 彼は頷いた。


「わしの五十五年の生涯を思い返しても、あれほど甘美な時間はなかったと言い切れるよ。一本ずつ丁寧に、細い釘を骨の向こうに食い込ませるときの、あの感触は」

「学園に何の恨みがあった」

「学園長に尋ねてみたらどうだね。冤罪ですべてを失った男がいると言えば、それで通じるはずだ」


 彼は静かに自分の太い腕をさすってみせた。


「わしは、人間でいたかったのだ」

「自分でやめたみたいだがな」

「とんでもない。やめさせられたんだ。あの、悪夢のようなムーアン大沼沢の畔でね。仲間達が、あの沼地の病に倒れて死んでいくのを目の当たりにして……だが、それでも、わしは帝都に舞い戻った。いつか、いつか正義が示されることを願って。だが、そんな日はついにこなかった」


 後ろからようやく階段を駆け登る音が響いてきた。


「だからって、何をしてもいいのか。いや、お前に罪をかぶせた本人を殺すところまでは理解できるとしても」

「関係ない。関係ないんだ」


 彼は両手を広げて強調した。


「これは戦争だ」

「戦争?」

「そう、犯罪ではなく、戦争だ。わかるかね、この違いが」


 犯罪は、一つの社会の中における逸脱だ。それに対して戦争は……異なる社会同士の武力衝突だ。


「お前一人と、帝都全体の戦争、か」

「そうとも。そうだとも」


 足音がすぐ横を駆け抜けた。防衛隊員が俺の後ろから部屋の中に立ち入り、窓際に立つティルノックを扇形に囲った。


「こうなるのはわかっていただろう。お前の負けにしかならないのに」

「そんなことはない」


 彼はゆっくりと首を振って否定した。


「わし一人で七人も殺したのだとすれば、差し引き黒字ではないかね」

「なんだって」


 わかってはいたが、改めて打ちのめされる思いだった。俺はこの感情を知っている。

 憎悪が自分の命の価値を上回る時、人はこんな風に考える。そのことを、俺はサハリアの砂漠で学んだ。


「ファルス君、もういい」


 後ろからテルゴブチ准将がやってきて、肩を叩いた。


「あとは防衛隊で捕縛する」

「待ってください。あの体つきを見てわからないんですか。結構な手練れですよ」

「この人数相手に、どうにかできるわけないでしょ。丸腰なんだし」

「僕が取り押さえます」

「ダメ。一般市民にそんな仕事はさせられない。邪魔だから、さっさと出て行って」


 要するに、最後の最後で手柄が欲しいだけだ。その苦々しい思いが顔に出たのだろう。ティルノックはまた小さく噴き出した。それから、俺に声をかけた。


「ああ、そうだ……ファルス君と言ったかね」

「ええ」

「そうか。さようなら、ファルス君」

「ほら、さっさと」


 考えを纏める前に、俺はテルゴブチに押し出されて、部屋から出た。

 確かに、犯罪者の捕縛は彼らの仕事ではある。それなら、俺はもう帰っていいはずだ。誰も見ていないのを確かめてから、俺は廊下の窓から身を乗り出して、魔術の力でゆっくりと着地した。


 その瞬間だった。

 少し離れたところから、まるで金属の扉を乱暴に閉じたような音が聞こえてきたのだ。一瞬、発砲音かと思うような響きだった。


 まさか、と思ってビルの反対側へと駆けつけた。そこには、窓から身を投げて自ら命を断ったティルノックの亡骸が横たわっていた。

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2025年1月8日 18:00
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