釘に込められた憎悪

 頭上には海鳥の声。それがやたらと虚ろに、耳障りに響いて聞こえる。

 春らしい、ちょっとぼやけた青空。日差しが少し強いのもあって、もうすぐ昼というこの時間、多少の蒸し暑さを感じずにはいられない。そんな西の内港の波止場には、大勢の人々が立ち尽くしていた。その半分以上は、あのカーキ色の軍服に身を包んでいた。


「やられた」


 目の前には、開封された四つの木箱がある。うち一つには、全裸の女の遺体が詰め込まれていた。手口は以前に知らされていたのと同じ。全身、至る所に大小の釘が突き刺さっている。強い力で殴打されていて、骨が折れたり肉が潰されたりしている。けれども、顔の特徴は見間違えようもない。


「どうやら消された、か」


 つい昨日、エオに似顔絵を用意してもらったばかりだったのに、それを活用する機会は、これが最後になってしまった。

 ベラと名乗ったこの女は、またリンとも名乗って、ミドゥシ助教授の遺体を宅配業者に受け渡しもしている。だが、結局、背後にいる犯人に利用されただけで、殺された。最初からそのつもりで彼女を仲間に引き入れたのではなかろうか。


「ただ、殺し方が少し違うのかもしれませんよ」

「どういうことだ」

「首に大きな切り傷が。それに、よく見ると、釘が刺さっているところの出血が少ないです。先に殺してから、血抜きをしたのかもしれません」


 そうすることの意味は、ちゃんとある。とにかく血液は雑菌に汚染されやすい。それはひどい腐敗臭に繋がる。つまり、意図しないところで発見されるリスクが高まる。だから、その時が来るまで目立たないようにしておきたくて、わざわざ血を抜いた。


「釘の本数も少ない気がするな」

「やり方だけ揃えました、という印象はありますが」


 つまり、そこに犯人の主張が込められている。共犯者が邪魔になったから殺したというだけではない。俺がこいつらを殺すのには、それなりの理由があるのだと。

 俺とフェン大尉は、残り三つの木箱に目を向けた。こちらはあまりじろじろ見るわけにもいかない気持ちなのだが。


「ついに犠牲者を出してしまったか」

「どんな顔をすればいいか、わかりません」


 箱の中には、やはり全裸の女性の遺体が詰め込まれていた。但し、こちらは若い。しかも、ご丁寧にも、犠牲者が身につけていた衣服を抛りこんでくれている。


「帝立学園から二名、ナーム大学から一名……」


 既に三名の死者が出ていたところに、更に追加で四名。しかもそのうちの一人は、目下捜索中の重要参考人。帝都防衛隊としても、面目は丸潰れといったところだろう。


「やはり、釘の数が少ないな」

「そうですか?」

「それに……こちらは性的暴行を受けているように見える。これまでとは、やはり少し違う」


 手口だけなぞっているが、内実は異なる。これが何を意味するのか、まだはっきりとはしなかった。

 正視に堪えない無惨な遺体を前に、なんとか手がかりを見出そうとしていると、背後から馬車の音が聞こえてきた。それからすぐ、慌ただしく響く足音が。すぐさまヒステリックな女の声が響く。


「何をやっていたんだ!」

「現場の検分です。これから遺体を駐屯地に送って、詳細に」

「グズグズするな! この役立たずが!」


 テルゴブチ准将は、フェン大尉に容赦なく罵声を浴びせた。

 だが、この事件のために動いているのは彼だけではない。テルゴブチ准将の下には、他にも大勢の部下がいたはずで、彼らもまた、犯人を見つけることができなかったのだ。ならば、この失態の責任は、最終的には彼女に帰せられる。もっとも、だからこそ、こうして怒り狂っているのだろうけれども。


「まったく……これをどう説明すれば」


 爪を噛みながら、彼女は内心の声を形にしてしまっている。

 犯人への憤りでもなく、犠牲者への同情でもなく、責任回避にばかり意識が向けられている。そんな彼女に、俺は思わず冷たい視線を向けた。


「なんだお前は」


 そして、この手の人間は、そういう他者の感情にやたらと敏感だ。


「なんだと言われましても」

「他所から首を突っ込んでおいて、このザマか。なんだ、その反抗的な目付きは」


 まず、俺は彼女の部下ではない。それでも、捜査における指揮系統を統一したい、命令には従ってもらわないと困る、ということであれば、もちろん服従するつもりはある。

 結果を出せない部下を叱責することで奮起させるというのも、必ずしも間違いとは言えないだろう。だが、こんな風に怒鳴り散らして、どんな効果があるというのか。


「少し頭を使ったらどうですか」

「なに!」

「失礼します」


 俺は背を向けた。後ろから聞こえてくる罵声にはもう、注意を払っていなかった。


「あら、旦那様、お早いお帰りで」

「少し、シーチェンシ区に出かけてくる」


 いったん公館に戻ってみると、ヒジリが俺を出迎えた。どうも最近、そういうことが多い気がする。


「旦那様」

「なにか」

「今回の件、旦那様は学園長より独断で行動していいと言われております。人手が入用でしたら、私含め、この屋敷の郎党を使っていただいても構いません」


 必要ない、と言おうとして思いとどまった。


「動いてもらって構わないか」

「何なりとお申し付けください」

「やっぱり多分、狙いは学園だ。犯人は、上流階級の女性を狙っている」


 勝手口を背にして、俺は腕組みし、思考を整理する。


「犯人は、金のために人を殺しているわけじゃない。四万枚の金貨は回収したが、それは軍資金だ」


 でなければ、それをわざわざバラ撒いたりするわけがない。


「細かいことはわからない。だけど、何か思想的な背景がある。さっき、港で新たに四人の女性の遺体が見つかったんだが」

「はい」

「うち一人は、昨日、みんなに共有した、容疑者の女だった。残り三人は帝立学園とナーム大学の女子学生だった」

「確か、先の三人の犠牲者のうち、最初の一人だけは庶民の女性だったとか」


 俺は頷いた。


「あとは全員、上流階級で、しかも学園に近い女性ばかりなんだ。つまり、それ以外の二人の女性は、そうする必要があったから、犯行の妨げになるか、何か有利になるから殺した。犯人の目当ては、恵まれた女性なんだ。ただ」


 さっきの三人の遺体が手掛かりになる。


「あまり聞きたい話ではないかもしれないが、犠牲になった女子学生は、性的暴行を受けた形跡がある」

「ええ」

「そうすると、少し奇妙に思われるんだ」

「なぜでしょうか? 相手が若い女性であれば、痛めつけて楽しんでから殺害するというのも……自然なことではないでしょうか」


 俺は首を振った。


「それだと犯人の人物像に一貫性がなくなるんだ。なぜなら、そいつは学園長とクレイン教授の両方に殺害予告を送っている。だけど、この二人が仲良くしていたのはずっと昔で、今でも同じ派閥の仲間と考えているということは、最近の学園の内部事情を知らない証拠だ。だからケクサディブも、犯人は五十代ではないかと言っていた。でも、そんな年寄りが、若い女をわざわざ、それも一晩で三人も強姦できるか?」

「言われてみれば」

「全身に釘を打ち込んだり、血抜きをしたり、相当に手間がかかるのに。そうなると、こいつは一人で動いているんじゃない。だけど、主犯はやっぱり、それなりの年齢であるはずなんだ」


 そして、そこまで考えると、人物像がより明確になる。


「そう致しますと、その犯人というのも、元帝立学園の関係者なのでしょうね。昔の内部事情には詳しかったのですから」

「そうなる。一連の犯行の計画性からして、相当に考え込まれている。ただ、それにしても奇妙な点は残る。ジノモック教授の殺害にしてもそうなんだが、ではなぜ今なんだ? 何かきっかけになるような出来事があったんじゃないかと思っている」

「そうですね。もともと恨みがあった。そういう背景があった上で、何か具体的なきっかけがあって、行動に踏み切ったとすれば」


 相談することで考えが纏まることがある。今回がまさにそれだった。


「だから、やっぱりスラムに行って事情を確認するべきだと思うんだ」

「なるほど」


 ヒジリも思考が追いついたらしい。


「不憫なことですが、三人の娘が手籠めにされてから殺されたとのこと。ですが、そのような振る舞いに気軽に手を貸せるのは、そもそも失うものがない者だけですからね」

「そうだ。主犯の考えに同意して、秘密で暴力に加わった連中というのがいる」


 そして、彼らは帝立学園そのものに対する憎悪があるのではない。ただ、移民かそれ相当の身分の人々だ。帝都の体制自体に対する不満がある。また、そういった感情を共有している連中で、特に口の固いのを共犯者にするのでなければ、こういう動きはできない。


「僕はこれから、シーチェンシ区に行って、タマリアかルークに話を聞こうと思う」

「私は何をすればいいでしょうか」

「帝立学園の女子学生を守って欲しい。やり方は問わない。多分、また何か策略を仕掛けてくる。正面から襲いかかっても防がれてしまう。ただ、犯人は、先のことなんて考えてない」


 この一連の事件の真相が明らかになったとするなら、その主犯はもう助からない。死刑は確実だ。にもかかわらず、あからさまに目立つやり方で、盗んだ金まで配って、嫌がらせを重ねている。最初から自分が死ぬことは織り込み済み。そこまで覚悟を決めた相手だ。


「ヒジリなら不覚をとることはないと思うが、多分、相手は命を捨ててかかっている。油断だけはしないで欲しい」

「えっ……いえ、承知致しました」


 俺は公館を出ると、物陰で詠唱して『人払い』と『透明』を重ねがけしてから『高速飛行』の魔術を用いた。体が浮かび上がり、一瞬のうちに俺の体は島を南北に切り分けるラギ川の上にまで達していた。


「タマリア、いるか」


 入口の扉を叩くと、すぐ足音が聞こえてきた。扉を半開きにして、俺しかいないことを確かめると、やっと大きく開けて、俺を内側に引っ張り込んだ。


「どうした、何があった」


 彼女は無言で、ベッドで眠りこむルークを指し示した。


「ルーク!」


 俺が歩み寄ると、彼は目を覚ました。見たところ、何か怪我をしているということもないようだ。


「ファルスか」


 かなりの疲労感を滲ませつつも、彼はすぐ起き上がった。


「無事か。昨日、ウィーから聞いた。忙しかったそうだが」

「ああ。でも、作業は夜には終わったんだ。ただ、その後に、一晩中、怪しい連中に追いかけ回されて、ここに逃げ込んだんだ。で、あいつらには見覚えがあって」


 ルークは昨夜遅い時間まで、工事現場で働いた。しかし、一度家に帰ってから、手拭いを置き忘れたことに気付いて、取りに戻ろうとした。既にとっぷりと日が暮れていたが、月明かりのおかげで彼は迷わず歩くことができた。さすがにもう無人であろうと思っていたところ、人の話し声が聞こえてきた。それで気になってそちらへと近づいていったところ、鬼の形相の西部シュライ人の男に見咎められた。


「普通じゃなかった。俺は何も変なことをするつもりはないって、そう言ったよ。でも、用具置き場の奥から次々男達が出てきて」


 鉄パイプやツルハシを手にした連中が、殺意を剥き出しにして襲いかかってきたのだ。多勢に無勢、しかも他に何人いるかもわからない。戦えないわけではなかったが、これでは手加減もできそうにない。形勢不利を悟って、ルークは逃走を選んだ。


「それで、見覚えがあるというのは」

「チュンチェン区の工事現場にいたんだ。ほら、例の暴動の件。覚えてるか?」


 少し前のことで、その時もルークに軽く説明してもらった覚えがある。

 待遇改善を訴えた労働者達の代表が、建設計画に携わっている銀行の幹部がやってきたタイミングで、直訴を行った。ところが、その三日後に、労働者の声を代表した男が事故死した。これが体制側の仕込み、労働者達を黙らせるための策謀と受け止められ、暴動に発展した。


「それでここまで逃げてきて、悪いけどタマリアに匿ってもらったんだ。あいつら、もしかしたら、もう一度暴動を起こそうとしているのかもな」


 だが、それだけでここまで過敏な反応を示すだろうか。


「なぁ、ルーク。覚えていたらでいいんだけど、その銀行の代表って、誰なんだ」

「名前まで覚えてないよ。ただ、女だったな」

「じゃあ、銀行の名前は? もしかして、クリマド銀行っていうんじゃ」

「確か、そんな名前だった気がする」


 だとすると。もう一つの事実も確かめる必要がある。


「その、現場労働者の代表が死んだ時、お前は激痛にのたうち回ったんだよな」

「ああ、それははっきり覚えてる。後頭部と、あとは背中かな? グッサリ何かが突き刺さる感じがあって」

「死んだ人は、高いところから落ちて、確か太い釘が頭に突き刺さったとか」

「そう。そういう死に方をしたらしいってのは、あとから人から教えてもらったよ」


 すべての答え合わせができたとは言えない。それでも辻褄があってしまう。

 自分達を低賃金で扱き使う帝都。その親玉の女が、ミドゥシだった。彼女に抗議した結果が、仲間の死。なら、その仲間と同じ死を、圧制者どもにも与えてやらねば。だからこそ、殺害手段に釘を必要としたのだ。

 ただ、それで説明できるのはミドゥシの件だけ。なぜ教授や学生を狙うのか。殺害予告を送ったのはなぜか。とはいえ、事態はもう次のフェーズに移っている。主要な敵としてのミドゥシは血祭りにあげた。あとはキル数を稼ぐ場面だとするなら。

 最高の標的は、留学生だ。貴族の令嬢を狙う。直接の恨みがあるわけではない。ただ、もうどうせ殺人に手を染めた。どう転んでも自分は助からない。憎い帝都に一矢報いるなら、それが一番だから。


 考えろ。どうすればそういう女子学生をうまく殺せるのか。武器を持って正面から帝立学園の門を突破する? やるわけがない。第一、主犯の誰かはともかく、ほとんどの協力者達には、そこまでの覚悟などないはずだ。でなければ、圧制者への報復をするのに、金貨なんか必要ない。

 いや、留学生は寮で生活している。例えば、ヒメノがそうだ。そして彼女は普段は乗合馬車で移動している。今なら学園の前に貸し切り馬車が臨時の需要に応えるために集まってきてくれているから、あれに乗れば、挑発する移民達の前を歩かずとも、寮まで直行……


「まさか」


 ……またしても後手に回ったのかもしれない。


「どうした」

「ルーク、僕は行く。もしかしたら、また人が殺されるかもしれない」

「なんだって」


 時間がない。まだ日は高いが、そろそろ生徒達が下校する時刻になる。


「学園の様子を見てくる。場合によってはこっちに戻るつもりだ。その時、もしこちらに怪しげな馬車がやってくるのを見かけたら、教えてくれ」


 それだけ言うと、俺は急いで家から出た。

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