無敵の人の脅威

「なんだ、これは?」


 フェン大尉と別れてから、俺は経過報告のために学園に向かっていた。だが、地下道を抜けて大通りに出てみると、そこは異様な空間と化していた。

 まず、帝都防衛隊の兵士達が、一定間隔で立って周辺を警戒している。これは朝と変わらない。問題は、その間を縫うように、奇妙な男達が場を占めていたことだ。こちらも、わざわざ一定間隔に一人ずつ、立ち並んでいる。その外見はみすぼらしく、汚れたシャツに穴が開いているのも珍しくない。フォレス系、ハンファン系のもいるが、西部シュライ人も割と見かける。

 天下の公道に誰が立とうが自由ではある。それに、彼らは別に、通行人に危害を加えるようなことはしていない。ただ、彼らは異様に興奮していた。俺を学園の生徒らしいと見て取ると、わざわざ目を合わせてきて、人を嘲るような笑みを浮かべて、手拍子を始めるのもいた。かと思えば、片手に金槌、もう片方に釘の刺さった木の板を見せびらかして、これ見よがしに釘を打ってみせようとするのもいた。ただ、それだけで、こちらに襲いかかってきたり、声をかけたりというのはない。

 彼らの頭の中を大雑把に把握すると、俺は足を速めた。もしかすると、状況は考えている以上に悪いのかもしれない。


 学園の正門前の通りまできて、その光景を目にすると、溜息が出た。貸し切り馬車がズラリと並んで渋滞を起こしている。なんとも商魂たくましい。路上があのざまでは、とてもその辺の乗合馬車の停留所で待とうなんて気にはなれないだろうから。

 彼らを横目に、俺は学園の敷地内へと足を踏み入れた。


「待ってたわ。ちょうどよかった。入って」


 執務室の扉をノックすると、フシャーナの声が返ってきた。

 立ち入ってみると、まず室内に熱気を感じた。それもそのはず、中には学園の主だった留学生が勢揃いしていたからだ。グラーブはもちろんのこと、リシュニアもアナーニアも、ベルノストもケアーナもいる。アスガルやマリータもだ。


「悪いわね、勝手なことをして、事後報告で」

「いや、必要なことだとは理解している」


 フシャーナの謝罪に、グラーブはそっけなく返事をした。


「それでファルス君、詳しい報告は後でまた纏めて聞かせてもらうけど、わかったことは?」

「犯人に繋がる情報は得ました。ミドゥシ助教授の遺体を運搬させた女の似顔絵を現在、帝都防衛隊に共有しています。それと、誘拐事件の際の身代金ですが、川に沈んだ分は恐らく、犯人によって回収されています」

「川の底を調べたの?」

「ごく簡単にですが」


 フシャーナは、腕組みして、椅子に沈み込んだ。


「すると、関係あるのかしら……ここまで来る途中……見た?」

「はい」


 俺は頷いた。


「彼らは主にトンチェン区の肉体労働者です。犯人は、盗んだお金をばら撒いて、わざわざ学園の近くでバカ騒ぎをさせているようですね」

「お金を配ったのは誰?」

「わかりません。作業員が集まる広場に、金貨と一緒に、やってほしいことを書いた掲示板を設置しておいたらしく」


 ここに来る途中にいた、移民労働者達の心を読み取った限りでは、犯人の姿はやはり見えてこなかった。ただ、彼らはこの嫌がらせを、半ば積極的に行っている。なにしろ、掲示板にはこう書いてあったのだ。


『思いあがった金持ちどもに思い知らせてやれ』


 低賃金で重傷を負うリスクもある過酷な肉体労働をするしかない境遇に、彼ら労働者が不満を抱いていないはずがなかった。とはいえ、帝都防衛隊に捕まって罰を受けるのは怖い。不満はあっても、働かなければ食っていけない。そのギリギリのバランスを、この犯人はうまく揺らしてみせた。

 彼らの給与は日当で支払われる。だから、その日当に相当する分の金額を予め先に与えれば、彼らは安心して仕事を放りだすことができる。そして、やってほしいことというのも、別に犯罪ではない。ただ路上に出て、恵まれた学園の生徒に向かって嘲笑を浴びせるだけ。リスクがないのだ。

 もちろん、金貨を出しっぱなしで看板だけ立てたので、黙ってお金を持って消えるのもいたはずだ。だが、一度に多くの人が看板とお金を目にしているので、独り占めはされない。そして、彼ら労働者は、やらなくても済む嫌がらせをしたくなるだけの憤りを溜め込んでいた。さっき、木の板と釘を見せびらかしてきたのがいたが、彼などは特にそうだ。あれは先日、事故死した仲間の死にざまを再現しているのだ。お前らも高所から落下して、体を釘に打ち抜かれてみろ。そういう意思表示だ。


「何のためにこんなことを」

「犯人の狙いが、どうにもはっきりしませんね。せっかくに手に入れたお金を、こんな風に遣ってしまうとなると」


 グラーブの疑問に、俺もわからないと返すと、フシャーナが纏めた。


「はっきり言えることはほとんどないけど、明らかに学園関係者に向かって挑発行為に出ている以上は、こちらになんらか危害が及ぶ可能性があると、そう受け止めておくべき。で、そうなると、特に気をつけて欲しいのが留学生」


 彼女は、部屋に集まった生徒達を見回して言った。


「自分のサロンの学生、特に自国から来た人には、重ね重ね安全に注意するようにと伝えてもらえるかしら。もし通学に不安を感じるなら、いっそサボってくれてもいい。貴族の子女から犠牲者が出るなんて、たまったものじゃないから」

「恐れ過ぎではないでしょうか」


 マリータが割って入った。


「学園の近くで気勢を上げるばかりで、実際に武器を手に襲いかかってくるでもなし。身を捨てて一矢報いんとするのならいざ知らず。そもそもさして稼ぎもなく、ということは力も知恵も足りない人達なのでしょう。いざとなれば、一方的に薙ぎ払える程度の相手ではありませんか」


 俺は振り向いて言った。


「殿下、それは違います」

「どう違うというのでしょう?」

「人間の恐ろしさとは、その程度のものではありません。正面切っての戦いであれば、誰しもそうそう不覚は取らないものです。けれども、これはなんでもありの戦いです。但し、あちら側にとってだけ」


 意味が通じていないらしい。俺は言葉を重ねた。


「今、路上で騒いでいる連中には、犯罪に協力した証拠がありません。だから防衛隊の兵士達も、彼らを取り押さえることができません。彼らはギリギリまで、行動を起こすかどうかを保留できるんです。わかりますか? これが戦いとするなら、相手は必ず先手をとれるのです。そして、彼らは持たざる者です。なくすものが少ない……絶望してしまったら、もう犯罪を手控える理由がなくなるんです」


 先手必勝、という言葉は真実だ。敵が防備を整えるまでの一撃。これほど有効なものは、他にない。


「先に捕らえてしまえばよいではありませんか」

「どうやって? 帝都はフォレスティアとは違います。疑わしいとか目障りとかいうだけでは……彼らが何か犯罪に手を染めるまでは、彼らを罰したり、行動を妨げたりすることができないんです」

「難儀ですわね」


 つまり、こちらは危害を加えられるまで、逃げ隠れする以外の選択肢をとり得ない。

 フシャーナが言った。


「学園の前に、稼ぎ時とばかりに貸し切り馬車が集まっているけど、いっそああいうのを利用してでも、寮まで安全に帰ってもらうのがいいわ。事件解決までは、余計な出費になると思うけど」

「吹っ掛けられそうですね」

「安全には変えられないもの」


 学生達が退出した後、俺は今日の動きを一通り報告した。


「……そう、お疲れ様」


 フシャーナは難しい顔をして、椅子に座り込んだ。


「何か懸念されることでも」

「犯人の狙いについて、考えていたのよ」


 顎に手を当て、あらぬところに視線を向け、彼女は思考を垂れ流す。


「これまでのところ、被害者は全員女性。そして、殺害予告されたのも、私とクレイン教授。副学園長で、私より表舞台に出ることが多いのに、ケクサディブは名指しされてない」

「そうですね」

「犯罪者が女性を狙う理由は、いくつもあるわ。体が小さく抵抗される心配もあまりない。もしそのつもりがあるならだけど、相手によっては性欲も満たせる。でも、最後の理由は、私はともかく、ジノモック教授もクレイン教授も、明らかに歳をとりすぎている。そう考えると」

「女性だから……弱いからではなく、女性を殺したいという積極的な理由があるのかも、ということですね」


 机に肘をついて、頭を抱えながら、彼女は言った。


「あとは、帝都の秩序に対する挑戦という意味もあるのかもしれない。帝立学園に通う貴族の娘を殺せるとか、そういう意味では最高だものね」

「とすると、反体制側の誰か、帝都を憎んでいる人の犯行ということになりますが」

「そうなると、一番疑わしいのは、移民ではなくて……帝都出身の市民権非保持者の男性。海外から来た移民にしては、狙いがあまりに的確過ぎるから」


 そうだ。フシャーナの言う通りだとするなら、これら一連の殺人は、あまりにハイコンテキストに過ぎる。また、今回の犯行の作戦立案からして、相当に用意周到。相当に頭のいい誰かに違いない。しかも、金目当てでもないとなると、これを一種の思想犯であるとするのは、そう的外れな考えではないだろう。


「私が犯人なら……やっぱり、学生を狙うと思う。クレイン教授みたいなのは、最後の最後にする。ただでさえ厳重に警備されているに違いないから。でも、学生なら、付け入る隙はある」

「ここが勝負どころですね。これ以上、犠牲を出さないためには」

「難しいかもしれない」


 フシャーナは暗い声を漏らした。


「女子学生、全員帝都の子だけど……行方不明のうち、まだ二名の居場所がわかっていないの」

「それは……」

「ナーム大学でも一名が行方不明らしいわ。他でもそういう報告があがってきているから」


 顔をあげて、言った。その顔には疲労感が滲み出ていた。


「出来る限りでいいから、お願いね」


 帰宅する頃には、頭上に夜の帳が降りつつあった。


「おかえりなさいませ、旦那様」


 俺がいつも出入りする勝手口には、珍しくヒジリがいた。


「皆様、既にいらしていただいています。お時間がお時間ですので、お食事も召し上がっていただきました」

「手間をかけてしまって」

「世のため、よいことをなさろうというのに、そのような気遣いは無用です。それより、お疲れでなければ、早速」


 案内されたのは、一階の中庭に面した和室だった。その場にやってきていたのは、ニド、ジョイス、ウィー、シャルトゥノーマの四人だけ。


「あれ? ルークは?」

「今日は身動き取れねぇんだとよ」


 ウィーが代わりに言った。


「ボクが行って見てきたんだけど、なんか工事現場に来る人が急に減って……その分、仕事が増えちゃって、帰らせてもらえないって言ってた。明日には必ず来るって言ってたけど」

「そうか……最優先であちらの話を聞いておきたいところだったんだが」

「なぁ、ファルス」


 シャルトゥノーマが苦笑いを浮かべつつ、言った。


「人間の世界は、本当に揉め事が多いんだな」

「大きな社会の弊害だ。顔の見えない人間同士の協力があるから豊かになれる……というのは、前にも言った覚えがあるけど、だからこそ、こういうことも起きる」

「良し悪し、だな」


 その一言に、俺は彼女の変化を読み取った。ただの軽蔑では済ませなかったから。


「で? 俺達集めて、何させたいんだよ」

「ニド、繁華街で今回の件についての噂は」

「いやぁ、こっちは無風だな。殺人事件っつっても、お偉いさんが死んだってだけだろ? 誰も気に留めてもいねぇ」


 それで俺は、似顔絵の写しを取り出した。


「こういう女がいたら、教えて欲しいんだ」

「なんだこいつ」

「もしかしたら、そちらでいかがわしい仕事をしている女かもしれない。三人目の犠牲者の遺体を箱詰めにして発送した本人の可能性が高い」

「おっかねぇな、おい」


 それより、今となっては優先すべきことがある。


「それでジョイス、休みは」

「無理だな。午後、昼下がりくらいからなら休んでいいって言われたんだが」

「それで十分だ、助かる」


 俺が一番、不安視している問題が解決するかもしれない。


「捜査はしなくていい。学園前にいてくれないか」

「あん?」

「ウィーとシャルトゥノーマもだ。多分、闇雲に探しても犯人は見つからない。それより、次の犠牲者が出るのを食い止めたい。怪しいのがいないか、見張ってほしいんだ」

「そういうことか」


 あとは、似顔絵の女を見つけることができれば、犯人に肉薄できる。

 今、できる対策についての相談を済ませてから、俺達は解散した。

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