似顔絵作戦
夜が明けて間もない時間帯。東の運河の河口付近の桟橋の上から、ほとんど波のない静かなラギ川の水面を眺める。東の空は赤紫色に輝き、それを黒煙のような雲の断片が遮っている。そんな空の色に水面も染まっているのだが、水が濁っているのもあってか、それより若干、黒ずんだ色合いになっているように見える。
歯車橋の隙間からの光を浴びて、小舟の半分と、その上に立つジョイスの半身だけが浮かび上がって見えていた。
「済みません、もうちょっと右です」
「ジョイス! 右だ!」
「聞こえているんでしょうか」
問題ない。俺の声は、そこまではっきり届いていないが、精神操作魔術で別途、連絡はつけることができている。
《なんもねぇぞ、やっぱり》
不満げな声が、俺の心の中に響いてくる。結局、急には店番の仕事を空けられないので、早朝に無理して付き合ってもらうしかなかったのだが、何の成果もないとなれば、スッキリしない気分になるのも自然なこと。ただ、俺としては、まさにこの「金貨を発見できない」事実こそ、探し求めていたものだったのだが。
俺は案内してくれた兵士に振り返って尋ねた。
「あの辺りで、真ん中の小舟が転覆したと」
「は、はい」
彼は、ミドゥシ助教授の救出のために、十万枚の金貨を川に送り出すとき、立ち会った中の一人だ。まだそう日も経っていないので、彼の記憶を借りて、どの辺りで送りだした小舟が転覆したか、つまり金貨が川の底に沈んだかを、確かめようとしているのだ。
だからこそ、俺はジョイスの助力を必要とした。無論、自前で魔術を用いて調べてもいいのだが、探し物となれば、一人より二人だ。
「僕も行きます」
そう言いながら、俺は別の小舟の上に立った。櫂を手にして、今、ジョイスがいる辺りに向かった。
「ねぇぞ」
「金貨が剥き出しになってるとは限らない。麻袋に入れてあったらしい。そういうのも?」
「だからねぇっつってんだろ」
ということは、やはり誘拐犯は、金貨を回収した? そう考えていいのかもしれない。
これが何を意味するか? どんな手段を用いたかはわからないながらも、犯人は四万枚近い金貨を入手した。三艘の小舟に分けて積ませたのは、他二艘分を囮に使うため。本命は、沈めた一艘分の金貨だけで、あとは回収するつもりが、そもそもなかった。運悪く転覆したのが一艘くらいあっても、防衛隊が真実に気付くまでには時間がかかる。
では、もし誘拐犯の目的が金銭なら、既に目標は達成されたのだ。逮捕はできなくても、事件は終わったと、そう受け止めていいのだろうか?
……それでは何かがおかしい気がする。重大な見落としがあるのではないか。そんな気がしてならない。
「こちらになります」
日が完全に昇ってから、俺達は商社街の外れにあるビルの前に立っていた。明るい黄土色の壁面が眩しい。玄関とは別に、大きく口を開けた搬入口があり、そちらでは荷車が行ったり来たりしている。
今は、ジョイスの代わりにエオを学園から引きずり出して、あとはフェン大尉の代理で来てくれた兵士を伴っている。なお、ウィーやシャルトゥノーマには、別口で動いてもらっている。特に繁華街やスラムでの聞き込みは重要だ。公権力相手には口の重い連中もいるだろうから。
一方で、その公権力相手だからこそ、答えを返してくれる場合というものもある。俺が担当しているのは、まさにその部分だ。
「先日の配送の件ですが」
例の木箱、ミドゥシ助教授の遺体を詰めたものを引き受けてしまった受付の女性が、青い顔をして、俺の問い合わせに答えようとしている。
「こちらの帳簿にあります通り、食品ということで持ち込まれました」
「署名がありますね。送り主はリン・ビーヨウとありますが、これは」
「はい、こちら、身分証を確認の上で、お引き受けしました」
そこまではいい。その身分証が本物かどうかもわからない。盗んだり偽造したりしたものかもしれないのだから。
「それで、その女性の外見ですが、どんな感じでした?」
「えっと、多分、帝都の人です。フォレス系とハンファン系の混血みたいな顔立ちの、三十代手前くらいの」
「もっと細かくいいですか?」
そう尋ねてから、エオを促した。彼はスケッチブックを取りだした。
「描いてみますので、違う感じだったら仰ってください」
俺が考えたのは、似顔絵を制作することだ。俺自身は今、この受付嬢の心を読み取ったから、どんな顔をしているかをイメージすることができる。だが、魔術に頼るのでなければ、それを他人に伝えるのが難しい。絵であれば、特に工夫をしなくても、一瞬で情報伝達できる。
「髪形は」
「セミロングで、あんまり丁寧に梳いていない感じの」
「色は」
「亜麻色で」
「肌は」
「化粧は厚塗り気味でしたけど、肌はあんまりきれいでは」
「鼻は高い? 低い?」
「丸い感じです」
「目の形は? こんな感じですか?」
聞き取った特徴だけで、エオはどんどんデッサンを仕上げていく。やがて、俺の頭の中のイメージに、かなり近い似顔絵ができあがった。
「ありがとうございます。大変、大きな手掛かりになりました」
遺体を運ばせに来た女自体は、とっくに防衛隊でも捜索しているのだろうが、ここまで精巧な絵は用意できていないはず。あとでフェン大尉に渡すことで、捜査の進展が期待できる。
それと、やはりというか、この女は、昨日のケポロサンがベラ・ボンハンと呼んでいた女と同一人物らしい。
「ありがとう、エオ。あとでお礼はするから」
「いいんですよ。学園長に便宜を図ってもらいますから!」
似顔絵だけ回収させてもらうと、俺は手を振って彼を送り返した。
「やぁ、苦労をかけて済まないね」
「いえ、こんなのは早いところ、片付けてしまわないとです」
フェン大尉とは、ジノモック教授が殺害された寮の門前で落ち合った。既に時刻は昼過ぎだ。
「部下から報告を受けた。素晴らしい似顔絵だった。ケポロサンは、これがベラだと言っていたし、どうやら彼女を捕まえることができれば、事件の全貌が明らかにできそうだよ」
「はい。ですが、念のため、こちらの寮も調べます。当日出入りした外部の人は」
「もう、呼びつけてある」
俺達は守衛に案内されて、寮の事務室に向かった。そこには既に三人の配管工が座って待っていた。
「忙しいところ、申し訳ない」
配管工の一人はフォレス系の高齢者、もう一人はハンファン系の中年男性で、最後の一人は西部シュライ人だった。全員、青い作業着を身につけている。
「例の事件が起きた日に出入りした外部の人間ということで、もう一度話を聞かせてもらいたく、来ていただいたのだが」
「前に話したことと変わりはないぞ」
この中では一番立場が上らしい、フォレス系の老人が口を開いた。
「前日の夜に、上水道が詰まって水が流れてこなくなったという報告を受けたので、朝一番に二人を連れて、調査に入った」
「確か、目詰まりを起こしていたんだそうですね」
「何箇所か、水垢が溜まっている箇所があったのだが……」
彼は首を振った。
「正直、よくわからん。時間はかかったが、夕方までには普通に水を流せるようになった」
「と言いますと」
「上水道が詰まる場合というのはな、配管が錆びるか、水垢が貯まるか、どちらかなんじゃが……普通、そういう場合には、予兆がある。わかりやすく言うと、少し前からそもそも水の流れが悪い、チョロチョロしか出ないみたいな苦情が先立つものでな」
つまり、急に水が詰まるというのは、かなり不自然な状況なのだ。
「仕方がないから、上流の水栓を閉めて、配管を一つずつ解体して調べたんだが、なるほど、古いのもあったから水垢やら錆やら、ないでもなかったが……正直、どれが詰まりの原因だったか、断定はできんかったのう」
「それで結局、配管を全交換することにしまして」
中年のハンファン人が言った。
「ひとっ走り外に出かけて、換えの、出来合いの水道管を運搬してもらって、僕らで搬入したんです。で、片っ端から入れ替えて」
「日が落ちる前には撤収したんですね」
「無論。そのことは、守衛がちゃんと確認しておる」
俺は、大尉に言った。
「多分、証拠は残っていないと思いますが」
「ああ、何か気付いたのか」
「水道管の詰まりを、計画的に起こしたとすれば?」
配管工達が険しい視線を向けてくる。
「つまり、こういうことです。原因不明の詰まりがあれば、とにかく時間をかけて、配管を交換するしかありません。皆さんは寮の敷地に出たり入ったりする。長い時間、ここに留まる。そして、敷地に最初に入る時と、退出する時には、守衛の詰所に行って、ちゃんと記録をつけます。でも、その間の出入りはいちいち確認なんかされません。一応、守衛も門の前にはいます。でも、皆さんが誰かを、いちいち顔では覚えていません。どうやって区別するかというと」
大尉が頷いた。
「その作業着だけで、大雑把に配管工の一人だと見分けてしまう、ということか」
「その後は、敷地の中に潜伏すれば……あとは夜間にジノモック教授の部屋に滑り込めさえすれば、犯行そのものは可能です。どうやって脱出したかは、まだ謎が残るのですが」
「少なくとも、遺体が発見された直後は、顔の知れた冒険者達か、あとは帝都防衛隊の兵士以外は出入り禁止になっている。敷地内は封鎖されていたから、そうなる前に抜け出したのだろうが、寮の壁を越えて出たにしても……うまいこと、見張りをすり抜けたのだろうな」
寮を出てから、フェン大尉は俺に言った。
「公務というのとは少し違うが、この後、寄りたいところがある。少しだけいいかな」
「え? ええ、構いません」
貸し切り馬車で移動することしばらく、俺と大尉は、帝都南西部の庶民的な家々が立ち並ぶ辺りに到着した。こちらは南東部の独身者の街とは違って、本当に住宅街の風情がある。あちらは独身者の街だが、こちらは家庭を構えている人が多く住む。飲食店のようなものも少なく、ほとんどが集合住宅になっていた。
その中の、特にパステルカラーが目を引くかわいらしいアパートに、彼は足を向けた。カーキ色の軍服とは、完全にミスマッチだった。二階の、とある部屋の前で彼はノックした。
「フェンだ。入ってもいいか」
しばらくすると、内側から軽い足音が近づいてきて、扉を開けてくれた。
「まぁまぁ、いつも見回り、ありがとうございます」
「感謝されるほどのことでもない」
出迎えたのは、エプロンをつけた中年女性だった。ハンファン系で、目の下のたるみが気になる。肌もあまりきれいではない。いわゆるシッターの仕事をしている人なのだろう。
「ああ、こちらは……協力者だ。気にしなくていい」
「ええ、ようこそおいでくださいました」
俺は会釈を返して、大尉に続いて家の中に踏み込んだ。
「やぁ、坊や、いい子にしてたか」
「おじちゃん」
フェン大尉はまだ若い。二十代後半で、実は部下であるハンより年下だ。それでも、顔立ちが老けて見えるし、そもそも五歳の子供からすれば、大人の男性はみんなおじちゃんだ。
「こちらは」
「ああ、ハンの息子だ」
彼は少年の頭を撫でた。
「お外で遊びたいんだろうが、もうちょっとの辛抱だからな。これからおじちゃんとみんなで、悪い奴をやっつけるから」
「うん」
俺は察した。つまり、フェン大尉はいくつもの理由があって、この家を定期的に訪ねることにしているのだと。一つには、最初の被害者がハンの妻であるということから、犯人の狙いが防衛隊員の家族、或いはそうでなくても、ハン個人に向けられている可能性を捨てていないから。妻を殺したら、次は息子。そうなっても不思議はない。もちろん、それだけではなく、部下とその家族を思いやっているからでもある。
「何か変わったことは」
「他には何も」
「よかった。困ったことがあれば、いつでも駐屯地に来て相談して欲しい。フェン大尉と言えば通じるようにしてある」
シッターの女性に、彼は言った。きっといつものことなのだろう。彼女は相槌を打つように何度も頷いて、特に返事もしなかった。
それで俺は視線を子供に向けたのだが、彼の服の袖口から顔を覗かせているものに気付いて、大尉の袖を引いた。
「大尉、その、この子」
彼も気付いて真顔になったが、何も言わなかった。それですぐ、椅子から立ち上がり、もう一度、少年の頭を撫でた。
「まだ仕事の途中だから、おじちゃんは帰るよ。パパが夕方には帰ってくるから、いっぱい遊んでもらうんだ」
「うん」
大人しい子だ。はしゃいだりもしない。一見するといい子だが……
シッターの女性に挨拶して部屋を出てしばらく、馬車に乗りこむ前になって、やっと大尉は口を開いた。
「見えたんだな?」
「どうして痣ができているんですか」
明らかに大きな力で殴られた痕だ。ただ、時間が経っているのもあって、治りかけてはいるようだが。
「ハンには余計なことを言って欲しくないのだが」
「はい」
「いや、もう気付いているとは思うのだがな……あいつの妻が、喧嘩別れして家を出た件は知っているか?」
「ご本人からお伺いしました」
頷くと、彼は難しい顔をした。
「最初、妻が出て行った時に、あいつは、実家に帰ったらしいと言っていたんだが、実際には知人……いや、もっとはっきり言ってしまうと、不倫相手の家に転がり込んでいてな」
「えっ」
「独身の若い男だ。そこに女が子連れで、となれば」
母と行動を共にした息子は、そこで母の愛人によって虐待を受けた、か。前世では、俺も似たような経験が少しあるから、その辺はすぐわかる。
「じゃあ、でも、ハンさんは」
「だから、容疑者同然だったんだ」
妻の浮気。殺害するだけの理由として十分だからだ。
「ただ、そうなると片手落ちってことになりますね」
「そうだ。浮気されたことが許せないのなら、愛人の男も殺さなければ、帳尻が合わない。だが、それはしていない」
彼は首を振って言った。
「どちらにせよ、ハンの息子を虐待していたらしいことはわかっている。今はややこしくなるから後回しにしているが、後日、改めてそいつは逮捕することになるだろう。見逃すつもりはない」
それから、俺達は防衛隊の駐屯地に向かい、一通りの連絡を済ませてから、解散した。
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