尋問開始
「想像はつくかもしれないんですが、実は少し前まで、私は難しい立場だったんですよ」
ハンはそう語りだした。
「それは? つらいお気持ちだったのは想像がつくんですが」
「そうではなくて、殺人事件ですから。動機がわからない以上、家族も容疑者みたいなものです。特に私の場合は……ちょうど妻と仲違いしてしまいまして」
「えっ」
ハンは俯いて目を伏せ、ボソボソと力なく言った。
「ほら、私は防衛隊に詰めているので、夜直でこっちに泊まりこみになることもしばしばで……だから、家のことはほったらかしだったんです」
「ああ」
「仕事柄、どうしようもない面もあるのですが、それで妻に負担が偏って、ついに爆発してしまいまして。それで一ヶ月半ほど前に、妻は私と大喧嘩した挙句に、長男を連れて出て行ってしまったんです」
「お子さんがいらっしゃるんですか」
彼は頷いた。
「もうじき六歳です。大人しくて気の優しい子ですよ」
「その、念のためと言いましょうか、ご長男は」
「無事ですよ、もちろん。今は家にいます。あ、昼間は私がこちらで勤務していますので、業者に手配してもらった家政婦さんに面倒を見てもらっています。今は夜勤も免除してもらって、夜は息子と過ごすようにしています」
ギルもうんうんと首を振った。
「まぁ、お母様を亡くした直後ですし、せめて父親はいつも一緒にいてあげないとですね」
「ええ、ありがとうございます」
気持ちの問題はさておき、事件の詳細を確かめるべく、俺は尋ねた。
「ところで、さっき容疑者みたいなものと仰いましたが」
「はい」
「何がどうなって疑いが晴れたんですか?」
「ああ」
彼は肩の力を抜いた。
「まず、妻が殺害された当日なんですが、私はその前日から翌日まで、こちらの駐屯地に詰めていたんです。一歩も出ていません。外出した場合は、門を抑えている監視員に身分証を見せて、記録をつけられます。まぁ、あの高い壁をよじ登るか、鳥になって外に出て行けるとかなら、別ですが」
「なるほど、ご自分で実行するのは無理だと」
誰かに妻の殺害を依頼すれば。自分の不自由はアリバイにならない。
「はい。でも、誰かに依頼した可能性はあると……だから、中途半端な扱いが続いたのですが、完全に疑いが晴れたのは、二件目の事件が起きたからです。学園の教授が殺害されたとのことですが、私はこれまで、帝立学園とは何の関わりもありませんでした。しかも、犯行が行われた日には、私は家にいました。息子以外の目撃者も、偶然ですが、います」
「それはどなたですか」
「大尉ですよ。男やもめになった私を気遣って、酒をもってうちまで訪ねてきてくれたんです。でも、息子もいますから、深酒もしていません。まぁ、一晩中いたわけではないですが」
殺害前後の状況についても、詳しく確認しておきたい。
「あまりしたいお話ではないかもしれませんが、では奥様は、家を出てからどこにいらっしゃったんですか? 殺害された日の行動とかは」
「すべてが明らかになっているわけではありませんが、私が今、把握しているのは、捜査本部が知っていることと同じです。妻は、私と喧嘩別れしてからは、長男を連れて知人宅に泊まりこんでおりました。殺害された当日は、いつもの飲食店の仕事もお休みだったようです。知人の方は、仕事で留守でした。ただ、その家に息子を残した状態で、夕方になってから外出していたらしく、それについては、近所の人が、出歩いている妻の姿を目にしています」
そして、出先で行方不明になり、それが翌朝未明、西の内港の木箱の中で、変わり果てた姿で発見された、と。
「奥様の交友関係は? その、恨みを買うような誰かとか」
「それだと、直近で喧嘩別れした私が一番だったんですよ」
「ああ、では、その他では」
「私も心当たりがないんです。いつもの勤務先の飲食店でも、実は仲の良くない人はいたらしいんですが……殺すほどの恨みがあったかとなると、どうにも弱いですし、それに、やっぱり当日は他の場所にいたのが確認されていますからね」
つまり、今のところ、ハンの妻を殺害した人物については、まったく想定ができていないことになる。そうなると、最も疑われるのが彼自身というのも自然な話で、俺も同じような結論に至るのだが、でも事件発生から三週間も経っているし、防衛隊も彼のことを調べ尽くしたに違いなく……
「入っていいかな」
背後でノックが聞こえた。
「お待たせした。ファルス君、ギル君。許可が下りた。よかったらついてきたまえ」
「あ、はい」
「ハン、お前は」
「書類整理が済んだら、今日は帰らせていただきます」
「ああ、息子さんとのんびりしてこい」
考えすぎかもしれない。彼には逃げ場などない。防衛隊員である限り、疑惑が降りかかれば、すぐさま周囲に拘束され、調べ上げられる運命にある。
念のため、と思って、たった今、彼の意識を魔術で読み取ろうとし始めたところだったのだが、時間が短かったのもあって、まだ何も掴めてはいない。少なくとも、彼の記憶の中に、妻を殺害した場面は見つからなかった。
それから俺達は、フェン大尉に連れられて、拘置所に向かった。といっても、鉄格子が並べられている囚人のエリアに案内されたのではない。面会スペースに、順番に重要参考人が連れてこられる。もっとも、その面会室の中央はというと、やっぱり鉄の網と鉄格子で区切られているのだが。
最初に呼ばれてきたのは、ミドゥシ助教授の誘拐に際して、身代金の回収に出向いた人物だった。西部シュライ人の若い男で、深煎りのコーヒー豆のような肌色をしている。太りやすい体質なのか、全体的に丸い体をしているように見えた。全体的に幼い印象を与える顔立ちで、目がクリクリしていてきれいだった。
「ケポロサン・ジャホラットで間違いないな」
「はい」
彼は、努めて感情を抑制しているが、それでも憮然としているのがありありと見えた。なぜこんなところで尋問を受ける破目になったのか。そんな顔をしていた。
「改めて問い質す。時の箱庭の六時の広場で、お前は人を待っていた」
「はい」
「何を言い含められていた?」
彼は目を泳がせながら、言った。
「売掛金の回収だと」
「それなら街中でいいはずだ。どうしてそんな場所で?」
「相手のためだって言われた。移民の女に入れあげていたなんて知られたら、客が妻から叱られる」
無論、既に魔術を発動して、今度は最初から心を読み取っている。
彼は嘘をついている。移民売春婦の売掛金の回収代行ではなく、違法薬物の代金を受け取るために、あの場にいた。しかし、本当のことも含まれている。彼にこの仕事をするように伝えたのは、女だ。彼の記憶からは、キャミソール一枚のだらしない格好で、スラムの薄汚れた建物の一角にしゃがみ込む女の姿が浮かんでくる。人種的特徴としては、フォレス人とハンファン人のハーフだろうか。安物の白粉で顔を塗りたくっているが、とっくにトウがたってしまっている。小皺の寄り方に、その人柄のいやらしさが滲み出ていた。
お金を回収して帰ってくれば、金貨五十枚の報酬だと言われ、彼は請け負った。もちろん、先払いの金もあって、こちらは金貨五枚。
「その女の名前は」
「ベラ、確か、ベラ・ボンハンって名乗ってた」
「年齢は。あと、人種は」
「人種は、フォレス人っぽいが、よくわからない。年齢は、三十ちょっと前だと思う」
「もういいです」
これ以上のことを、ケポロサンは知らない。
「わかった。ケポロサン、房に戻れ」
一人目の尋問は終わった。
「お、おい、ファルス」
「大丈夫、手掛かりはちょっとは見つかったと思う」
次に連れてこられたのは、宅配業者の男だった。今度はフォレス系の顔立ちをしている。年齢は五十過ぎ、無精髭が伸びていて、髪の毛もごま塩になっている。深く刻まれた皺に、日焼けした肌。帝都生まれの、市民権を掴み損ねた側の人ではなかろうか。
「ティダック・ベルブンガンで間違いないな」
「ふん」
彼は見るからに反抗的だった。威圧的なフェン大尉に対して、反発する思いがあるらしい。
「ちゃんと答えろ」
「勝手に犯罪者扱いしよって、ただで済むと思うな」
構わず大尉は質問を重ねた。
「お前は先日、木箱を運搬したな」
「もうその話は何度もした」
「改めて確認している。非協力的になればなるほど、お前にとって不利になるぞ」
「この、権力の犬めが」
相当、腹に据えかねているらしい。
「木箱からは異臭がしたはずだ。おかしいと思わなかったのか」
「変だとは思ったさ。だが、金持ちのお屋敷に何が届けられようが、俺の知ったことじゃないね。それを言うなら、あんな荷物を受け付けた本社の連中に文句を言ってくれ」
「その、本社の記録もとってある。依頼人は、帝都出身のリンという女で、みなし市民権の保持者だそうだが」
「俺は会ったこともねぇよ」
ここまでのところ、彼から伝わってくるのは怒りだけ。嘘は一つも言ってない。事件に巻き込まれただけのようだ。
「大尉」
「どうした?」
「こちらの方は、もう結構です」
「けっ」
ティダックは俺を睨みつけながら、椅子から立ち上がった。
彼が遠ざかってから、俺は改めて尋ねた。
「その、リンという女性を見たという本社の人をご紹介いただけますか?」
「もちろん」
もし、さっきケポロサンの記憶に出てきたのと同じ顔の女だったら。犯人特定に向けて、大きく前進したことになる。
「もう一つお願いが」
「なにかな」
「ジノモック教授殺害についてです。教授がいた女性用の寮を訪問したいので、こちらも手配をお願いします。当日の出入りの記録などを見たいので」
「わかった」
この件だけは、殺害現場が寮の中だとほぼ確定している。犯人は用意周到に、内部に潜入する手段を整えて、ことを成し遂げた。だが、そういう大きなことをすればするほど、証拠も残りやすいというものだ。
「では、明日の昼頃に……どうしようか」
「お手数ですが、ワノノマの旧公館までいらしていただけますか。明日の午前中、早い時間には、また別件で調べたいものがあって」
ジョイスの体が空けばいいが、そうでなくても一人で調べるつもりだ。ラギ川の水底に、果たして金貨は残されているのかどうか。俺の勘では、恐らく……
金網の向こうで、扉の開く音がした。
「あっ!」
バタバタとこちらに駆け寄ってくる。そして、鉄格子に頭をぶつけて止まった。
「ファルス君! ファルス君だ! 来てくれたんだね! 助けて! 助けてよぉ!」
コーザは相変わらずコーザらしかった。半泣きになっている。
「僕、何も悪いことしてないよ! 本当だよ! 信じて!」
念のため、心を読み取ったが……すぐ答えは出た。
「あ、うん……」
「あああ! こんなことなら、結婚したいなんて思うんじゃなかった! どうせモテないのに、女の人に相手してもらおうなんて無謀なこと考えたから、こんなことになったんだ! 人形の迷宮と違って、お見合いパーティーじゃ、ファルス君に助けてもらうなんてできないんだし!」
鉄格子を揺らしながら、コーザが絶叫する。
「き、君……少し、落ち着きなさい」
フェン大尉も、面食らっている。
「あの、大尉」
「な、なにかね」
「本当に、こんな彼が、ミドゥシ助教授に叱責された翌日か翌々日に、あんなに手早く誘拐して殺害するとか、できると思うんですか?」
「ああ……」
彼も深い溜息をついた。
「とはいっても、ほら、団体の方から通報があって、取り調べないというわけにもいかなくてね……その、上の人間の繋がりもあって」
「お役人も大変ですね」
「ねぇ! ねぇってば! 助けて! ここから出して! 養老院の仕事、クビになっちゃうよぉ!」
泣き叫ぶコーザを前に、俺とギルとフェン大尉は、唸るばかりだった。
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