防衛隊の駐屯地へ

「へいらっしゃい! ……って、なんだ、お前か」


 俺の姿を確認すると、ジョイスは揉み手するのをやめて、肩の力を抜いた。


 帝都南東部の、ハンファン系移民の多い街区。ジョイスが仕事先にしているのは、乾物屋だった。木造二階建ての陸屋根の上に、またテントを常設している。二階まで上がったことはないが、薄暗い一階の店舗スペースには、所狭しと商品が山積されていた。そこに微かにかつての生臭さを思い出させる匂いが漂う。春雨、木耳、糸唐辛子に松の実。それに、干し鮑や干し貝柱などもある。思わず手を伸ばしたくなるが、これらは、こちらの世界でも、決して安価な食材ではない。でも、干豆腐くらいなら……そうじゃない。


「こんな時間になんだ? また美味いもんでも作るのか」

「それもいいけど、今日は別の用事だ。悪いけど、この店番、何時まで……いや、明日もあるのか?」

「おう。それがどうした?」

「手を貸して欲しい」


 既に俺の周囲の人には声がけを済ませてある。まず、フシャーナにアスガルを呼び出してもらい、サハリア系住民の情報を拾い集めてもらうよう依頼した。ヒメノには、しばらく一緒に帰れないこと、登下校時には気をつけるようにと伝えておいた。ギルには一足先に、ギルドと帝都防衛隊の詰所に向かってもらい、フシャーナとその下で動く俺達の捜査協力について、伝達してもらっている。

 あとは頭数だ。別宅の方に顔を出したが、いたのはオルヴィータだけだった。ウィーとシャルトゥノーマの手も借りたいということで、伝言をお願いしておいた。あとはニドとルーク辺りにも手を借りたい。こちらはどちらも、情報源としての価値があるからだ。繁華街やスラムでの噂を聞かせてもらえるだけでも、有用かもしれない。


「何があった」

「済まない。お前には関係ないんだが、学園の方から、殺人事件の調査協力を頼まれて」

「はぁ? んなもん防衛隊の仕事じゃねぇのかよ」

「学園の関係者も犠牲になっているんだ。とはいっても、もちろん、お前には関係ない話だ。だから、無理にとは言えないし、手伝ってくれたら、その分の給与はあちらに負担してもらうことになる」


 ジョイスは、俺の言葉に、キョロキョロしてから返事をした。


「今日すぐにってのは無理だ。明日か、明後日か。ここのオヤジに相談してみねぇとよ」

「済まない。助かる。僕だけでは見落とすかもしれないから。特に探して欲しいものがあって」

「いい。そういうことなら、またこっちから連絡する。時間が空いたら公館の方に行くからよ」

「ありがとう」


 俺は頭を下げると、すぐ店を出た。

 できれば繁華街とスラムにも寄っておきたいのだが、二人とも行方がはっきりしない。特にニドは、どの愛人の家にいるかもわからない。ルークは、自宅は特定できるが、この時間は多分、ラギ川南岸の工事現場で作業している頃だろう。夜になったら、また改めて出向けばいい。

 そろそろ時間がなくなってきた。ギルとは、帝都防衛隊の駐屯地の正門前で待ち合わせている。


「おっ? どこに行ってたんだ?」

「知り合いのところをまわってた。手を貸してもらえるよう、頼んでおこうと思って」


 移動時間を省略するために、自分を『透明』にして『飛行』で距離を稼いだ。だから、正門の前の物陰に降り立って、そこで魔術を解除する必要があったのだが、そのせいでギルからは、俺が変な方向から歩いてきたように見えてしまったらしい。


「まぁいいや。ほら、学園長から委任状は貰っておいてやったぜ」

「助かる」

「こっちの台詞だよ。お前が動いてくれりゃあ、この憂鬱な仕事もさっさと終わるってもんだ」


 奪った能力のおかげで強いだけの俺に、あまり期待をかけられても、という思いがよぎる。


 帝都防衛隊の駐屯地は、街の北寄りにある。その東側には、ラギ川を挟んで閑静な高級住宅街が広がるが、すぐ西はというと繁華街だ。その狭間の区画を大きく切り取って、真四角な城壁が突き立っている。以前にも上空から見たことがあるが、内部には巨大な円筒形の塔がいくつかある。内部を目にしたことはないが、あくまで聞いた限りの話では、あの塔の中には彼らの活動に必要な一切が収められているらしい。それこそ寝室から食堂、武器庫まで、なんでもあるという。

 既にギルは先に中に入って、この件を伝達してもらっている。彼が門のところで、臨時の身分証をかざすと、すぐ立ち入りが認められた。

 内部はガランとした印象だった。前世の刑務所を思わせる高い壁、ずんぐりした円筒形の塔が、夕暮れ時を前にして、色濃い影を落としていた。足下にはびっしりと石畳が敷かれていて、そのブロックが小刻みに影の線を描いている。ポツポツと監視塔のようなものがある他は、視界を遮るものもない。

 いくつかある塔の中の一つに、ギルは迷わず立ち入っていった。俺もついていく。ここでも身分証を見せると、何も問われることはなく、スムーズに通り抜けることができた。さまざまな幅の通路を歩き、階段を登って降りて、とある部屋の前に辿り着いた。ここは、身分証だけでは通れなかった。


「ご用件を」

「内閣府より臨時の行政命令を受けて参りました。こちら、ご確認を宜しくお願い致します」


 ギルが書状を差し出し、部屋の前の見張りがそれを確認する。すぐ顔をあげると、兵士は扉をノックし、立ち入る許可をとった。


「お入りください」


 それなりの広さのある部屋だった。突き当たりには高い位置に光をとるための窓があり、そのすぐ下に立派な椅子と、幅広の机があった。右手にはまた別のテーブルがあって、そこに帝都の全図が描かれていた。部屋の左手、壁際には将校達が一列に直立していた。そしてもちろん、部屋の主は窓の下の椅子の上にふんぞり返っていた。


「ようこそ、捜査本部へ」


 言葉こそ歓迎の意を示しているものの、その口調は挑発的で、およそ好意を感じられなかった。

 南方大陸南部出身のその准将、アヨルは中年女性だった。浅煎りのコーヒー豆みたいな肌の色、真黒な髪、厚ぼったい唇が印象的だった。身につけているのは、やっぱり前世の軍服みたいなもので、そこは左手に居並ぶ将校達と違いはなかった。


「お邪魔します」

「ええ、邪魔よ」


 俺が会釈すると、容赦なく吐き捨てた。


「一刻も早く犯人を特定する必要があるの。学園側が何を思ったかわからないけど、子供の遊びに付き合ってる場合じゃないの」

「恐れながら」


 とりつく島もなさそうな感じではあるが、やると決めた以上、ここで行動の自由を勝ち取る必要がある。


「私どもは学生に過ぎませんが、中には有力者もおります。特に海外からの移住者とは距離も近く、彼らの話から手がかりを得ることもできるだろうとみております」

「そんなことは防衛隊もやってるの。チョロチョロされたくないわ」

「おっしゃることはごもっともですが、私どもの立場もありまして……学園側から、できることで協力せよと言われれば、拒否することもできません。どうか、捜査への参加と情報共有を認めていただきたく」


 あちらは俺達に邪魔だからどいてろと言っているのだが、俺からすれば逆で、俺の調査の妨げにならないようにしてほしいという気持ちだったりする。


「まぁ、ボッシュ首相の命令書があるんじゃ、どうしようもないからね」


 ブスッとした顔で、彼女は不承不承、俺達の要求を受け入れた。この辺り、本当に時間の無駄だ。これだけでも、アヨルの能力の低さが実感できる。決まっていることなら、さっさとやるしかないのだ。それを、決定権も何もないだろう人間に向かって不満をぶちまけるとか。それで何か捜査に進展があるのかと言いたい。


「といっても、こっちはこっちで忙しいから、ずっとあなたの相手をしてるわけにはいかないの」

「はい」

「フェン大尉」


 横に並んでいた将校の一人が進み出る。


「彼のことは知っているんでしょう? 昨年夏の保養所で一緒だったとか」

「はい」

「今後の案内は彼に任せるから。大尉、学園側の件はあなたに一任したから、うまく処理して」

「承りました」


 話し合いもそこそこに、俺達は部屋を追い出された。


「失礼な扱い、申し訳なかった」


 さっきの部屋より一回り狭いところに、俺とギルは案内されていた。恐らく、フェン大尉に割り当てられている執務室なのだろう。


「ただ、我々の仕事に外から嘴を突っ込まれたくないという思いは、ないでもないが」

「済みません、僕も学園長からの命令なので」

「ああ、君を責めるつもりはない。それに、少しは噂を聞き知っている。なんでも、それなりに武勲は挙げてきたらしいが」


 椅子に座ったまま、彼は腕組みして、溜息をついた。


「ただ、これは戦争ではない。魔物退治でもない。あくまで帝都の中で起きた犯罪なんだ。何を懸念しているかというと、要するに……」

「僕が、捜査権限を濫用して、一般市民に迷惑をかけること、ですか」

「それが一番堪えるね。その場合、苦情は全部こっちにくるんだ」


 理解できる不安だ。俺も頷いた。


「なるべく一般市民に迷惑をかけない範囲で行動したいと思います」

「といっても、それで何ができる」

「手が回っていないところを追及していくつもりです。ただ、その前に、できれば防衛隊で把握していることを共有していただきたいと思います。具体的には」


 欲しいのは、証言者との面会だ。特に、誘拐事件の際に、最初の身代金受け取りにやってきた男と、その後、ミドゥシ助教授の遺体を運搬した宅配業者。彼らも尋問を受けているとは思うが、真実を述べたとは限らない。また、本当のことを話してくれているとしても、俺ならもっと詳しい情報を得ることができる。具体的には、彼らに接触した人物の顔だ。この木箱を運んでくれ、と伝えた誰か。その映像情報は、俺でなければ抜き出せない。


「防衛隊で把握している関係者、容疑者とか重要参考人とか、そういう人達に会って話を聞かせてもらおうと思っています」

「私の立ち合いの上で、ということになるが、それでいいかね」

「もちろんですよ」

「では、許可をとろう。で、そうなると……少し待っていてくれ。君に紹介したい人物がいる」


 そう言って、彼は腰を浮かせた。五分ほど経ってから、足音がまた廊下の方から響いてきた。


「待たせた。こちらがハン・ホー、防衛隊員で、私の部下の一人だ」

「はじめまして」


 頭を下げたのは、三十代半ばのハンファン系の男性だった。


「そして、最初の事件の被害者の遺族でもある」

「えっ」


 理解が追いついて、俺はすぐ席を立ち、頭を下げて言った。


「お悔やみ申し上げます。なんと申し上げたらいいか」

「いえ」


 彼は俯きつつも、口元だけで笑みを浮かべようとした。


「私も防衛隊員ですから。気持ちはどうあれ、職務は職務として、務めていく所存です」

「つらいところ済まないが、ハン、こちら、ボッシュ首相の肝いりで、学園から派遣されてきたファルス君だ。事件に関して、お前が知っていることを伝えてやってくれないか」

「承知致しました」


 フェン大尉が身振りで座るように示すと、ハンは俺達の向かいに座った。それを見届けると、フェン大尉はまた部屋を出て行った。


「では、お二人とも。改めて宜しくお願い致します」

「いえ、こちらこそ」

「お役に立てるか分かりませんが、知っていることをお伝えさせていただきたいと思います」


 こうして俺達は、事件の関係者達からの話を聞くことになった。

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