きみと息をしたくなる

新巻へもん

そうよ。私は我がままなの

 私はエマーニャお嬢様が五歳の時にこの屋敷に連れてこられる。

 馬鹿でかい豪華な屋敷の中で、エマーニャお嬢様はとても儚げに見えた。

 本来は私の特性に合った別の仕事が与えられるはずだったが、お嬢様のたっての希望で担当業務が変更になる。

 お嬢様付きとなった私は片膝をついて挨拶をした。

「ご機嫌麗しく存じます。エマーニャお嬢様」


 黒い靴を履き、フリル付きのドレスを着たお嬢様は、背筋を伸ばすと小首を傾げた。

「それで、私はあなたを何と呼べばいいのかしら」

「なんなりとお好きなようにお呼びください」

「変なの。私はあなたのお名前を聞いてるのよ」


 私は困惑の表情を作る。

「それが……私には名前がないのです」

「やっぱり変なの。ああ、分かったわ。記憶喪失というやつなのね。それじゃあ、私があなたに名前を付けてあげる」


 膝をついた私の前をぶつぶつ言いながらエマーニャお嬢様が何往復かした。

「決まったわ。あなたは今日からトーマスよ」

「畏まりました。エマーニャお嬢様」

「それから、私のことはエマって呼んで。トーマス」

「仰せのままに。エマ様」

「エマ!」

「……エマ」

「それでいいわ。今日から私たちはお友達よ」


 ほどなくして、私に名付けられたトーマスという名の由来を知る。

 エマーニャお嬢様が好きな絵本、紙に印刷された本物の本の中に登場するスーパーヒーローの名前がトーマスだった。

「トーマスはね。氷のような青い目をしているの。あなたも同じ目をしているわ」


 お嬢様は幼いわりに周りの大人の感情を読むのに長けている。

 それは幸せなことだったのか、不幸なことだったのか。

 お嬢様に接する様々な思惑を敏感に感じ取るお嬢様は、私を出会うまでは孤独だったようだ。


 エマーニャお嬢様はよく事故に遭われる。

 私が着任する前も、通われていた幼稚園で爆発事故があり、多くの友達を亡くされていた。

 弁護士が私に与えた仕事は正式にはお嬢様のボディガードである。

 だが、私の主は友達と言った。どちらの指示に従うか迷うまでも無い。


「ねえ、トーマス。本を読んで」

 エマーニャお嬢様は大きな絵本を抱えてくると、私に両手で本を手渡す。

 私の膝の上によじ登ると足をブラブラさせた。

 ぶつけないように慎重にお嬢様の前に本を持っていきページをめくる。

 読み終わると、エマーニャお嬢様は体全体を使って、はああと息を吐き出した。


「私もヒーローになれるかしら?」

「どうしてヒーローになりたいのですか?」

「泣いている子を助けてあげられるもの」

「そうですか。エマは大きくなったら、きっと多くの子を救うことでしょう」

「本当に? 私は車も持ち上げられないし、空も飛べないわ」

「大丈夫です。大人になったら分かります」


 ***


 私がお嬢様にお仕えして2年がたつ。

「ねえ、トーマス。死んだ人ってどこにいると思う?」

「私には分かりかねます。エマ」

「なんでも知っているトーマスにも分からないことがあるのね」

「申し訳ありません」


「いいの。きっとね、お父様もお母様もお友達だったアリスやネリー、みんなね、天国にいると思うの。いい人たちばかりだから。私も天国にいけるかな? 私はダメね。昨日ニンジン残しちゃったもの」

「いいえ。エマならきっと大丈夫です」


「そうだといいけど。トーマスもいい人だから絶対に天国に行けるわ。でも約束して。絶対に私をおいていかないで。もうね……」

 最後は声を詰まらせ、大きな目を潤ませながら、涙を零さないようにと必死にこらえていた。

「エマ。約束します。私はあなたを置いていくことはありません」

 私の手でお嬢様の頬を包む。


 ***


 私の腰ぐらいしかなかったお嬢様の背丈が、私の肩ぐらいになるまでの間にも何度かの事故があった。

 その度に私は身を挺してお嬢様の命を救う。

 さらに10年が経過して、お嬢様は賢く成長され、サイバネティックスとバイオテクノロジーの天才と称されるようになった。


 ただ、私と一緒にいるときは一人の女の子に戻ったような態度になる。

「ねえ、トーマス。私は美しい?」

「はい。とても美しいと皆が言っています」

「そうじゃなくて、あなたがどう思うか聞いているの」

「それについてはよく分かりません」


「じゃあ、私にキスしたくなる?」

「いえ、私にはそのような情動はありません」

 お嬢様は淑女にあるまじき舌打ちをして、ドスンとソファに腰を降ろすと私を見上げた。

「ねえ、トーマス……」


 その時、私の視覚は閃光を捕らえる。

 私はミリ秒でお嬢様を守るための行動に移った。

 ソファごとお嬢様を後ろに倒すと私の体とソファを使って爆炎と諸々の破片から身を守る。


 局地的なサイクロンが収まるとお嬢様を抱えて走り出した。

 熱源追尾式のライフル弾が何発も追ってくるが、被弾する直前にすべて叩き落とす。左手の指が二本破損したが、行動には支障はない。

 私に身を委ねていたお嬢様が息を飲んだ。


「トーマス。あなた手が」

「操縦には問題ありません。ご安心ください」

 私は地下格納庫に通ずる縦穴にダイブする。左手でポールを掴み時おり減速しながら無事に地階に降り立った。


 囮の無人機が三機順々にエンジンを始動させる中、私はロケットエンジン搭載の脱出機の補助座席にお嬢様を搭乗させる。五点ハーネスで座席に固定し酸素マスクをお嬢様の顔に被せると、私は操縦席に滑り込んだ。

 キャノピーを閉じると同時にロケットエンジンを点火する。


 長く尾を引く炎を残しながら脱出機は飛び立った。

 離陸時の攻撃は無人機がほとんど引き受けてくれる。

 爆発炎上する無人機の煙に紛れて私たちは無事に空中へと飛び立つことができた。

 もはや重しでしかないロケットエンジンを切り離し、ラムジェットに切り替える。


 お嬢様の生体情報を確認した。発進時の加速Gで失神したようだが、命に別状はない。

 脱出機は飛行を続ける。

 そのうちにお嬢様が意識を取り戻した。


「トーマス。オートパイロットを切って。このまま進んでも敵の手に落ちるだけよ」

 スイッチを切り替えると私の手に操縦桿の重みが加わる。

 お嬢様の指示に従って、当初想定されていた目的地とは別の隠れ家へと進路を取った。

 

 もう少しで目的地というところで、エンジンが火を噴く。

 一斉に緊急事態を告げるランプが灯った。

 補助座席の脱出装置を作動させる。キャノピーが吹っ飛び、お嬢様を乗せた座席が空中に射出された。パラシュートが開いたのを確認する。

 それと同時に脱出機が爆発し、私の各種センサーがブラックアウトした。


 ***


「トーマ……。聞こえ……。返事をなさい」

「はい。聞こえています。エマ。今は夜なのでしょうか。赤外線モードにしても映像がキャッチできません」

「いいこと。トーマス。あなたの筐体は飛行機の爆発に巻き込まれてほとんどの機能を失ったの。今は間に合わせのものに繋いでいる状態よ」


「ここはどこでしょうか?」

「心配しなくていいわ。それよりも私の話を聞いて。このままだとあなたは完全に機能を停止するわ」

「昔の約束を果たせないとは、大変申し訳ありません」


「そうね。このままだと、あなたは私との約束を破ることになる。そこで、あなたに聞きたいの。その筐体を捨てて新しい有機性の義体に変わってでも、私の側にいてくれる? つまり、半永久的に機能し続ける構造ではなくなるのだけれど……」

「それは、どういうことでしょうか?」


「そうね。簡単に言えば、あなたはほぼ人間になる。生命を維持するために食品を摂取して、肺から取り込んだ酸素と体内の二酸化炭素を交換することになるわ。当然、細胞は次々と更新されるけれど、やがて老化し死ぬことになる。もちろん、私よりは長生きしてもらうけど」

「エマがそれを望むなら、答えはもちろんイエスです」


「本当にそれでいいの?」

「はい。私はそれを望みます。あなたと一緒に過ごすことで、私も少しは人間について学びました。人間とは時に非合理的な判断をするものでしょう? あなたと共に機能停止までの限られた時間を共有する。それはとてもエキサイティングなことだと思います」


「ありがとう」

 エマお嬢様の音声のトーンが少し変わる。

「トーマス。あなたはやっぱり私のヒーローだわ」

 疑似人格を構成するメモリが一時的に停止し、私は生まれ変わるためにしばしの機能停止状態に入った。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみと息をしたくなる 新巻へもん @shakesama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ