はるか彼方へ【実験作9】

カイ.智水

はるか彼方へ

 走り幅跳びは八メートル九十五センチが人類最長とされている。

 伝説のアスリートであったカール・ルイスの記録を、マイク・パウエルが超えて打ち立てた。

 しかしそれから九メートルに迫る選手は現れず、いまだに八メートル級のジャンパーがメダル争いを繰り広げる激戦区となっている。


 百メートル走と走り幅跳びでインターハイ優勝を目指す高杉遠記は、そんな八メートルに到達している高校生だ。

 インターハイ予選でも八メートルを超えて一躍全国区となった彼には彼なりの不満があった。


 そもそもインターハイで八メートルを跳べば、たいていの年なら優勝できる。

 しかし、同じ学年に同じく八メートルを跳ぶ選手がいた。その選手に大会で一度も勝てたことがないのだ。


「遠記、なぜ一度も記録を確認しないのよ」

 鶴丘高校指定のジャージを着て飛距離を計測していた陸上部のマネージャー・結城つむぎが不満げに尋ねる。


「今何メートル跳んだところで意味はないからな。それより確実にファールにならない助走を身につければ、あとはどれだけ遠くに跳べばいいのかわかりやすいだろう」


 世代最強と誰もが認める神城高の比嘉尚弥は、その跳躍距離が図抜けているため、遠記がいくら跳ぼうとその上をいかれてしまう。

 であれば、まずファールにならないギリギリの助走を極めるべきだろう。


 いくら比嘉が強くても、ファールの多い選手でもある。結果的に置きにいった跳躍をした挙げ句に遠記よりも跳んでいるのだから始末が悪い。

 だから、遠記は絶対にファールにならない安定性を武器にするべきだと考えていた。


「ファールにならない助走ってそんなに重要なの。比嘉くんみたいに全力で跳躍して正面からぶつかったほうがよくない」

 そうつむぎが言うのもわからなくはない。

 しかしこれまで正面から戦いを挑んで負け続けたのだから、アプローチを変えないかぎり勝機はないだろう。


「跳躍自体は比嘉には勝てない。でもあいつはファールが多い。結果的に置きにいって八メートルを超えてくる。理不尽この上ないだろう。それなら俺は完璧な踏み切りを安定させて、そこから一発の好ジャンプを決めなければ優勝できないからな」


 遠記が揺るぎない踏み切りを手に入れれば、そのあとは純粋に跳躍距離を伸ばすことに専念できる。踏み切りが安定せずに置きにいったら、比嘉には一生勝てない。

 なんとしてでも高校の間に優勝をもぎとりたかった。


「今の踏み切り成功率はどのくらいなの」

 つむぎがメジャーを持ちながら聞いた。


「オーバーすることはほとんどなくなったな。踏切線の手前に合わせるのがだいたい八割くらいだ」

「それってすでに安定した踏み切りを手に入れたのと同じじゃないの」


 確かに五回中四回は成功すれば安定していると言えなくもない。

 しかし、決勝までの六本を考えれば、一回の失敗か二回の失敗かでは大きな違いが生じる。


「できれば九割近くはいきたいところだな。予選の三回の試技と、決勝八人の三回の試技のすべてを完璧に決めたいところだから。ミスをしても一回だけに収めたい」

「で、これまではデタラメな比嘉くんが一本決めて優勝しちゃったわけね」


 そう。だからこそやつのデタラメを封じるために、すべての跳躍を安定してこなすのだ。そうして着実に距離を稼げたらプレッシャーをかけられる。やつの自滅も期待できるのだ。


「でも、それってかなり後ろ向きの取り組み方よね。相手の自滅待ちなんて。やはり高校生なら真正面からどんとぶつかっていかないと」


 つむぎが言うこともわからなくはない。


「そのために踏み切りを安定させたいんだ。踏み切りさえ安定すれば、跳躍に専念できるからな。すべての跳躍は踏み切りの成否で決まる。どんなに遠くへ跳べてもファールになったら意味がない」

「まあ顧問の桜田先生にもその戦略は認められているから、それでいいのかもしれないけど、私はなにか違うなって思うの」


 俺もこれが絶対だとは思っていない。感情面では真正面から戦いたい。しかしそれを目指して一度も勝てないのだ。だから感情を抑えて、クールな戦略思考で駆け引きする余裕が必要だろう。

 とりあえず、次の跳躍で今日の練習を切り上げよう。


「つむぎ、次であがるから計測を頼む」

「わかった。じゃあ全力で跳んでよね」

「そのつもり」


 そう言い残して遠記はスタート地点に戻ってきた。

 戦略として踏み切り重視は間違えていない。しかし一発の跳躍距離を稼ぐのも重要だ。

 二位につけての最終跳躍で比嘉を超えるのが理想だからだ。

 それでこそライバルを撃破したと言い切れる。


 スタート地点で手を挙げて、助走路を全力で駆け出した。

 踏み切り線ギリギリへ左足を合わせて一気に跳躍した。


 この感覚だ。

 この跳躍ができさえすれば、比嘉にだってきっと。





 ─了─




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