(5)
鬼雨が村に辿り着くと、娘たちを背後に侍らせ、宵が村の入り口に並び立った手下たち五人と対峙していた。
「ふざけるな!」
山賊の一人が怒鳴り声を上げて刀の切っ先を宵に向ける。
「科之さんが出て行ったなんてあるわけないだろ!」
「そうだそうだ! お前が俺たちの仲間だなんて信じられるか!」
「だったらこれをどう説明するんだい?」
余裕の動作で宵が両手を広げ、背後に控える娘たちのことを見せ付ける。
「ワタシはね、あの男に頼まれたんだよ。村を捨てる際にぞろぞろと女たちは連れて行けないから元いた村に返してやれと」
「そんな話は聞いてない!」
「だからワタシが伝令も兼ねて来たんだよ」
「嘘だ!」
「嘘じゃない。実際定時連絡も来ていないだろ?」
さらりと発せられた指摘に山賊たちはあからさまな動揺を見せた。
「言っておくけれど、援軍なんて来ないよ。村はもう焼かれて捨てられたから」
「嘘だ!」
「だから嘘じゃないんだけどねぇ~。そんなに疑うなら確かめに行ってもらっても構わないんだけどね。その代わりワタシの発言に嘘偽りがなかったとしたら、君たちは科之の命令を無視したことになるんだけれど、それでもいいのかい」
それまでの気軽な口調から一転。冷え冷えとした問い掛けに、山賊たちは露骨に蒼褪めた。
「科之からは聞いているよ。君たちも訳ありだと言うことは。いいかい? これが最後の忠告だよ。大人しくこの村から出て行くんだ。そうすればあとは自由の身。それぞれの帰るべき場所に帰るといい。これは科之が下した最後の命令なんだから。逆らうならそれなりの覚悟をすると良い。さあ。どうする?」
挑むように問われた山賊たちは、すぐには確かめられない問い掛けに戸惑い互いに顔を見合わせた。
宵が口にしていることは全てでたらめだと言うことは鬼雨にも解っていた。
(いや。科之を喰らったんだったら真実も含まれているのか)
人外の術を使う宵のこと、そのくらいはやっているだろうとは思うものの、鬼雨は宵の取る行動がまどろっこしくてならなかった。
(さっさと斬り殺してしまえばいいものを)
所詮五人。宵の実力があれば瞬殺も可能。宵がやらないのなら自分がと進み出ようとすると、スッと真横に手を伸ばされた。
動いてはいけないと言う指示だった。
「さあ。どうするか決めてくれ。ワタシの連れはワタシ程気が長くはないんだよ」
にっこりと笑みを浮かべて追い詰める宵に対し、山賊たちは決断を下した。
「行くぞ」
完全に迷いを断ち切れた訳ではないだろ。それでも、実際村から攫われた娘たちが連れて来られたと言うことは、嘘ではないのだろうと言う説得力を持っていた。
もしかしたら娘たちは偽物である可能性もあった。しかし、村の中で外の様子を窺っていた村人たちが、それぞれの娘の名前を見てざわめき始め、娘たちの中でも家族の姿を見付けて喜びを露わにする様を見せ付けられてしまえば、山賊たちに疑う余地は無かった。
無血開城。
戦場と比べては鼻で笑い飛ばされてしまうかもしれないが、正に今、鬼雨の前で血を流すことなく村が解放された。
それまで村を見張っていた山賊たちが消え去って、村人たちは恐る恐ると言った様子で村の外へとやって来る。
それに引き寄せられるように娘たちもふらふらと足を進め、やがて両者は駆け出して。
互いの存在を呼び合い、力強く抱きしめ合った。
親も子もなく泣き声を上げる。歓喜の泣き声を響かせる。
そこへ、息を切らせたハスズが追い付いた。
膝に手を付き、上がった息を整えようとしながら、ハスズの視線は忙しなく彷徨っていた。
やがて、息が整って来ると同時に身を起こす。
その顔に一抹の悲しみを残しつつどこか憑き物が落ちたような顔でハスズは毅然と立った。
その様を、鬼雨と村人たちはしっかりと見た。
「ハスズ……」
と、キズナの父親が痛ましげな声でハスズを呼ぶ。
それだけでハスズは察したように頷いた。
「大丈夫です。父が私を許せないと言うことは。今回この村に厄災を招いたのは私です」
「でもハスズは!」
「いいの、キズナ!」
父親の腕の中でキズナが泣き出しそうな顔で言い掛ける。
それをハスズは遮って微笑んだ。
「村の掟は知っています。村に災いをもたらした者は誰であれ村を追放する。それが村の掟。それを村長である父が破るわけには行きません」
「でもハスズは……」
悔しげに言葉を詰まらせるキズナを見て、ハスズの眼にも涙が溜まった。
(キズナが私のことを案じてくれている)
それが確かめられただけでも十分だった。
「皆さん!」
ハスズは震える声で呼びかけた。
「この度は本当に申し訳ありませんでした! 謝っても謝り切れるものではありません。どうか父のことをよろしくお願いいたします!」
零れ落ちる涙を見せまいとするかのように深々とハスズが頭を下げる。
その頭に『分かった』と力強い声が向けられる。それがキズナの父親の物だと、ハスズの父親の親友が約束してくれたのだと知れたなら、それだけでハスズは満足だった。
◆◇◆◇◆
「行かないのか」
どれだけ頭を下げ続けていただろうか。
ハスズは鬼雨に促されて頭を上げた。
そこには既に誰も残ってはいなかった。
覚悟していたこととは言え、決められていたこととは言え、流石にズキリと胸が痛んだ。
出来ることならその場に座り込み、誰に憚ることなく泣きじゃくりたかった。
「行けないんです」
泣くつもりはなかった。堪えるつもりだった。
それなのに、口を開いた瞬間、頬を滑り落ちるものがあった。
「そうか」と鬼雨は相槌を打つ。
「そうです」と村を見ながら何でもない風を装うとして失敗する。
「初めから解っていたのか」
「はい」
まさか続けて話し掛けられるとは思っていなかったハスズは少し驚きながら答えた。
「自分が戻れないと知っていて、何故望んだ」
そんなことを気にするような人だったのかと新鮮な心持ちにもなる。
それが何だかおかしかった。
「何がおかしい」
「いえ。確かにそうだなって思ったんです。そうですよね。変ですよね。願いが叶っても私は帰れないのに。でも、帰してあげたかったんです。皆を」
「自分だけは救われないのにか」
「自分の蒔いた種なので」
「それでお前はどうするんだ」
「え?」
思い掛けない問い掛けだった。
思わず隣に立つ鬼雨の顔を見れば、恐ろしく真剣な鳶色の瞳がハスズを見ていた。
途端に心の臓が早鐘を打ち始めた。
知らず知らず胸元を手で押さえる。
「私、は……」
言っても良いものかどうか激しく迷う。
言ってしまいたい。だが、口にしてもいいものかと迷わずにはいられない。
鬼雨は先を促さない。
ただ真っ直ぐにハスズを見下ろすだけ。
「私……は」
一緒に行きたい!
心の中で大きく叫ぶ。
だがそれは、ハスズの口を突いて出ることは無かった。
言えなかった。
それはただの甘えだから。自分にとって都合のいい場所を見付けただけだから。
これ以上利用してはいけないと戒める。
鬼雨たちは《渡り鳥》。空を飛べない自分は足手まといにしかならない。
何のとりえもない自分が恩着せがましく己惚れて、邪魔をするわけには行かなかった。
これは初めから分かっていたこと。願ったときから決められていたこと。
自分は一人で生きて行かなければならない。頼るものもなく、住まう場所もなく、たった独りで見つけなければならない。
不安がないわけがなかった。恐くないわけがなかった。心細かった。誰かに縋りたかった。それでも、頼ってはいけないと思っていた。
「私、は、大丈夫です」
微笑みと共に嘘を吐く。
「隣の村に母の妹が暮らしていますから、そちらを頼って行こうと思っています。今からでも日が沈む前には着きますからご心配なく」
ホントは嫌だと叫ぶ代わりに、信じてもらえるように笑みを深める。それなのに、
「嘘だ」
「!」
鬼雨は絶対に見逃したりはしなかった。せっかく堪えていたものが堰を切る。
ボロボロと涙が溢れる。
思えばずっとずっと泣いてばかりだと思う。それでも止まらないのだから呆れもする。
「どう、して、知らない振りをしてくれないんですか」
見抜いてくれたことは嬉しいが、恨めしかった。
「お前が嘘を吐くからだ」
「吐かないといけない時もあるんです!」
「それでも俺は訊いている。お前の本心は何だ。宵はちゃんと聞けと言っていた。言わないと俺は分からない。嘘だけが解っても、望んでいることは分からない。お前は・これから・どうしたいんだ?」
「私は!」
叫んで躊躇う。次の言葉を。
刹那、ハスズの脳裏に潤った大地に芽吹いた希望が見えた。
咲かすも枯らすもハスズしだい。
「私は――――たい」
「聞こえない」
「私は! 付いて行きたい!」
「誰に」
「あなたたちに!」
もう、ヤケだった。
涙を拭い去り、睨み付けるようにして鬼雨を見上げる。
「どこまでもずっととは言いません! それでも、出来ることなら私が生きていける場所を見付けるまでついて行かせてもらいたいんです!」
まさか睨み付けられるとは思っていなかったのだろうか。
ハスズの答えを聞いた鬼雨は、ハスズの見たことのない表情を浮かべた。
目を丸く見開いたのだ。
お陰でハスズも驚きに目を丸くした。直後、
「良く言わせた、鬼雨!」
「ひぅ」
突如物静かにしていた宵が、二人をまとめて抱き締めて来たから堪らない。
完全に不意打ちだった二人は成す術なく抱すくめられる。
お陰でハスズの口からは変な悲鳴が漏れ、『放せ! 宵!』と抗議の声が鬼雨から放たれる。
しかし相手は宵だった。上背があり、見た目以上に力強い宵は、二人の抗議をあっさりと無視すると、あろうことか頬ずりまでして喜びを爆発させた。
「ハスズちゃんも、よくぞここまで鬼雨に言わせたよ。やっぱり君は特別だった!」
「と、特別?」
思わず鼓動が跳ね上がり頬が朱に染まる一方で、
「何を馬鹿なことを言ってやがる! これはあんたがそうしろって言ったんだろ!」
「それでもだよ。そうしようって気にさせてくれたからいいんだよ」
「ふざけるな! 放せ!」
「ああ。いいよ。このままじゃ流石に歩き辛いからね」
「は?」
アッサリと解放された鬼雨が間の抜けた声を上げる。
「何を間の抜けた声を上げているんだい、鬼雨? しかし旅が楽しくなったね。これからはハスズちゃんも一緒だ」
「え? でも」
まるで、もうハスズを逃がすまいと言わんばかりにしっかりと背後から両肩を掴まれれば、ハスズも流石に戸惑った。
「いいんですか?」
「何が?」
「私が一緒に行っても」
「当然だろ。旅は道連れ世は情けって言うじゃないか」
「でも」
「でもはいらないよ。どうせ宛のない旅なんだから」
「でも……」と、ハスズは今更のように不安げな顔を鬼雨に向けた。
鬼雨は――
「お前の願いは何だ」
ハスズに背を向けるように山道へ振り返って問い掛けた。
それはハスズの心に暖かな温もりを与えた。
大地を焼き尽くす厳しいものではなく、小さく芽吹いた植物を優しく見守る日差しのように。
ハスズは宵を振り仰いだ。
自分の解釈が間違っていないかを確かめるかのように。
対して宵は満面の笑みを浮かべて頷いた。
故にハスズは答えた。
「一緒に付いて行かせて下さい!」
「勝手にしろ」
ぶっきら棒な答えを返し、《渡り鳥》は歩き出す。
その後に、ハイと頷いたハスズが続き、宵が満足げに歩き出す。
空は秋晴れ。薄雲が靡き、山々は色付いて。
不器用な《渡り鳥》は少しだけ人のことを考えて、臆病な娘は強さを得た。
それを見送るように風が紅葉を散らして花道ならぬ『紅葉道』を作り出す。
どちらもまだまだ目が離せないが――
「これから先が楽しみだ」
誰よりも満足げに頷いて、親鳥代わりの宵はほくそ笑む。
これでまた少し、ワタシの願いが叶ったと。
『終わり』
《渡り鳥》の叶える願い 橘紫綺 @tatibana
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