愛と再生

それからの道行きは、不思議なことが続いた。


あれ程に陰鬱としていた森の中は、どこか雰囲気を緩ませた。

長い時間歩き、疲れて腰を下ろせば、そこから見える所にポツリと実がなっている。

まるで食べろと言われているようで、空腹の二人はそれを採るのだが、「感謝します」と言えば、鬱蒼うっそうとした葉の間から木漏れ日が差し、「ご馳走様。ありがとう」と言えば、鳥の歌声が聴こえた。


楽し気な鳥の歌声に、二人が顔を見合わせて微笑み合えば、葉擦れまでもがシャラリと音楽のように音を響かせる。

気がつけば、頭上の枝には小動物が駆け回り、足元には幾つかの色を滲ませた小花が咲いていた。



どれ程の時間を森の中で過ごしたのか。

閉ざされた森の中は、時間の感覚を狂わせる。

一晩なのか、それとも数日歩いているのかも分からなくなりながら、ただ二人は森の美しい変化に驚きながら泉を目指した。




「幼い頃、父に連れられて森に入った時は、森中がこんな風だったわ」


葉の間から降り注ぐ陽光が優しくて、胸まで温められたような気がした。

スフィリナを抱き上げた父も、あの時同じ様に優しく笑っていた。


「この森は、こちらの思いを同じ様に返してくれるのね」

「私もそう感じました。敵意には敵意を。慈しみには慈しみを。喜びには喜びを…」

「ええ、きっと私達人間は、恵みを与えられることを当たり前にして、森への感謝を忘れてしまっていたのね」


与えられる感謝を忘れ、奪い取る事を当然とした。

人間が感謝の心を忘れてしまったから、同じ様に森はのだ。



そよ、と花の香りを乗せた風がスフィリナの金髪を揺らした時、ふと二人の視線が絡まった。


何の言葉もなく、二人の顔が近付く。

少しの躊躇ためらいも湧かなかった。

それが当然であったかのように、二人の唇はそっと触れ合った。


刹那、森は明るさを増した。

光を散らすように、二人の周辺はキラキラと輝く。


「……申し訳ありません」


ルハルドが視線を落とした。


「何故? 私の気持ちを、知っていたでしょう?」

「しかし、私はただの騎士で……」

「ここでは、私達はただの人間だわ」


スフィリナがルハルドの手に触れれば、彼はそっと握り返した。

微笑むスフィリナを、ルハルドは優しく抱き締める。



更に輝きを増した周囲の空気が波打ち、突如視界が開けた。


目の前には、小さな泉があった。

岩肌の高い位置から、細く滝が流れ落ち、泉に落ちた所で光を散らしている。

泉の周りには濃い緑が溢れ、甘く柔らかな香りを風に乗せる花々が咲く。


二人は、泉に辿り着いたのだ。




『森の真実に気付いたとして、それで何とするのだ、人間よ』


静かな声が響き、泉の上に光の筋が走る。

光の筋はぼんやりと光を放ち、おぼろな長い龍の身体を現した。


『黒く染まったものを、再び白く戻すことなど出来ぬ』


龍の頭の部分に、二つの光が灯る。

それは龍の目のようで、泉の縁に立ち尽くす二人を見据えた。



スフィリナは光の龍を見つめる。


確かに、森の真実を知った今、にえとして我が身を捧げても、解決とはならないだろうことは分かる。

ただ、龍の言葉を全て肯定することは出来なかった。


「森の王よ、ホルデッツ王国の代表として、まずは人間の愚かさを謝罪します」


スフィリナは深く頭を垂れた。

同時に隣でルハルドが膝をつき、礼をする。


「ですが、黒く染まったものも、時間をかければ白に近付けることは出来ます」

『人間にそのようなことが出来るものか?』

「確かに人間は、愚かにも間違いを犯す生き物です。しかし、間違えればそれを省みて、何度でもやり直す努力をすることが出来る…、それもまた人間なのです」


龍はいぶかしむように目を細めた。


『努力するから恵みを寄越せと言いたいのか?』

「いいえ。ただ、やり直す機会を頂きたいと思います。人間がやり直すさまを、どうか見て頂きたいのです」

『……ほう。それは面白い。どれだけやり直せるものか、見てみたいものだ。だが、人間は私の器である身体白蛇を斬った。おかげでこの有り様よ。器なくば、この光の身体はいずれ大気に溶け、この森はただの森として枯れゆくだろう』


ルハルドは眉根を寄せた。


「代わりになる器は無いのですか?」

『私の在り方を心より信じ、受け入れるものであれば耐えるだろう。……例えばお主達のように』


龍の言葉に、深く頷き、ルハルドは立ち上がった。


「ならば私がその器になります」

「ルハルド! 駄目よ! 必要なら私が…」

「いいえ。今ここで宣言されたことを実行出来るのは、姫様以外にはおりません。姫様は国に戻らなければ」


でも、と言葉を続けようとするスフィリナを、ルハルドは強く抱く。


「姫様をお慕いしております。私は貴女の護衛騎士です。貴女の人生を、ここからずっとお見守りします」


それでも駄目だと、嫌だと言いたかった。

側から離れないで欲しいと懇願したい。

しかし、それらの言葉は、スフィリナの口から漏れることはなかった。

二人はただ言葉なく、強く強く互いを抱きしめたのだった。





スフィリナは光る白い龍に乗って城に戻って来た。


森に入って数日程度だと思っていたのに、二人が森に入ってから、既に一年が経っていた。

しかしその間に、王は恐ろしく老け、国は驚くほどに衰退していた。

スフィリナは王に譲位を促し、龍に許しを得た姫としての名声を敢えて否定せずに、速やかに女王の座に就いたのだった。



スフィリナ女王の治世は、国の再生に尽力するものだった。

荒れた土地を潤し、木々を失った山には植樹し、汚れた河川を清掃して整える。

恵みを摘み取るだけの生活から、民が自らの手で生産するすべを探った。


相変わらず森は閉じたままだったが、踏み入れる所があれば、下生えを刈り、枝葉を剪定し、若木の成長を促した。

そして、僅かな恵みを受け取ることが出来れば、それに感謝することを忘れずに伝え広める。


そうして長い長い年月を費やし、人々の暮らしと心は再生されていったのだった―――。






森の奥の泉に、一人の老女が辿り着いた。


その弱った足腰では到底辿り着けない程の奥地だったはずだが、一歩森に入れば、不思議と導かれるように足は動き、一刻もせずに辿り着いてしまった。


老女は歳なりに濁った瞳を細め、その清き泉を見つめる。


「……もう、貴方を求めても良いでしょう?」


老女の声に応えるように、その水面に神々しく巨大な白龍が姿を現した。

白龍が首を伸ばし、老女に顔を近付けると、彼女もまたその腕を伸ばした。


泉が光を散らして輝いた。


輝く泉の縁で、スフィリナとルハルドは、別れたあの日の姿で、強く強く互いを抱きしめた。




《 終 》

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再生の森 〜龍の泉が輝く時〜 幸まる @karamitu

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