姫と騎士

共に森の奥へと踏み出した二人の前に、突如二つの人影が現れた。

手前の一つは、黒衣の騎士だ。

ルハルドが即座に剣の柄を握ると、同時に黒衣の騎士も腰の剣に手をやった。


「待って、駄目よ!」


スフィリナはルハルドを止める。

決して争う為に森に入ったわけではないのだ。


止められて抜剣を耐えたルハルドは、黒衣の騎士も又、剣を抜くのを躊躇ためらっていることに気付いた。

警戒しつつも手を離せば、黒衣の騎士も同様に手を離し、両者はそのまま見合っていたが、しばらくすると二つの人影はスウと消えたのだった。


「……敵意はないと理解してくれたのでしょうか」

「分からないわ。でも、森に入ったからといって問答無用で斬り付けられるわけではないようね……」


二人は安堵して、奥へと進んで行った。




不思議なことに、それから人影は現れなかった。

報告されていた通り森の中は冷気が覆い、その雰囲気は暗く、生き物の気配はなかったが、突然何かに命を脅かされるようなこともない。

外界とは切り離されたような静かな森を、二人はただ、互いの気配だけを感じて歩み続けていた。


どれ程の時間が経ったのか、それすらも分からず二人は歩き続けていたが、スフィリナの疲労を察して、ルハルドが言った。


「少し休みましょう」

「……そうね」


ルハルドの想像以上に、スフィリナは疲れていたのだろう。

言われるがまま、彼女は大きな木の根元に腰を下ろした。

一度動きを止めると、冷気がより寒々しさを増して、ぶるりと身体を震わせる。


「姫様、これを」


察したルハルドが、己の長いマントを外して彼女に近付く。


「貴方は寒くないの?」

「はい。私は姫様よりもずっと頑丈ですから」

「ふふ、ありがとう」


感謝の言葉を口にして笑うと、周りを覆っていた冷気が、僅かに緩んだ気がした。


ルハルドが彼女の肩にマントを掛けると、自然と、二人の顔が近付く。

ふと、スフィリナの新緑の瞳が揺れた。


「……申し訳ありません」


一瞬喉を鳴らしたルハルドが、サッと目線を逸らして立ち上がった。


「何か、食べられるものを探して来ます」

「いいえ、駄目よ。森の恵みは、龍に許しを得てからでなければ、僅かにも手を付けてはならないわ」

「しかし……」


ルハルドは、城から一人抜け出したスフィリナに気付いて、急いで追ってきた。

水も食料も、何の準備もして来てはいないのだ。


「私が持って来ているわ。一緒に食べましょう。さあ、座って?」


スフィリナは持っていた小さな荷袋から、水筒と携帯食料を出した。

促され、ルハルドは躊躇ためらいつつも、少し間を空けて隣に座った。


少しのビスケットを口にして、スフィリナは水筒を差し出す。

同じ水筒に口を付けるのだと気付き、恐れ多いと慌てて辞退するルハルドを見て、彼女は可笑しそうに笑った。


「咎める者は誰もいないわ」

「そ、それはそうですが……」

「水分も摂らないと駄目でしょう?」


勧めるスフィリナは、グイと水筒を近付ける。

ルハルドは恐る恐るというように手を出したが、ふと、スフィリナの顔を見た。

彼女の顔は笑っているが、その目はどこか真剣だった。


視線が絡み合い、再びスフィリナの新緑の瞳が揺れた。

ルハルドは水筒ではなく、思わず彼女の頬に手を伸ばす。

しかし、その指は頬に届く前に戻され、彼は顔を背けた。


「……申し訳ありません」

「ルハルド」

「少し、辺りを見回って来ます。休んで下さい」

「ルハルド!」


呼び止めても、彼は振り返らずに木々の間に消えた。



スフィリナは切なく俯いて、肩に掛かった彼のマントを掻き合せた。


ルハルドは、スフィリナの護衛騎士だ。

だが、ただの護衛騎士ではない。

何年も前から、毎日、側近くに彼の気配と視線を感じて過ごす内、スフィリナにとって彼の存在は特別なものになっていった。


端的に言えば、彼のことを好いているのだ。


ルハルドもまた、おそらくはスフィリナのことを想っている。

しかし、二人の間には身分や立場というものが立ちはだかり、決して己の想いを口にすることは出来なかった。


……しかし、今は違う。

城から出て、ただ二人きり。

しかも、スフィリナは贄として命を差し出すつもりなのだ。

全てを投げ売って想いを口にしたとして、何の害があるだろう。



ルハルドは、そう思い切って、私に触れてはくれないだろうか…。


そんなことを考えて横を向けば、先程ルハルドが腰を下ろしていた所に、萎れた一本の花を見つけた。

一見花と分からないような、小さな蕾の付いた草。

気付かず座ってしまったので、萎れたのだろう。


その項垂れ方が、ルハルドに置いて行かれた自分と重なり、堪らなく寂しく思えた。

持っていた水筒を傾けて、花の根元に向けて、僅かに水を垂らす。


「……がんばって」


思わず、そう言葉が漏れた。



その途端、木の上から何かがひとつ落ちてきた。

驚いて目を見張るスフィリナの前に、それは転がって止まった。


この国の誰もが、今までに何度も口にしたことのあるもの。

甘く香る、木の実だった。


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