#1:初めてのマンハッタン、取り憑かれた俺

 まず、「アメリカ合衆国」における「ニューヨーク州ニューヨーク市」について説明したい。

 ずばり書く。

 誰もが「ニューヨーク」と聞いて連想する高層ビルや観光名所、ウォール街やセントラルパーク等は、ニューヨーク市の小さな島、

 そもそもNew York City(ニューヨーク市、以下「NYC」)は五つの区からなっており、それぞれマンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、そしてスタテン・アイランドである。

 ぶっちゃけマンハッタン以外は下町だったり治安が悪かったり存在認知すらされていない。大体「スタテン・アイランド」なんて俺も知らなかったよ、調べる前は。

 ついでに言うと、「自由の女神」すら、厳密に言えばマンハッタンの南端、バッテリーパークからかなり離れているはずだ。

 かなり乱暴なたとえだが、東京都の二十三区外がめっちゃ田舎だったりするように、NYCもまた、マンハッタン以外は田舎はおろか僻地だったりする。

 


 俺は最初からNYCにいたわけではない。

 マンハッタンの西側を流れるハドソン川の先、ニュージャージー州に一ヶ月半ほどホームステイし、英語学校に通っていた。

 いくらルディ・ジュリアーニ元市長がホームレスを一掃し治安が良くなった、とは聞いていても、相手はマンハッタンである。英語学校の仲間たちと週末遊びに行くことになった時は、流石に治安面での不安はあった。俺は財布を二つに分け、さらに衣服の様々な所に札を挟んで非常時に備えて、ニュージャージーからバスでマンハッタンへと向かった。

 ポートオーソリティという大きなバスターミナルで降りた俺と学友たちはまず近場のタイムズ・スクエア、42thストリート(何故か日本語では「42丁目」と表記される)にある世界一有名な電飾を見物に行った。

 確かに、映画やドラマで散々目にした、NYCの象徴の一つだった。本物だった。

——だがこの違和感はなんだ?

 この疑問は、学友に連れられて、マンハッタンのミッドタウンからダウンタウン、確か8thストリート辺りだと記憶しているが、サブウェイの階段を上がって地上に出た瞬間に霧散した。


——ここだ、俺が来たかったのはここだ。


 ハッキリと確信した。

 周囲を行き来する人間の格好、若者の多さ、いかにも『観光地』という顔のタイムズ・スクエアとは別世界のようなカルチャー、空気感の違う場所で、たまたま真横を通った車からはRadioheadの「Paranoid Android」が大音量で垂れ流されていた。

 そして、こうも思った。


——俺はこの街で生きて死ぬために生まれてきたんだ。


 こんな誇大妄想を抱かせるような衝撃が、ダウンタウン、主にユニオン・スクエア周辺とアスター・プレイス周辺には多くあった。


 しかし、いくら孤島とはいえマンハッタンである。

 ニュージャージーの英語学校を卒業した俺は、マンハッタンで物件を探したもののどの地域も高額すぎたので、東側のイースト・リバーを隔ててすぐのクイーンズという区にアパートを決めた。マンハッタンのアップタウンまでサブウェイで十五分、ダウンタウンまでは二十分前後で行ける利便性の高い下町だった。また、日本人とギリシャ人が多い地域ということで、「ファミマ」があった。「ファミリーマート」でははなく「ファミリーマーケット」だったが。


 次回はクイーンズでの生活について書いてみたいと思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さらば日本、俺はニューヨークで生きて死ぬ。 秋坂ゆえ @killjoywriter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ