さらば日本、俺はニューヨークで生きて死ぬ。
秋坂ゆえ
序章:そうだ、ニューヨークに行こう
——Hey, おまえの靴マジかっけーな! どこで買った?
——ああ、これは東京の原宿ってとこだよ。俺、日本から来たから
——そっか、俺も欲しいくらいクールだから残念だな
——セント・マークス・ストリートなら他にもパンクなもの手に入るんじゃん?
——確かに。じゃ、see you around!
マンハッタンのダウンタウンを歩いていると、当時から既に立派なパンクスだった俺は、何人もの仲間に声を掛けられた。最初はビビった。すれ違った人がダッシュで戻ってきて、「そのTシャツ、クールだね!」といった台詞を吐いて、そのまま去って行くからだ。日本ではあんまない現象だよな。悪い気はしないけど。また、バンドTを着ていると、「俺もそいつら好きだぜ!」と肩を叩かれたりもした。
俺はこの国の社会に溶け込めないと、十六歳の時に悟ってしまった。
十四で
だから、俺は自分らしく生きられる土地へ「移住」しようと、ずっと憧れていたニューヨーク(以下「NYC」)行きを決意した。
『二度と日本になんぞに戻るもんかバカヤロウ!』
それくらい、俺は燃えていた。通信制高校を調べ、英語学校も自分で探して決めた。外堀を固めてから、両親に土下座してNYCに行かせてくれと頼み込んだ。十六歳の夏、高校二年の一学期の終わりだった。
何を隠そう俺には持病がある。十代で発病し三十路ギリの現在までもなお闘病している。
それでも親父が、高卒資格をとることを条件に許可を出してくれた時、
『おまえが生きやすい場所に行けばいい』
と言ってくれたのは、何となく覚えている。
全日制高校から通信に転校した俺は、スクーリングのない時期、授業がない日も英語学校に入り浸っていた。
UK/USロックのオタクであることと、音楽をやっていて耳がよかったのが吉と出た。
最初にレベルチェックを担当してくれたのは、金髪碧眼で誰がどう見ても「外人さん」な白人男性だったが、俺はあの時の興奮をいまだに忘れられない。知りうる限りの単語を使って発言すると、相手が理解してくれる、そして相手がゆっくり話してくれれば、意味を理解することができた。
その時の、いわば「ブレイクスルー」のような感覚は、今でも大切にしている。
俺がNYCに行きたかった理由の筆頭はアンディ・ウォーホルと『ファクトリー』だが、言うまでもなく、NY出身のアーティストが好きだったという理由もある。
その筆頭株として、ルー・リードという、今は亡きシンガーソングライターがいる。ウォーホルと強い繋がりの強い人物だった。
彼の最も有名な曲に、
"Take a Walk on the Wild Side"
というものがある。
そう、俺はワイルドサイドを歩きに行ったのだ。
想像を遙かに超えるほどワイルドで、ファンタスティックな街に。
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