第三章 亡国の腕【5】

 それからしばらくのんびりとガセボ付近を見つめていたリタは、ふと思いつきを口にする。


「あのお姫様と騎士様、この辺りでお茶会でもしてないかしら」


 気になっていても立っても居られなくなったリタは、居心地のいい空間に眠気を誘われまぶたが落ち始めたエルシエルの頬をつつく。


「ねえ、エル。力を使ってほしいわ」


 エルシエルは、ただうつらうつらとしているだけなのか首肯なのかわからない曖昧な動作を返すと、眠たげな瞳を瞬き、虹彩に文様を浮かべる。


「ありがとう、エル。大好きよ」


 笑顔を咲かせたリタは、エルシエルの手をにぎにぎと自らの手に収める。

それを皮切りに徐々に塗り替わって行く光景。

空だったガセボの中では使用人が忙しなく動き回り、その周りに広がる芝生では水色の髪の女性が蝶を追いかけている。そして、そんな彼女を少し離れた所で、金髪の男性が見守っていた。


 それは先程のお姫様と騎士のエリークだった。

 蝶を追いかけていたお姫様は足をもつれさせて、あわれ芝生に転んでしまう。


「シャル!」


 慌てて駆け出す騎士エリーク、どうやらお姫様の名前はシャルというようだ。

 しかしシャルは軽く転んだだけであり、エリークが慌てて名を呼んだ頃には半ば立ち直っていた。


 ……のだが、エリークを一瞥いちべつしたシャルは何を思ったのか、身体から力を抜き、尻餅をついたような体制で地面に座り込む。

 そして、シャルは足をさする動作をしながら、エリークに困った風に喋りかける。


「転んで足を挫いてしまったの。エリーク、手を貸してくれる?」

「シャル……今一人で立ち上がっていたように見えたけど?」


 目の前で繰り広げられた茶番に困惑の表情を浮かべるエリークに、シャルは少し唇を尖らせて、悪戯っぽく尋ねる。


「儀式の時、最後になんて誓ったかしら?」


 エリークは彼女の真意を悟ったのか、渋々と、けれど儀式の時と変わらぬ凛とした声色で、かつての言葉をそらんじた。


「……私は何を犠牲にしようとも貴女を全ての厄災から救ってみせます」


 言質を取ったシャルは、愉快そうに笑い、エリークに向かって手を差し出した。


「ねえ、救ってよ。貴方のお姫様が困ってるわ」

「まったく、君の我儘には敵わないな……」


 エリークはやれやれと言った様子で、しかし満更でもなさそうにシャルの手を取った。


「転んでしまわれたのですね。大丈夫ですか、麗しき姫君」


 芝居がかった台詞と共にシャルの腰に手を添え、舞踏のような動作であっという間に彼女を立ち上がらせた。


「ええ、おかげさまで」


 満足そうな微笑み浮かべてエリークと視線を絡ませるシャルは礼を口にすると、その勢いのまま、背伸びしてエリークの唇へと自らの唇を近づける。

 しかしその瑞々しい唇は愛する者の唇に触れる直前で、愛する者が差し込んだ手によって阻まれてしまう。

 エリークの指に口紅をつける形になってしまったシャルは、ぷくーと頬を膨らませる。


「もう、何でただの一度もキスさせてくれないの! 私達は恋人同士なのよ!」


 二人は婚約関係にあるのにも関わらず、口づけを交わしたことがないらしい。

 愛なき政略結婚をしたのであれば別段おかしくはないだろうが、仲睦まじく見える二人がただの一度も口づけをしたことが無いのは不自然にも思える。

 エリークは刹那せつな寂しげに眉を落としたかと思えば、転瞬、取り繕うように微笑みを浮かべた。


「ごめんね、口づけは婚姻のパレードまでは取っておいて欲しいんだ」


 その代わりとばかりにシャルの頭を撫で、むくれる彼女に向かって言葉を続ける。


「“もしも”があった時、君に傷ついて欲しくないからさ」


 縋るようにエリークの胸に頭を預けていたシャルは、何かを強請ねだるような上目遣いでエリークの顔を見上げる。


「……つまり何がいいたいのよ」

「ぼくは男だからね、立場が危ういんだ。婚姻が結ばれ王族になるまでは誰かに暗殺されてもおかしく――――」


 エリークは内容をぼかす為の婉曲表現が伝わらなかったと思ったのだろう、言葉の奥に隠した意味を語り始める。


「もう、私が聞きたいのはそんな事じゃないわ!」


 だがシャルは怒ったようにそれを遮った。

 彼女はそんなわかり切った事を聞きたい訳では無い、それは彼女の物欲しそうな表情を見れば明らかだった。


 エリークはやっと察したようで、気まずそうに軽く笑ってからシャルを胸に抱きしめ真摯な言葉を伝える。


「……愛している、シャル」

「もう、ばか……」


 胸に抱かれたシャルは、鈍感なエリークに小さく悪態をついた。


「女の子は、キスして欲しい時にキスして貰えないと不安になるんだから……」


 シャルは不満げに言葉を続けながらも、頬を緩ませエリークに寄りかかる。


「だから、キス出来ないって言うのなら……せめてちゃんと愛してるって言ってよね……!」


 不満げにしているのは照れ隠しなのだろう、頬は赤く、言葉尻は消え入りそうな程に小さい声だった。

 鈍感なエリークでも今回ばかりは取り違えなかった、腕の中のシャルに愛おしそうに微笑み、より強く抱きしめた。


「ふふっ、ごめんね。愛してるよ、シャル。何があっても君を守るから」


 シャルは腕の中で身じろぎすると、ちいさく、ばか、ともう一度呟いた。

 それから暫くの間、静かな風の音に包まれて二人は抱き合っていた。

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廃墟渡りのエルシエル @hosizoranotabibito

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