第三章 亡国の腕【4】

 再び静寂を取り戻した広場でリタは静かに息を吐いた。余韻に浸るように、無常を悲しむように。

 それから微笑みを浮かべ、隣で明後日を見つめるエルシエルに話しかける。


「ふふ、最後は不穏だったけれど、思いがけず素敵な物を視てしまったわね。城を視るつもりだったのに、すっかりあの二人に見惚れてしまったわ。凛々しい騎士様に美しいお姫様、まさにお似合いの二人としか言いようがないわね。嗚呼、とても満足だわ、エルはどうかしら?」


 エルシエルはリタに振り返ることなく、庭園の奥を指さし、呟いた。


「もも」

「……桃?」


 要領を得ない回答にリタが首を傾げると、エルシエルは手を繋いだまま歩き出す。


「ちょ、ちょっとエル!?」


 思わずたたらを踏んでしまったリタの手を、エルシエルは半ば強引に引いて庭園の奥へと進んで行く。


「あっちにももの木があった」


 転びそうになりながらも何とかエルシエルに歩調を合わせたリタは、エルシエルの振る舞いに肩を竦める。


「ならそう言ってくれれば良かったのに、何も言わずに引っ張るだなんて酷いわ」


 エルシエルはただ黙々と先を急ぐ、桃に夢中になってしまってリタの言葉は耳に届いていないのであろう。


「私よりも桃の方が大事なのね……」


 などとリタが拗ねていると、エルシエルは唐突に足を止めた。


「わっ」


 リタは急な停止に対応できず勢い余ってエルシエルの後頭部に鼻頭をぶつけてしまい、抗議の声をあげる。


「もう……急に止まらないで」

「あれ、ももの木」


 目の前を指さしたエルシエル。その示した先にはすらりとした桃の樹木が植えられていた。

 その周辺は歓談用の屋根付きの建物ガセボや小さな池が備えられたちょっとした広場になっており、それらを囲むように桃を始めとした美しい花を咲かせる樹木が幾つも植えられている。


 優雅に佇むガセボに、花弁踊る水鏡、そして虹を咲かせる木々達、ちょっとしたお茶会をするには理想的な場所だろう。

 そんな木々達の一本、エルシエルが指した桃の樹木は、エルシエル二人分はあるであろうその身に戦争の一端を刻んでいた。


 矢が突き刺さり、魔法に抉られ、剣戟けんげきの跡が幾つも見られる。

 だが樹木はそれを意に介した様子もなく、悠々と風に揺れる枝に瑞々しい桃の果実が実らせていた。

 それを認めたリタは、苦笑交じりに指摘する。


「ええ……確かに桃ね……でも、ここの桃は多分美味しくないと思うわよ?」


 リタの言わんとしていることがエルシエルにはよくわからなかったようで、不思議そうに首を傾げる。


「ん……ちょっと待って頂戴……」


 んしょんしょ、と小さく声を漏らして手近な岩に昇ったリタは、たわわに実った果実の重みでたわんだ枝から桃の一つをもぎ取り、地に足をつく。


「ここは籠城戦を意識して作られた城だわ、そしてそういう場所の庭園は戦時下の自然の食糧庫の側面もあるの。だから平時に食べられてしまう事がないように、食用でこそあれどあまり美味しくない品種にしてあることが殆どなのよ」


 エルシエルは聞いているのか聞いていないのか、リタの小さな手に握られた桃を凝視するばかり。


「でも、美味しそう」


 確かに見てくれは普通の桃と遜色なく、食べごろの薄紅色を惜しげも無く晒している。


「止めはしないけど……じゃあ、お食べなさい」


 リタが半ば諦めたように桃を差し出すと、エルシエルは洗う事すら忘れて夢中で齧りつく。

 桃に二口分の小さな陥没を作ったのち、エルシエルは動きを止め渋面を浮かべた。

 最初から味を正しく認識して居ればまだしも、甘美な味を想像していた分、より悲惨な味わいだったに違いない。


「ほら、言ったでしょう? ぺっ、しなさいぺっ」


 呆れ果てた様子のリタに言われ、エルシエルは吐き出――――そうとしてから、暫く逡巡し、最後には結局飲み込んだ。悔しかったのだろう。


「え、もしかして食べるつもりかしら、まだ?」


あれだけ微妙な表情をしておいて飲み込んで見せたエルシエルだが、流石にそれ以上は辛かったのか桃を投げ捨て、ねた様子でブランケットを抱きしめて座り込んでしまう。


「ああもう、何も引かずにそんな所に座ったら汚れてしまうわ」


 困り顔を浮かべて、地面についてしまったエルシエルの髪の毛の世話を焼くリタ。

だが腰のあたりまで伸びるエルシエルの髪を地面につかないように纏めるのは至難の技だったらしく悪戦苦闘している。


 やがて面倒くさくなったのか髪を纏める事を諦めたリタは、エルシエルの横に座り込むと、拗ねるエルシエルの頭をなでなでし始める。

 そんな折、風が吹き込む。木々の香りを存分に含んだ朗らかな風だ。


 エルシエルが座った場所はとてもいい位置だった、木々の隙間から冷涼な風が吹き込み、上空からは初夏の暖かな日差しが差し込む。

 足元に広がる柔らかな芝に大の字になって午睡に耽ればきっと幸せな時間が過ごせるに違いない。


「いい天気ね」


 目を細める事も無く、太陽を見上げ、リタは呟いた。


「……人形の肌には天敵だけれど」

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