堀の小万
海石榴
1話完結 名妓「堀の小万」
江戸も後期にさしかかった文化年間のことである。
船宿武蔵屋の女将、お
「いいかい、お松。おまえのお父っつぁんは盗みを働いた。お上の御用となり、伝馬町の牢屋にぶち込まれたけど、盗んだ金の弁済はしなきゃなんない。そんなことは、子供のおまえにも分かるだろ」
ちなみに山谷堀とは、吉原遊郭に繰り出す男たちの溜まり場である。江戸の町々から
お松は
ある日、江戸いちばんの料理屋として名高い
南畝は小万の鉄火肌の気性と小気味よい話しぶりが気に入った。しかも盃を交わすほどに
南畝が小万の耳にささやいた。
「おぬし、それほどの美貌と芸と
おのれの不遇を内心嘆いていた小万が、酔眼で南畝をきっと見据える。
「先生、惜しいと
「よかろう、その三味を寄こしな」
南畝はすぐさま筆を執り、小万の三味の胴裏に、こんな戯文を書きつけた。
「詩は
墨痕あざやかに記したのは、いずれも江戸の一流どころばかりで、そこに小万も名をつらねたのだ。江戸で盛名を轟かす南畝の直筆で、小万は一流芸妓として折り紙がつけられ、その嬌名は一躍、江戸の巷に知れ渡った。
その半年後、吉原遊郭につづく日本堤で武士と火消し同士の
そのとき、小万が緋色の蹴出しをひるがえして割って入った。
「なんだ、なんだい。ここは天下の往来だよ。迷惑もいい加減にしとくれ」
武士が思わず刀の柄から手を離した。
「ほう、女ながら度胸がいいな。そのほう、名はなんと申す」
「堀の小万ってえ、取るに足りぬ芸妓でござんすよ」
武士も町人も目を剥いた。堀の小万といえば、江戸随一と評判の名妓ではないか。
小万が双方をゆっくりと見渡し、艶然と笑って言った。
「どちらさまも、お怪我がなくてよござんした。よろしかったら、わっちの酌で呑み直しといたしましょう。もちろん、払いはこの小万に任せてくださいな」
この武士と町人の喧嘩騒ぎを見事にとりなしたという噂は、雲州松江藩の藩主出羽守
治郷が側近に命じる。
「苦しゅうない。その小万とやら申す芸妓、藩邸に連れてまいれ。今宵、そやつの酌で一杯やりたい」
出羽守治郷は名君として知られ、
武士でありながら、五代目市川團十郎、人気女形の瀬川菊之丞、戯作者の
小万35歳になった頃であった。
妹のように可愛いがっていた
「アンタなら、間違いなく一流の芸妓になれるよ。もしよかったら小万の名を襲名して二代目になっておくれな」
「えっ、じゃァ、姐さんはどうなさるんですか」
翌朝、小万は飄然と諸国巡礼の旅に出て、ぷっつり消息を絶った。以後、行方は
――了
堀の小万 海石榴 @umi-zakuro7132
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