第十話
北の方が鏡を拭き始めてから、三半刻程が過ぎた。
徐々に鏡は埃が取れていく。最終的には女房も手伝いながら、拭き清める。しばらくして、鏡は綺麗になった。
「さ、できました。どうじゃ、殿」
「うむ、なかなかに綺麗にはなったな。後は職人に言って直させるか」
「そうなさいまし、では。わらわは着替えて女御様の様子を見に行きます故」
父君もとい、左の大臣は頷く。北の方はそのまま、娘である女御の元へ向かう。左の大臣は見送りながら、唸ったのだった。
北の方は女御が無事に若宮を生んだ事に安堵していた。これで後は、女御の産褥さえ何とかなれば。若宮と共に宮廷へ戻るだろう。そう考えながら、女房に髪を整えさせる。
「北の方様、女御様や若宮様がご無事でようございました」
「ほんにの、わらわも母子共に無事じゃったからの。若宮がお生まれになったと聞いた時は柄にもなく、泣いてしもうた」
「それはそうでしょうね、初孫でいらっしゃいますし」
女房もどこか、嬉しそうだ。北の方は頬が緩みそうになるのを何とか、堪えた。
髪を整えて衣装も白一色に着替えた。北の方はそのまま、女御の部屋に入る。女御や若宮は奥で休んでいるようだ。女房が手をついて出迎える。
北の方は鷹揚に頷いてから、奥に入った。
「女御様、体調はいかがですかや?」
「……母上、まだちょっと気分が
「そうですかや、なら。薬師を呼びましょうか?」
「お願いします」
「分かりました、これ。薬師を呼ぶのじゃ」
北の方が言いつけると、小宰相の君が素早く動いた。すぐに薬師の和気氏がやってくる。
「……ふむ、お呼びですかな?」
「和気殿、ちと良いかや。女御様が気分が悪しくての、診てもらいたい」
「分かりました、では。診てみますかの」
和気氏は初老の穏やかそうな翁だ。白い髭を綺麗に整えながらも好々爺といった雰囲気である。女御の診察を彼は始めた。
和気氏が
「ふむ、女御様は産褥の
「分かり申した、和気殿。重々、気をつける故」
「ええ、では。私はこれにて失礼しますぞ」
和気氏は深々と手をついて、退出した。この後、女御は苦い薬を飲むために鹿の肩肉を炙った物や
「ああ、苦いの。舌が痺れる」
「女御様、堪えてくださいまし。これも元気になられるためです」
「確かにの、宮のためにもなる」
女御はそう言って手渡された水を飲み干す。小宰相の君はお強くなったと感慨深くなるのだった。
――完――
秋に移ろふ姫 入江 涼子 @irie05
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