第九話

 女御が産気づき、早くも真夜中になっていた。


 まだ、陣痛は続いている。女御は悶え苦しみながら、耐えていた。

 母君はただ只管ひたすらに神仏に祈り続ける。父君は別室にて、同じように祈りを捧げていた。


大臣おとど、ちょっとよろしいでしょうか?」


「……いかがした、安倍殿」


「女御様に憑いている物の怪について、申し上げたいのですが」


「物の怪とな、それで。何が憑いているのだ?」


「どうやら、付喪神つくもがみのようです。しかも、鏡ときました」


 父君は鏡、しかも付喪神と聞いて驚いた。何故に女御に憑く必要が?

 そう思いながらも、陰陽師である安倍氏の話を聞いた。


「……いわゆる古鏡ですね、名称を申しますと。そやつが女御様を苦しめています。憑坐よりましに憑かせてはみますが」


「ふむ、分かった。そなたが申すのであれば、その方が良かろう。頼んだ」


「ええ、大臣がそうおっしゃるなら」


 安倍氏は頷いて、祈祷をしている部屋へと戻っていく。父君は疲れたように長く息をついた。


 あれから、しばらくして女御は元気な男御子、若宮を生んだ。

 東宮の初めてのしかも、若宮とあって周囲は大いに歓喜していた。父君や母君も安堵の息をついた。が、陰陽師の安倍氏の一言が父君は気になっている。

 古鏡、どこぞで聞いたような。はて、どこだったか。考えていく内にふと、ある考えが頭をよぎった。


(あ、儚くなられた我が母上の形見の。鏡が物置部屋に置きっぱなしになっておった。あれの事であろうか?)


 父君はそれに思い当たると、すぐに母君に相談した。


「何と、母君様の鏡じゃと?」


「うむ、陰陽師の安倍殿が申していてな。不意に思い出したのだよ」


「まあ、なら。今から、物置部屋から出して来ないとなりませぬな」


 そう言うやいなや、母君は立ち上がる。女房を呼んで、鏡を取ってこさせたのだった。


 物置部屋から持ってきた鏡は古ぼけていて、埃を被っていた。母君は眉をしかめ、若宮が生まれてまだそれ程経っていないのに指図を始める。


「さ、まずは。新しい布と水を張った盥桶を持ってくるのじゃ。わらわが拭き清める!」


「な、北の方?!」


「殿、よくもまあ。母君様の形見を今の今まで放っておかれましたな。そりゃ、物の怪になるわけじゃ」


 母君もとい、北の方はそう言って女房に布やら必要な品を持ってこさせた。準備ができると北の方は布を意外と慣れた手付きで、水に浸す。ぎゅっと固く絞ったら、鏡を丁寧に拭き始める。

 が、長い髪や衣装の袖やらが邪魔だと北の方は言った。すると、女房の一人が気を利かせて北の方の髪を紐でまとめ、着ていた袿を脱がせる。やりやすくなったと言いながら、拭くのを再開したのだった。

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