第2話 天才

僕は天才かもしれない。

今僕は学校のグラウンドで野球部の練習に参加している。5月というのに、「グラウンド」というだけで暑さがひどい。だが、暑いことよりも重要なことがある。

何度でもいうが僕は天才かもしれない。

と言うのは、今、僕は初心者にもかかわらず、経験者の山田や鈴木を圧倒するほどの運動能力を見せつけているところなのである。

僕の中学のバトミントン部はいわゆる強豪で、僕より上手いやつが何人もいた。だから僕は万年補欠という感じで、運動ができるという自覚はなかったのだが、どうやら「平均的な人間以上」は出来ていたらしい。

練習の最初の方は僕もミスを連発し、橋本らに馬鹿にされていたのだが、

段々と慣れてくると、経験者の一年生の表情が段々とこわばっていくのを横目に見ながら、僕はホームランを打った。

「いじられキャラ」な僕は、高校に入学してから初めて人に自慢できる材料が出来たと大喜びだった。経験者の山田は、最初の頃はその恵まれた体躯によって、先輩方から一目置かれていたが、足は遅いわ先輩のパシリを断るわで、すっかりのけものにされていた。遠藤、鈴木、僕はそんな山田をいじり、山田も、それにツッコミを入れていた。橋本は、ただ黙って、僕らが自転車に乗りながら喋っている後ろにいた。橋本は、春先は積極的に会話に参加していたが、最近になってしなくなり、まるで一ヶ月のお試し期間を経て、山田を含む僕らと関わることは損が大きいとわかったと言わんばかりの対応だった。

それに橋本は僕よりも上手かった。橋本はここ二、三週間、先輩方十五人余りを含めても一番打球を飛ばしていた。

僕たちの学校のグラウンドは長方形になっていて、その半分のところにフェンスを置き、向こう側はサッカー部や陸上部が使用している。レフトが狭く、センター、ライトが大きい。僕が今日ホームランを打ったのはレフトで、長方形のグラウンド全体をぐるりと囲む大きなフェンスの足元まで飛んだ。

橋本はライトを越え、グラウンドを分ける方のフェンスの向こう側にあるサッカー部のゴールまで飛ばしていた。

中学生の頃の僕であれば、橋本に勝とうとは思わなかっただろう。だが、僕は天才である。橋本や山田は十年近くも野球を続けている。僕は、一か月だ・・・

5月の中頃のその日も、野球部はバッティング練習をしていた。僕は守備につき、打つのは橋本だった。僕は今日、いいことがあったので、橋本より打ってやろう、あいつ最近そっけないしここで俺が打ったらどんな顔するかなあ〜とか思い、ふわふわした心持ちでいた。

練習の前には山田が、自分のスパイクを先輩に勝手にはかれていたことを知り、殴り合う寸前まで行ったところで僕が止めに入った。だから僕はいいことをした満足感でいっぱい。それに、今日の英語の授業のグループワークで弥生さんとおんなじ班になって、そしたらー

『あぶなーーーーい!!!!』大きな声が聞こえる。僕はハッとして周りを見渡す。その後にツンと頭に走る衝撃「イデっ!」僕の頭に硬球が落ちてきたのだろうか、「『いでっ」じゃねえよ鹿!何ぼーっとしてんだよ!』僕の頭は先輩がぶっただけらしい「あ・・・はい、すいません」「すいませんじゃ・・・ほら!お前も来い!」「え?」

先輩はそういうと、僕の守るライトのさらにその先、フェンスの向こうへと走り出した。

「なんで・・・?」

僕は頭をさすりながら振り返る、振り返って、その瞬間走り出した。女子生徒がうずくまっている。そばに転がるのはボール。そう、橋下が打ったボールはフェンスを超え、フェンスの向こう側にいた女子生徒に当たってしまったのだ。

野球部のみんなも、サッカー部の人も女子生徒のところに集まってきた。僕も女子生徒のそばに駆け寄り、絶句した。ボールに当たったのは、弥生さんだった。「弥生!大丈夫!?」

思わず呼び捨てにし、肩を触る。触ってから気づき、手をぎこちなく引っ込める。弥生さんは何も言わない。少し体を震わせて、ボールの当たった左腕をさすっている。「縁野、知り合い?」「はい・・・クラスメイトです」僕は顔を上げて辺りを見渡す。橋本を探す。いた。いたがあいつは、なんだ?不服そうに歩いている。ヘルメットを気だるそうに外し、ホームベースの方からのしのし歩いてきている。「あの、先輩」僕は帽子をとって先輩を見上げる「あ?」「僕がもう保健室連れてってあげていっすか?今グラウンド先生いないっぽいですけど、きたら来たでまためんどくなると思うんで。」先輩は僕の目を見た。

実は最近、橋本が柵越えホームランを連発しているせいで、フェンスの向こう側の生徒が危険だという旨の連絡が学校側から入っていたのだ。だが、先輩方は、そんな対処面倒くさいからと橋本には何も言わず、僕のような仲の良い人間にしかそのことを言っていなかったのだ。「・・・おう、まあ、早く」「・・・うす」

僕は帽子を被り直す。

「弥生さん、立てる?」僕がそういうと、弥生さんはコクコクと頷き、ゆっくり、よろよろと立ち上がった。「立つの手伝ってやれよお前が!」先輩に言われて気づく僕。「あ、あ、すいません、弥生―」「いいよ。」弥生さんはぶっきらぼうに言う。「あ・・・ごめん」「歩けるから」「あ・・・うん」弥生さんは一人で歩き出す。僕は、黙って弥生さんの二歩後ろをついていくことにした。

少し歩いて、振り返る、

解散しかけた先程の集まりに、ようやく主犯の橋本が着いたところだった。

先をいく弥生さんに着いていき、保健室に入った。

保健室の先生は不在のようで、弥生さんはつくやいなや保健室の棚を物色し始めた。

「えと・・・先生連れてこよっか?」僕はなんとか言葉を捻り出す。なんてったって二人きりだ。「いらない。大丈夫。」物色をし、湿布だの包帯だのを見つけた弥生さんは、右腕だけで処置を始めた。僕は、とりあえず・・・と、保健室の冷凍庫を開けてみる。氷嚢が入っていた。

「弥生さん!これ・・・」氷嚢を掲げる僕を、作業を止めてみる弥生さん。

少し間をおいて、「ありがとう」と、言ってくれた。

僕は体温の上昇を感じながら、棚の上に置いてあったタオルで包んだ氷嚢を弥生さんの左腕につける。その際、素肌に触れてしまわないよう最大限の注意をした。しばらく患部に氷嚢をつけるだけの沈黙の時間が流れ、僕は下を向いたまま、弥生さんが口を開いた。「縁野くんって、さ。」

僕は何か言おうとしたが、口ごもってうまく話せない。「人助けとか、好きなの?」僕は、弥生さんのその物言いに少しハッとしたが、すぐ、「うん。てか、あれだよ。偽善って思うのかもしれないけど。」「いや別にそんなこと言おうとしたんじゃないよ」「あ、ごめん」「謝んないでよ」「え、ごめん」「ねえ」焦る僕。『ねえ』なんて言う弥生さんが可愛かったから。

「ごめ・・じゃなくてうん」

ぷっと吹き出す弥生さん。

「謝り大王だね、縁野君は」

「いやうんごめ・・・・・」

『ごめ』まで出て、止める。

僕もぷっと吹き出す。

少し顔を上げると、弥生さんと目が合った。

体がまた暑くなってくる。氷が溶けているんだか手汗なんだかわからない。耳の付け根の辺りの血管がドクドクジクジク言い出すのも感じた。「明日から、謝り大王って呼ぶね。」「それは・・いい、けど」「いいの?!」「い、え!あ!よく!な・・い・・・・・」目を合わせられたのは十時間くらいだろうか、まさか2.25秒だけなんてことはないだろう。

くすくすと笑う弥生さん。保健室に入った時とは、だいぶ印象が変わっていた。「縁野君さ、結構クラスでも謝ってばっかじゃん」「そう・・・かな?」「そうだよ、なんか、英語のクラスとか?世界史とか。先生に当てられたら大体謝ってるイメージ。今日私が答え教えてあげたじゃんね。」「・・・うん、謝りたくて謝ってんじゃないんだけどね」「そうなの?」「うん」「そっか」「うん・・・・・」「・・・あのさ、私らちゃんと友達になろーよ。」「っへ?」「なんかね、縁野君。放っておいたら自殺とかするタイプに見えるから。」「そ、そんなのしないって!え?そんなタイプに見える!?」

少し大きな声が出る。自殺なんて今までの人生で考えたこともない。「ほんと?まあーなんかさ、気をつけてね。謝り過ぎには、なんて。」弥生さんはこんな僕を諭すように言ってくれた。言い方に少し違和感を覚えたが、僕はコクコクと頷く。頷きながら、困っていた。

なぜなら目頭が少し熱くなったからだ。

「おい。」

僕はビクッとする。野太い声、橋本だ。

「弥生、大丈夫なん腕。」

橋本は、僕らを見下ろしながら言う。厳密には弥生さんだけを、僕の方は見ていなかった。

「うん。縁野君が氷当ててくれたから。」

「左手?折れてない?」

「大丈夫、私つよいつよいじゃないですか。」

「あん、んじゃ」

橋本はそう言うと、踵を返して保健室の外へ出た。謝りもしていなかったのだが、僕は少しぼーっとしていたので、「あ、もうそろそろ冷やすのいいかも、湿布とか貼りたいから。」という弥生さんの声でハッとなって、氷嚢を戻した。

その時に保健室の先生もやってきたので、あとの処置は先生に任せることになった。

そのあと、左手の処置が終わるまでずっと弥生さんのそばにいて、連絡先を交換した。

「部活戻ってよかったのに」と言われたが、さっきグラウンドで顧問の怒鳴り声がしたから戻るのは憂鬱だった。

グラウンドに仕方なく戻る。やっぱりミーティングをしている。僕もそれに参加せざるを得なかった。

顧問の先生からはこう告げられた。

「夏の大会前だが、長距離のバッティング練習は禁止。」ミーティングは二時間ほど続き(おんなじことを何回も何回も繰り返して言いながら)チームの雰囲気は最悪のままその日の練習は終わった。

練習用のユニフォームを着替えている最中に、橋本は先輩たちに文句を言いに行った。

先程のミーティングの中で、顧問は、「バッティングをする時は対策をしてからと伝えたのに、なぜ橋本は何もせず打ったのか」と責め、その後橋下が「聞かされていなかった」と何度説明しても許されず、むしろ言い訳をするなと、火に油を注ぐことになってしまっていたからだ。

先輩方は橋本をあしらい、遠藤、鈴木、山田はその間それぞれの顔を見合っているだけだった。

僕は橋下が可哀想だと思い、帰り道に、自転車に乗りながら声をかけた。「なあ、橋本、先輩方もなんか言えばよかったのにな。」僕が言っても、橋本は何も言わない。僕は(そりゃま・・・野球が上手いのを妬まれてるみたいで嫌だよな。他の一年生も何にも言わないし、声かけてやってるのは俺くらいだし)とか思った。

「弥生さんもさ、怪我ひどくなさそうで良かったよな。ほんと、俺もし打球当たったら泣いてたかもしれんよ。」「だろうな。」

橋本はそういうと、スピードを上げて走り去って行った。

その日から、橋本は野球部に来る頻度が落ち出した。そのペースも、日が経つほどに落ちていった。一年生の仲も少しずつぎこちなくなっていった。

だが僕は、その間も弥生さんとSNSで会話を続けていた。なんでも聞いた。好きな映画、音楽、漫画、犬、猫のはなし。僕と弥生さんは趣味が合った。特に映画の好みがあった。弥生さんが好きな映画は、超有名な超大作で、過去あった豪華客船の沈没を背景に、主人公である貧乏な青年と、上流階級の恋を描いた作品だった。あえてそこでマイナーなものを出すのではなく、有名どころを好きと言ってくれるところも好きだった。

僕はその映画を知ってはいたが、見たことはなかった。ので、見た。

この映画を好きな弥生さんがあまりにも愛おしい。なんて本気で思うくらいには好きになった作品だった。SNSでお互いの感想を言うのも楽しく、「私も痰吐いてみたい!」だの「レオナルド・ディカプリオになりたい」だの。話しているだけで心がぱあっと明るくなった。

また一つ、世界が「わかる」気がした。

恋っていうものは、こんなにも世界を色鮮やかにしてくれるのだと思った。

そして、それになんの疑いも持っていなかった。

そして僕は、夏の大会で背番号をもらった。背番号をもらえた一年生は、僕一人だけだった。僕は、みんなのためにも、頑張ろうと決心した。なぜなら僕は、天才だから。

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君が死んだ日 S.K.ナカムラ @SKNAKAMURA0221

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