第1話 わかったよ

僕は絶望していた。花の高校生になったというのに、昼休みに一緒に飯を食う人間の一人もできていなかったからだ。現に今、入学式から数日という学生時代におけるスタートダッシュの最も重要な期間の昼休みに、一人でうつむきながらTwitterをスワイプしてしゅぽしゅぽTLの更新を待っている僕は、スタートダッシュどころか、スタート地点で座り込み、鼻くそをほじりながら「帰りてぇ…」と考えているかのような異様さを放っていた。なんだその例えは、デュフフと一人で笑う、虚しい。一人ツッコミ、虚しい。

「僕」という人間は別に人と話せないだとか、中二病患者だとか、そういったことは一切ない。中学のころから「クラスのひと」という感じだった。友達はそんなに多くない。でも高校生になった今でも連絡を取るやつもいるし、「モブ」というか、「平均的」というか、とにかくなにも突出したところはない。だけど、欠点だってそんなにないとおもってる。そんなに深く考えたことはない。入学してから興味を持ったことは斜め前の「弥生さん」という長い黒髪の女子がかわいいなと思ったことくらいだった。静かで、やさしそうで、僕の「理想の女子」だった。でも髪は短いほうが似合うな・・・。まあ「クラスのひと」な僕には一生かかわることはないのだろう予鈴が鳴る、昼休みももう終わる。

次の授業が世界史なことを忘れていたので、僕は自分の妄想ワールドから帰還し、廊下のロッカーに教科書と資料集を取りに行った。がやがやと忙しい廊下。高校生にもなって校庭でドッチボールをしていた奴らが昇降口から走って帰ってくる。三人組でトイレに行く女子、スマホを出して少し頬を赤らめながら話している男女。男のほうは窓のほうに少し体を預けて、目を女子のほうにむけたり、離したり、まあ、連絡先を聞いているんだろう。

少しうらやましかった。高校生になれば僕のように人と関わるのに積極的でない人も、一気に人になって、簡単にそういうことができるようになれると思っていたのだけれど、僕は違うみたいだ。

僕はただ少ししゃがんでさび付いてカビっぽいロッカーを開ける。

「縁野」びくっとする、声を掛けられるとは思っていなかった。振り返るとそこには橋本がいた。隣の席で、最初のHRの自己紹介で少し話すようになった。ただ彼は野球部志望らしく、高校に入る前から野球部志望の仲間と連絡を取り合っていたようなので昼飯には誘えなかった。勝手に人のテリトリーに入るのは失礼だと思ったから。「縁野、あのさ、教科書持ってる?」「うん」

「だよな・・・そりゃそうよな・・・うわー授業はじめから教科書忘れるとかマジパねえな俺」「パナいね」「えー・・・縁野・・・」橋本は何かを訴えるような目で見てくる、少し嫌な予感がした。「教科書貸してくれん?」やっぱり。「俺も使うって」僕はへらへら笑う。こういう時へらへら笑う以外の方法を知らないから。「いやそうよな、わりわり」橋本も笑う。笑うが、目は笑っていない。それは「縁野」という人間と「会話」しているというより、社交辞令だけで遠くから手を振っているというような感じだった。親しくなりきれていない、知り合い以上友達未満の居心地の悪い関係特有のものだ。まあ新入生あるあるだろし、別に変なことじゃないけど。

橋本は頭を搔きながら教室に戻った。

待てよ?今ここで教科書を貸しさえすればこいつとの関係も進展するんじゃないか?もちろんこの一連の会話は社交辞令の冗談なのはわかっているけど、それでもこいつにいい印象を与えるかもしれない。そうすれば、もしかしたら一緒に飯くらいは食えるくらいの友達には近づけるんじゃないか?一人で虚しく妄想しなくて済むわけだ。

そう思った僕は教室に戻り橋本に教科書を貸した。資料集さえ持っていればはた目からは忘れ物をしていないように見えるとも思った。

チャイムが鳴る、授業開始だ。橋本は何度も小声で「パッな!」「パッな縁野!」といって僕のほうに手を合わせてくる。こんな些細なことだけど、悪い気はしなかった。人に感謝されるのもいいもんだと、「今日教科書バリバリ使うからなー!忘れたやつ遅れるぞ!」と、いかにも進学校の先生という感じのする世界史教師が言うまでは思った。

そのあと教科書を忘れた人間は強制的に手をあげさせられた。

「忘れた」のは僕一人だった。

先生は授業中何度も僕を茶化した。まだ緊張感のあった教室は、その先生の僕に対するイジリでしだいに和やかになっていった。僕のほうは意外と悪い気はしなかった、確かに恥ずかしくてたまらなかったけれど、クラスの一員になれたような気がしたから。

そしてなにより、自己犠牲の精神というか、本当は忘れ物をしたのは橋本なのに、僕が代わりに身を売って犠牲になった。その事実が妙に心地よかった。ただ、心臓の鼓動が少し早くなる気がした。

それが弥生さんが僕を見ていたことからくるものなのか、それとも、それ以外のことなのかは、わからなかった。

とにかく僕には友達ができた。教科書忘れ事件から橋本は何度も謝ってきてくれて、昼飯にも誘ってくれるようになった。野球部志望の4人と飯を食う間柄になったのだ。それにあの事件以降、橋本以外のクラスの人間が話しかけてくれるようになり、連絡先も何人とも交換した。意外と僕には人と付き合う才能があったらしい。知らなかった。中学校の時から人を観察すること自体は好きだったけれど。でも、僕には才能があるのかもしれないと思ったことがなかったので、うれしかった。初めて自分に価値がついたと思えた。朝には昇降口で、友達と「きょうだるくね?」と言い合い、昼休みは友達と飯を食い、放課後は一緒に帰り、コンビニによって氷アイスとエナジードリンクを混ぜて飲んだり、新発売のカップラーメンを買って食う。その後は、カラオケ。数日前までは考えられないような生活だった。

というかやっぱり高校生になると、人間は急に大人になるのだと思った。思ったというか「わかった」。今なら哲学本でもかける気がした、ベストセラー間違いなし。「高校生の胸の内!○○先生絶賛!!」なんて帯がついたりして。自分の心をさらけ出した文章なんて書いたことない、けど。でも、なんだか自分は偉くなって、世の中の大事なことは悟って、「わかって」、「わかった人間」になれた気がした。それはすごく気持ちいいことだった。

「縁野、部活はいる気ないの?」昼飯中、橋本が聞いてきた。部活…中学の時は友達がいたからバトミントン部に入っていた。他の友達が言う。「お前も野球部入ろうぜ、甲子園。な、青春だよ青春。」公立の進学校にいるくせに甲子園かよと思った。うちの高校は強いのかどうかもわからなかったけれど、「青春」というワードが頭に残った。「甲子園って全国大会だよな?全国なんて出れる学校なの?」橋本は「おん・・・・まあ・・・・」とほかの野球部志望に目線を飛ばす。「行けるわけないやん。」と、デブでいかにも野球部員という山田がにやりと言う。「いけないのかよ」僕はへらへら笑う、そりゃまあそうだよな。とは思うが、会話は続く。はた目から見れば中身のない会話が続く。「甲子園ってのはほんとの天才たちがいくとこなんだよ。まじで、あんなバケモン共に勝てると思うほうが失礼だよ。」と、チビでガリな遠藤が言う。ひょろひょろのっぽむっつりメガネの鈴木はスマホを見ながら合いの手を入れてくる。「でもさ」「いいじゃん目指せ甲子園って」「そうそう」「それ言うための野球部みたいなもんよ」「わかる」「てか本気でやるなら私立いくよな」

野球部志望の三人の中で会話が盛り上がりだした。橋本は相槌を打ち、僕は会話の節々で僕の目から見てもわかる愛想笑いをした。高校球児といってもそんなもんなのか、そりゃそうだよな。本気で何かをできる人間なんて一握りだ。努力するのにも才能が必要、だ。「で?どう?縁野。」「入るよ」「まじで?!」「うん。おれにも『青春』ってもんを追わせてよ」

四人が「おお・・!」という顔をする。「かっけえ」「いいやん」「おう、行くべ甲子園」

また友達との関係を深めてしまったみたいだ。なんて罪な人間なんだろうか、僕は。なんて心の中でにやけた。

これで僕の高校生活はより豊かになるだろう。僕にはこれから素晴らしいとは言わないまでも、そこそこいい人生が待っているのだ。甲子園を目指して、友達とマックでだべって一日が終わって、青春だとか、そういう感じのやつをかみしめて生きる。そしていつか、結婚?もし何らかの奇跡が起きたのなら、弥生さんと、なんて。そう言う妄想をしながら、僕は、新しくできた友達と共に歩いた。入学式の時にあんなにも咲き誇っていた桜が散って、その花びらが散乱している道を歩いた。

それが春の僕。だけどご存知の通り。さっき、僕は駅の線路の上に落ちようとしていた。自分から、足を、伸ばした。

「…………のが、僕の…その、最初だね。」僕とミキは鉄棒でそれぞれ遊び出していた。ずっと座ってるのは肩がこる。「うわ〜なんか、ストレス貯めて病む典型的な人間そのまんまだよ君。そうやって無理して人間関係作ってガタがきて、てか君どーせやっぱプライドもクッソ高いよね。あ〜あ。」ミキはそういうことをサラリと言って僕の心にトゲをさす。「そういうの正直に言える人尊敬するよほんと。」僕は皮肉を込めて些細な反抗をする。こんなになっても、確かにまだ僕には自尊心というものがあるのかと思いながら、逆上がりをしようとして、出来なかった。ちなみに逆上がりが成功したことは過去15年間一度もない。運動は得意な方なはずなのだが「それ皮肉?」ミキは少し声を強めた。「なに?君死のうとしてたくらい悩んでたことを私に話してるのに、愛想のいいこととか言って欲しいの?慰めて欲しかったの?そうしてほしいならそうするけど?」ミキは逆上がりをして、その後もグルングルン回り出した。「いやまあそれ正論かもだけどさあ…。」僕は、また少しの抵抗をした。「違うよ…こう…さ、僕は今、その、言っちゃえば病んでて疲れてるんだから、その……労わって欲しいって言うか、常識的にというか、そ、その。」ミキは回るのをやめて吹き出した。「なにそれ、え?本気で言ってる?」ぎこちなく頷く僕。笑うミキ。「君さあ、さっき、「どうせ理解して貰えない〜」とか言ってたけどさ、『君が本気じゃないなら相手が本気になれる訳ない』んだからね?君、何様?もし今まで本気で話したりしてなかったんなら君、めちゃくちゃお子ちゃまだからね??私そう言う次元から話さなきゃいけませんか???」顔が熱くなる。うわ。言われた、と思った。思った自分に少し驚く。「あたりまえ」のことを言われた。『僕が本気で話さないなら、相手が本気になるわけが無い』というより『なれる訳が無い』

確かにそうだと強く思った。「あたりまえ」と思っているということは、本当は僕もその事に気づいていたのかもしれない。でも、ずっと僕は「どうせ」ということを言い訳にしていたのかもしれない。自分が本気で話そうとしていないのに、相手が本気になるのを口にも出さず勝手に祈って、でもそんなの伝わるはずなくて、そりゃそうだ。そっか。でも、ミキはわかってくれるんだな。僕みたいな人間のことをよく知ってるみたいだ。もしかしたら、友達とかの相談もよく受けているのかもしれない。僕は自分の坊主頭をかく。「ミキ…さん」「ミキでいいよ。」「ん、そっか、お、おけ。その、ミキ、本気で話していい?」ミキとじっと顔を見つめあった。お互い吹き出してしまった。「君変な顔してるね。」「元々だからざんねん。」「そっかあ。」「…子供だったのかな。」そう言うと、「そーじゃね」と、ミキは言った。僕はため息をつく。

わからなくなった自分のことをまた少し「わかった」気がした。

ただそれをミキにいうのはなんだか、また馬鹿にされそうだったので、やめた。

「…じゃあ…野球部に入ったあとの話をしようか」

公園は、段々と暑さをましてきているような気がした。



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