君が死んだ日
S.K.ナカムラ
プロローグ
夏は終わった。
蝉が木から落ちる季節。ある平凡な街の、平凡な駅の裏手にある公園のベンチに、一人の坊主の少年がただ座っていた。彼は制服を着て、愛栄高校と刺繍の入った青色のエナメルバッグを足元に置き、野球のバットケースをベンチに立てかけている。そして目の前を見つめていた。彼の目に映る、自分を助けてくれた少女のことを。「君、名前なんて言うの。」少女が言う。
少女も少年と同じ制服を着ていた。とても綺麗な顔立ちの、髪の短いのが良く似合う人。
短い髪が綺麗に見えた。
少年はぼうっとその子の姿を目に浮かばせながら、嗚咽に近い声を漏らすだけだった。目には生気がない。「あのさあ…」少女はしゃがみ、少年の手を掴む。驚く少年。「命の恩人に!名前すら言えないの?!ほら!!しゃきっと!はい!」「あ…すいません…すいません…」
少年はおどおどとしている。彼は先程死のうとしていたのだ。快速電車が入場しようとしていた駅のホームに方足を伸ばし、ゆっくりと、体重を前に倒していた所を、この少女に手を捕まれた。「死んじゃダメ」と、制止されたのだ。その後少女に手を引かれるままに駅のホームをでて、駅の裏手のこの公園に至ったわけだ。「すいませんじゃなくて」「すいません…」また言ってしまった。はあとため息をつく少女。「名前…その、縁野って言います。すいません、ほんと、なんか、こう言う時なんて言えばいんだろ、ほんとすいません。死のうとするとか」ハハッとひきつった笑いをする。脇から嫌な汗が垂れるのを感じる。縁野の頭はじんじんとして思考が働かないが、とにかく謝らなければという気持ちでいっぱいだった。「迷惑かけちゃいましたね、ほんと、ほんとすいません。大丈夫ですから!ほんと!ほんっとー」「君謝り過ぎ、うざい。」
少女は真っ直ぐな目で縁野を見つめる。本当に真っ直ぐで綺麗な、「あの人」によく似た目だと縁野は思った。また「すいません。」と言おうとして、縁野は口を噤んだ。キュッと唇を噛む。目頭が熱くなる。
(そうだ、僕はいつもすぐ謝る。謝って問題を解決した気になり、先延ばし、先延ばし、平気なフリをしてそれで満足して終わった気になる。そんな僕が嫌いで、でも結局そうやって生きるしか能がなくて。
―あの人にも言われたのに。気づいたら死のうとしていた。(なんで、なんで普通に出来ないんだろうか。)一瞬にして、そういうことを考える。「…うざいなんて言われたら…そりゃ…」「そういう時にさ、言い返したりしないの??」少女は何もかも見透かしているかのような目で縁野を見る。「なんでって…、だって…悪いじゃないですか…。」縁野自身でも何を言っているのかよくわからない。別の人間が僕の体を乗っ取って話しているみたいな感じだった。「はあ」「はあって」「そんなんだから死のうとすんだね。」縁野の頭に血が昇る感覚、そして同時にイライラが募る。
(この人は僕に何をしたいんだろうか。偉そうなご高説を垂れるつもりならどうかご勘弁。こっちは死ぬのを邪魔され、弱い部分を突かれ、勝手に僕を助けた恩人に今こうして恥を上乗せされているのに。)
「あの・・・放っておいてくれませんか?もう疲れてしまって。それにあな…たに、何がわかるんですか。どうせ、わかんないですよ、僕の気持ちなんて。」体を小刻みに震わせて、絞り出すように縁野は言う。哀れと思うほど虚しく、いかにも自殺未遂者の言う定型文のような言葉だった。
「わかんないよ」少女は立ち上がった。そして、僕を見下ろしながら言った。「分かんないから、知りたいの。そう言うものでしょ?」顔を上げて少女の目を見るほどの気力はなかった。この子の真っ直ぐな物言いに、縁野は何故か安心さえ覚えているような気がした。「僕のことなんて知らなくていいです。」「いや知りたいよ」「なんで」
少女は少し考えるような仕草をし、「君辛いこととか話せそうな人、いなそう、だし、興味出てきてさ。」と、少しつっかえながら言った。「まあ…確かに…いないですけど…人に聞いてもらうような話でも」「べっつによくない?もう私たち3分も話したんだよ?友達でしょ。てか、友達じゃなくても、恩人と恩を受けた人の関係!ね、恩人命令。命を助けたついでに、話聞かせてよ。」
顔をあげる縁野。彼があまりにひどい面をしていたのか、少女はぷっと吹き出した。「笑うなよ…」縁野は少女を睨む。「お、いいね、壁無くなってきた感じ。」少女はからかう。「黙ってください」「ふざけてないよ。」「馬鹿にしてんだろ、僕のこと。」
口からそのことばがでて、縁野はハッとした。相談に乗ってくれている人にキツイ言葉を使ってしまったと思ったからだ。だが、そんなこと気にしないかのように、少女は笑い出した。
縁野は立ち上がって帰ろうとしたが、まるで骨と骨をつなげる筋肉が全部とろけてしまったかのようになってしまって、どうやっても立ち上がれない。顔が赤くなる。
(僕は本当に「普通」じゃない。)
少女はやれやれ、みたいな感じで言う。「ちょっといじりすぎちゃった。」少女は子供をあやすみたいに言う。縁野は俯いたまま何もしない。「ごめんね。」そう言うと、少女の顔つきが一気に真剣になる。「なんかなー。君、人間なんて誰も彼も信じられない、僕みたいな人間が持つ崇高な理念なんて、誰も理解できないー!って、そういうかんじがしますね。」少女は縁野の濁ったような色の目をじっと見る。(なんだかとてもむかついた。むかつく、なんだこの失礼なヤツは。むかつく。本当にむかついた。けど。少女の言葉が、頭の中で何度も反芻する。
(たしかに、僕は人を心から信じられたことがない。ていうか、こんな世の中に生きている人間の中で、誰かを心から信じたことのある人なんて、ほんとに一握りだろう。心から疑いようもなく信じられる人と出会うなんて、そんなの宝くじにあたるより、いや、人類が核戦争をしないことよりも難しいと思うんだ。そもそも、誰からも、「信じる」方法を教わったことが、僕にはない。それなのに、人を信じろだの、仲良くしろだのなんだのとみんなは言うんだ。それだから僕が「どうせお前らは」って言う思考に行き着くなんてことは、特段おかしいことではない
・・・・けど、ほんとうにそうかな?それはやっぱり違うかもしれない。そうだったらどうしよう。僕は、僕の悪い癖で、すぐ人を第一印象で決めつけるようなところもあるし、もしそうだったら僕は、助けてくれた人にまた酷い無礼なことを考えてしまったことになるのかな。ああ、やめてしまいたい、嫌だ、考えたくない、だから死にたかったのに。)
―また、僕は最終的には根拠のない自己否定に至る思考をいつものように繰り返す。
この少女は違うのだろうか。縁野は今までの人生で、これほどまでストレートに物事を言う人に出会ったことがなかった。明らかに、イレギュラーだった。少女は何も言わない彼をみて続けた。
「どうせ話せる親しい人もいないんならさ、私みたいなお節介人間に話してよ。私はー」少女は口をつぐむ。「私は?」縁野が聞くと、少女は首を横に振って、また少し考えるような仕草をする。
「もうちょい賢く生きようよ!もうさ、とりあえず最初は私のこと信じれなくていいから。てかちょっといじりすぎちゃったごめんほんと。ね、ね?その、私が笑ったお返しっていうかさ、ねもうそれでいいから。吐き出したら楽になるって、ほら。」
少女は縁野の手を掴む。これで少女の手に触るのは二回目だ、最初は駅のホームで、そして今。なのに、なのに。なぜだか、とても懐かしい感じがした。初めて会った人に対しての感情ではなかった。もしかしたら、この少女にあの子の面影を見ているのかもしれない。そうなのか?
(うん。きっとそうな気がする。そっか…。あの時は、僕から掴んだ。今は、掴まれてるのか・・・なんてな、また、僕のどうしようもない妄想癖か。)
縁野は考えて、言った。「うん、お願いします。」すると少女は、彼の手をぎゅっと強く握って笑った。ここまでストレートに感情を表す人なんて珍しいなと思った。同時に羨ましさもあった。とてつもなく眩しくて、羨ましかった。縁野の、理想のような人だった。
彼は聞いた。「君、名前なんて言うの?」
少女はまた少し考えて、言った。「ミキ。ミキでいいよ。」
それが彼と、縁野とミキの出会いだった。
蝉が木から落ちる季節。
少年が公園のベンチに座っている。
少年は口を動かしている。
少年の濁ったような瞳には、少女が浮かんでいる。
彼の理想の人に、よく似た少女が。
ただその人より少し髪が短い。
少年は。
少年は、誰に言われるでもなく話を始め、終わりかけていたはずの夏は、遠くの方からかすかに聞こえるしぶとい生き残りの蝉の音と共に、その暑さを増していった、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます