ビルダーと私【実験作4】
カイ艦長
ビルダーと私
いまだに熱波が続く都心の駅前で、水泳パンツだけを身に着けた男が仁王立ちしている。
自慢の筋肉を惜しみなく人目に晒し、数々のポージングを決めているところを見ると、どうやらボディビルのストリート・パフォーマーのようだ。
赤羽結子はつい足を止めて、次々と変わるポージングを眺めていた。
「お嬢さん、大学の帰りかい」
ニカッと歯をむき出しにして笑うボディビルダーが、結子に気づいたのかそう問いかけてきた。
普段は知らない男性から声をかけられてもすげなく断っていた。
このストリート・パフォーマーは、なぜか話してもだいじょうぶだという根拠のない確信を抱くに足る筋肉を誇っていた。
結子は屈強な肉体に興味があるわけではなかった。なんとなく「ミスマッチ」という言葉が浮かんでしまって、不謹慎にも心のなかで笑いが込み上げていた。
彼は筋肉こそ隆々としていて目を惹くのだが、ひとつだけある大きな違和感の正体。それはおそらく「背が小さい」ことにあるのだろう。
百六十センチほどの身長は女性としては大柄な結子とさほど変わらない。
結子は子どもの頃から可愛がられることもなく、皆から頼りにされてきた。そのせいか、小学校から合気道を習っており、実際に痴漢を撃退したことも両手に余る数にのぼる。
そんな結子とさほど変わらぬ身の丈に鋼の筋肉をまとった眼の前の男性は、愛嬌のあるスマイルを崩していない。
多くの利用者がいる駅前であるにもかかわらず、警察官がやってくるでもない。
彼の足元を注意深く観察すると、道路の使用許可証が立てかけられていた。
前もって警察に届けを出していたのであれば、警察官が中止に動くことはないわけか。
ひとり納得すると、大胸筋から上腕二頭筋、僧帽筋に広背筋へと移り変わるポーズに見入ることにした。
すると後方から大きな悲鳴があがった。
「きゃーっ、ひったくりよー」
振り向くと駅前のバス乗り場から若い男性が女物のバッグを持ってこちらへ走ってくる。
しかし走り込む先にいるのは小柄なボディビルダーだ。それに気づいたひったくり犯は、彼から離れるコースを通ろうとした。ボディビルダーは自慢の筋肉を唸らせてひったくり犯へと駆けていく。
しかし見た目どおり筋肉が重いのか、走るスピードは遅かった。
ひったくり犯はその様子を見てすり抜けられると確信したのか、かまわずこちらへ全力疾走で迫ってくる。
ボディビルダーは犯人を捕まえようと熊のように両手を振りかぶった。あの筋肉で掴まれたら、あばら骨を何本折られるだろうか。犯人に情けをかけたくなったが、筋肉の檻が閉まる前に、脇へと身をかわしてすり抜けてきた。
なにか格闘技の経験があるのか、あるいは単に運動能力が高いのか。
とにかく猛スピードを保ったままでの緊急回避はあまりにも見事で、思わず拍手を送りたくなるほどだった。
結子はこちらへ向かってくる犯人に道を開けるように、半身をずらして斜に構える。進路が空いたと判断したのだろう。ひったくり犯は勢いを落とさずに脇を駆け抜けようとした。
結子はそこまで甘くない。
半身に構えたのはそこへ誘い込むための罠だ。
横を走り抜けようとする犯人に足を伸ばして引っかけさせる。
全力疾走しているため、突然の接触に犯人は思わずその場で転倒し、歩道のアスファルトに激しく叩きつけられた。
大きく転んで這いつくばっている犯人の右腕をとって、背中側に大きくひねり上げる。
「い、痛ーっ。離せ、このアマ」
そんなセリフを聞き入れるほど結子は甘くなかった。
そもそもが女性のバッグをひったくった犯人なのだ。このまま押さえ込んで警察官に引き渡すのが最善だろう。
「お嬢さん、だいじょうぶですか」
その様子を見ていたボディビルダーが慌てて駆けつけた。
「このまま警察に引き渡しますので、誰か警察官を呼んでください」
彼は右のお尻のあたりに手を伸ばす。
「あ、今はパンツ一丁だった。参ったな、警察を呼べない」
バッグをひったくられた女性も小走りで近づいてくる。
駅の反対側の出口に交番があることを告げると、ボディビルダーはそばまでやってくた。
「それじゃあ、お嬢さんが呼んできてください。僕が呼んでくるより早いだろうし、君が長時間取り押さえるには力がいるだろうからね。僕が代わりにこいつを捕まえておくよ」
言うが早いか、犯人の左腕をひねり上げてから、全体重をかけるように覆いかぶさった。
これなら確かに力は要らないか。
「わかりました。それでは私が警察官を呼んできます。被害に遭われた方もここで待機してください。事情聴取があると思いますので」
ヒールで走ってきた被害者にひと声かけたのち、急いで駅の階段を降りて、交番のある出口へと駆け出した。
─了─
ビルダーと私【実験作4】 カイ艦長 @sstmix
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます